Posted on 08/04/2013 at 05:45, by matsumoto
町の周囲は一万八千キュビトあり、その日からこの町の名は、『主はここにおられる。』と呼ばれる。」 (エゼキエル48章35節)
■ はじめに…先週、ラーキンスさんが、ミシェル・アンリ著『キリストの言葉』(白水社)という本を持参されていました。それを見て「これは読まなければ」という強い思いが湧き上がり、早速購入し、今読んでいる最中です。
■ 幻と霊によって…今日のテキストはエゼキエル書。エゼキエルはバビロン捕囚期に活躍した預言者(兼祭司)です。捕囚5年目に「天が開け、神々しい幻=ビジョン、異象を見」(1章1節)、その後、主の御声を聞き、召命を受けました。「その方が私に語りかけられると、すぐ霊が私のうちに入り…」(2章2節)とありますから、御言葉=霊であることが分かります。幻と霊によってエゼキエルは立ち上がりました。エゼキエルの名の意味は“神が強くしてくださる”
■ 息を吹き入れる…捕囚の中で、イスラエルの民は祖国を失い、自分自身を失い、茫然自失となり、希望を失っていたことでしょう。その中でエゼキエルは希望の預言を語りました。「新しい心を与え、新しい霊を授ける」「石の心を取り除き、肉の心を与える」(36章26節)「おまえたちの中に息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る」(37章5、9、14節)私たちは主の息、すなわち主の霊、聖霊によって再び希望に生きる者となります。
■ 新しい神殿の幻… そして最後、エゼキエルは新しい神殿と新しい町のビジョンを語りました。主の栄光が満ち(44章4節)、「水が神殿の敷居の下から流れ」(47章1節)、「川のほとりの果樹は毎月、新しい実をつけ」(同12節)ました。
■ 主はここにおられる…その生きとし生けるものが、いきいきと生きる町の名は『主はここにおられる=アドナイ・シャマ』(48章35節)。主がともにおられる時、私たちは最も私たちらしく、自由に、輝いて生きることが出来ます。別の言い方をすれば、私たちが主に信頼して、いきいきと生きる時、「あの町には主がおられる」と周囲の人々が告白するようになる、そう言うことが出来るでしょう。
■ 結び…新しい週、皆さん一人ひとりが主のビジョンと聖霊によって、いきいきと希望に輝いて歩まれるよう、祝福して祈ります。
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