Posted on 05/13/2012 at 05:48, by matsumoto
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
(イザヤ53章5節)
■ はじめに…今日は、『母の日』。家内も昨晩、娘からカーネーションのような花びらのバラをもらいました。カーネーションの花言葉は“母の愛情”。母の日にカーネーションを贈るという習慣が始まったのはアメリカ。南北戦争のさなか、敵味方を問わずに負傷兵の衛生改善に尽力したアン・ジャービスさん。その娘・アンナさんが、亡き母の記念会を教会で開催し、参列者に母が好きだった白いカーネーションを配ったのが始まりでした。
■ カーネーションは受難の象徴…ダビンチの絵画に『カーネーションを持つ聖母』というのがあります。御子イエス様を抱いて赤いカーネーション(ナデシコ)であやしている絵です。それはイエス様の受難の象徴として描かれています。つまり、母の愛を表すカーネーションは、神の愛を表す花でもあるのです。
■ 再び講壇のこと…今日も使用している“折りたたみ分解式講壇”。聖所、至聖所で使用していたのと同じ杉材。このことで一人の聖徒の方が証しをして下さいました。『ある雑誌に“心理テスト”が載っていました。それに“木を描いてみて下さい”という設問があり、1本の木を描き、それに大きな節を書きました。結果、その節はトラウマを暗示しているということでした。しかし、節だらけの講壇を見て、しかも聖所・至聖所に節があったであろう、その杉が使われているということは、傷を持つ私を神様は愛し、用いて下さるのだという励ましと力を受けました』
■ 母の愛、そして神の愛…敵味方を問わずに負傷兵の衛生改善に尽力したアン・ジャービスさん。私たちのために鞭打たれ、傷つき、十字架に掛かられた主イエス様。この世に母の愛と神の愛にまさるものは何もありません。
■ 結び…今週も私たちの歩みが、主の愛の中で生かされ、母の愛で隣人を生かす、カーネーションの彩りと香りを放つ歩みとなるよう、祝福して祈ります。
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