Posted on 06/07/2015 at 04:18, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主イエスの十字架の血で』(賛美シリーズ その8)(2015.6.7)

 

そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。(ローマ5章11節)

    • はじめに…先週、家内と久し振りに二人で映画を観て来ました。『あん』という邦画で、どら焼き屋「どら春」雇われ店長・千太郎と、「どら春」の求人広告を見て働くようになったあん作り50年のハンセン氏病の徳江、そして「どら春」の常連客で、いつも“出来損ない”のどら焼きの皮をもらって帰る母子家庭の中学生のワカナ。それぞれの重荷を負いながら暮らす日常の中で生きる意味を問う映画でした。
    • 出来損ないの者として…今日は第一主日で、礼拝のなかで聖餐(せいさん)のときを持ちます。私たちは完全無欠、品行方正、敬虔な者として礼拝、聖餐に招かれているのではありません。ありのままの自分として、ひとりの罪人として、出来損ないの者として招かれています。ここに主の愛があります。罪人を招き、赦し、祝福するために主は来られ、あがないとなられたのです。主の前に、そして隣人の前に隠し事をする必要も、悩みや不安、重荷をひとりで負うこともないのです。
    • 生きる意味、それは…映画『あん』で徳江が「ねえ、店長さん。わたしたちはこの世を見るために、聞くために生まれてきた。だとすれば、何かになれなくても、わたしたちには、生きる意味が、あるのよ。」と語る場面がありました。また、徳江が「どら春」で働かせて欲しいと思った理由を「店長さんの目がとても悲しそうだったから(…)それは昔のわたしの目と同じだったから」と明かしています。
  • 共に生きること…わたしたちはイエス様の十字架で裂かれた肉と流された血(霊的食物)を聖餐で共に食し、赦しと新しい生命と祝福を受け、恵みと平安のなかで霊的成長していきます。具体的にこの世で隣人と共に喜び、泣き、悩み、励まし、伴走しつつ、日々新しくなっていきます。
  • 結び…新しい週、主の十字架のあがないによって隔ての壁を壊され、主との交わり、隣人との交わり、そして自分自身との交わりに生き、成長する皆さんお一人ひとりであるよう、祝福して祈ります。

You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.

アーカイブ ログイン お問い合わせ