Posted on 09/29/2013 at 08:55, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『いじめる者でなく、かばう者として』(結語シリーズ 旧約篇その34)(2013.9.29)

あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。(ナホム書3章19節)

■    はじめに…「仲間はずれにされないためには、仲間はずれをしなければいけない。自分が助かるためには、その気がなくても他の人をいじめなければいけない」(ソウル東大門区B中2年男子)。これは韓国ソウルの中学生へのインタビュー記事(中央日報日本語版)です。日本も同様、今、“ネットいじめ”が蔓延しています。

■    いじめ…いじめをする者(強者)に対して御言葉は「いやしがたい」と厳しく宣言しています。隣人を傷つける者は、結局、自分自身の人格(いのち)を深く傷つけるのです。「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失う」(ルカ9章24節)とイエス様はおっしゃいました。いじめはサタン(反キリスト)の霊的な働きです。私たちの心の深いところに、いじめの根が潜んでいないでしょうか。

■    御手の中で…私たちは、いじめられて初めていじめられる者の気持ちが分かり、いじめがどれほど害悪であるかを知るようになります。主イエス様は徹底的に、当時の強者からいじめられ、罪なき方であるにもかかわらず罪を着せられ、十字架の極刑に処せられました。私たちの打ち傷(罪の性質)はいやしがたいものですが、主は自らの打ち傷(愛)によって、私たちをいやして下さった(イザヤ53章)のです。主はいのちを惜しむ方ではなく、いのちを愛する方です。いじめに加担する方ではなく、私たちを御手でかばって下さる方です。主が送って下さった聖霊によって、私たちはいのちの御霊の原理(ローマ8章2節)に生かされ、お互いのいのち(主と隣人)を愛します。

■    結び…今週も、主が私たちと共にいて御手の中で私たちを守って下さいます。お互いにいのちを愛し合い、かばい合う者であるよう、祝福して祈ります。

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