Posted on 07/27/2014 at 04:38, by matsumoto
それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。(ローマ9章23節)
■ はじめに…先週、私たちのお祈りカードに名前を記しています、さくらいあきなちゃんが天に召されたと、お母さんから電話がありました。2歳から7歳までの5年間の闘病生活でした。
■ 神…神は、永遠の昔にその聖い御心に基づいて、天地の間に起こるすべてのことを、主権者としてあらかじめ定められました(エペソ1:11)。ですから、世界が存在しているのは、神の聖定によります(エペソ1:3~14)。神が聖定をされた究極的な目的は、神の栄光が現されるためです(ローマ9:22~23)。
■ 主よ、いつまでですか!…脳死の状態で人工呼吸器をつけて生命維持。入院後1年間はおかあさんが付添い、病院に泊り込みという闘病生活でした。“主よ。いつまでですか!”(詩篇13篇1節)と、涙とともに叫んだことも何度もあったことでしょう。
■ 試練のただ中で… けれども、あきなちゃんとおかあさんの5年間にわたる闘病生活も、主の御手の中での出来事であり、主の栄光が現されるためだったのでしょう。主はあわれみ深いお方です。闘病生活を始めて8カ月後、CT撮影すると、今までは真っ暗だった脳に白いすじがすこし見えてきたそうです。きっと主が共におられるという、主からのサイン(御霊の証印)だったのでしょう。その後、あきなちゃんとご両親そろって受洗。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされたのです(Ⅰコリント15章42-44節)。
■ 主の栄光を現す…私たちもそれぞれに試練を経験します。その試練のただ中で、主の栄光を現す、あわれみの器として召されています。主の栄光を現すとは主から頂いた賜物と力を持って日常のなかで“主をほめたたえ、主に感謝をささげる”ことです。
■ 結び… 今週、試練と日常のなかで主をほめたたえ、主に感謝をささげる皆さんの歩みとなるよう、祝福して祈ります。
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