Posted on 09/07/2014 at 04:27, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『しっかり最後まで』(信仰シリーズその37)(2014.9.7)

 

神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。(Ⅱテモテ1章9節)

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  • はじめに…先週4日、毎主日、皆さんにお祈り頂いていた石井夢都美(いしい むつみ)姉が、召天されました。その報を受けて、眞津代師が告別式に出席しました。
  • 人間…神は、イエス・キリストによるいのちと救いを無代価で与えてくださり、これを信仰によって受け入れるように求められます。さらに、これを信じることができるように、聖霊が働いてくださいます(エペソ1:4、Ⅰペテロ1:19、Ⅱテモテ1:9-10)。
  • しっかり最後まで…夢都美姉召天の一報を受けて、眞津代師が「しっかり最後まで関わり持つため、告別式に行って来ようと思う」と私に言いました。正直、主日礼拝直前に福岡までの夜行バスでの長旅は負担が大きいので、お花料を友人に託すことで十分に関わりをまっとう出来るのでは…と思いました。けれども牧会的な決断はそれぞれに任せるというのが私たちの当初からの立ち方。
  • 聖霊の働きに…祈りは行動になります。逆に言えば、祈りがなければ行動にはならないと言えます。ただ、私たちが行動するとき、経済的な負担、身体的な負担、心理的な負担が生じます。つまり“自分の十字架を負う”(マタイ10章38節)必要が生じます。生身の人間として主に従う決断が伴います。私たちの力、私たちの働きでは出来ません。聖霊の働きによって、背中を押され、踏み出す力が与えられます。
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  • 応答しよう…「救い」は「いやし」をも意味します。救いといやしを並べて語られている聖句が一カ所あります。エレミヤ書17章14節をご覧下さい。「救い」と「いやし」の土台は「望み」です。その望みは「従順」と「賛美」です。それは強制ではなく、それは主の赦しと聖霊がくださる喜びに対する応答です。夢都美姉の証しが告別式の最後に掲載されてありますが、タイトルは「笑顔で教会に行こう!」。また姉妹の愛誦聖句はヨハネ14章1-3節とⅠテサロニケ5章16‐18節。主に忠実なしもべとしての生涯をまっとうされました。
  • 結び…皆さんが新しい一週間、しっかり最後まで聖霊の働きに応答されるよう、祝福して祈ります。

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