Posted on 10/27/2013 at 04:23, by matsumoto
エルサレムとユダのすべてのなべは、万軍の主への聖なるものとなる。いけにえをささげる者はみな来て、その中から取り、それで煮るようになる。その日、万軍の主の宮にはもう商人がいなくなる。 (ゼカリヤ書14章21節)
■ はじめに…先週、教会の通帳に五千円の献金の入金がありました。それは知り合いの息子さんから献金だったのですが、理由を聞くと「息子の恵み献金です。恵みを感じたら、一円を貯金箱に入れる。一日、二百円くらい、たまります。」とのこと。何と尊い献金でしょうか。今、彼は透析をしながらずっと闘病生活を続けています。どうぞ主の癒しをお祈りください。
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purchase discount medication! prednisolone liquid cost . approved pharmacy, cheap prednisolone. ■ 商売ではなく感謝と祈り…さて、今日はゼカリヤ書。ゼカリヤはハガイと同時期に預言活動をし、神殿再建に尽力しました。主の宮(=神殿、教会)が完成すると、人が集まるようになります。すると、その周りで商売をする人々が出てきます。そしていつの間にか主の宮自体が利益を追求するようになってしまいます。お金は大切ですが、それが目的になっては本末転倒です。ゼカリヤの最後の預言は「主の宮にはもう商人がいなくなる」でした。主の宮は商売するところではなく、感謝と祈りを献げるところです。
■ 宮きよめ…ゼカリヤ書14章4節に「主の足は(…)オリーブ山の上に立つ」とあります。この次に“オリーブ山”が出てくるのはマタイ21章1節です。ここはイエス様がエルサレム入城をして、宮きよめをしたところです。宮の中(私たちの内側)にイエス様がはいって来られ、利益を得よう(もっと言えば強盗しよう)という思いを追い出してくださいます。宮の主人、御国の王は、主イエス様ただお一人です。「主よ、来てください」と告白しましょう。主が来てくださると、そこには祈りが満ち、小さく弱くさせられている人々を歓待する思いが満ち、いやしと賛美が満ちるようになります。「信じて祈り求めるものなら、何でも与えられる」(マタイ21章22節)が、主の約束です。
■ 結び… buy prozac india buy fluoxetine hydrochloride buy prozac australia fluoxetine to buy online uk buy prozac online europe order prozac buy generic prozac 今週も、サタンの誘惑の多い世にあって、私たちの内なる聖霊の宮に主をお迎えし、すべての悪からきよめられた者(Ⅰヨハネ1章7、9節)、商人ではなく“証人”(ヨハネ17章14-21節)として生きられるよう、祝福して祈ります。
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