Posted on 05/08/2016 at 19:10, by matsumoto
彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。(使徒の働き2章7節)
- はじめに…先週5日、可児市にある「バラ園」に出かけてきました。ほとんどのバラは、まだ蕾(つぼみ)でした。その広大な「バラ園」の一角に日本庭園があり、そこに茶室「織部庵(おりべあん)」があります。一度そこでお茶を一服いただきたいとのかねてからの念願叶い、至福のひと時を過ごすことができました。
- 躙り口…「織部」というのは、戦国武将で茶人の古田織部のことで、利休七哲の一人です(キリシタンであったという説もあります)。七哲には、キリシタン大名の高山右近、細川ガラシャの夫の細川忠興がその名を連ねています。「わび茶」の宗匠の千利休自身がキリシタンであったという確証はありませんが、その妻・おりき(宗恩)がキリシタンであったことから、キリスト教に対する関心が大きかったことは間違いないでしょう。事実、茶室の「躙り口(にじりぐち)」は、「狭き門から入れ」(マタイ福音書7章13節)を元に考案されたと言われています(千宗室氏)。
- 門…イエス様は「わたしは(羊の)門です」(ヨハネ福音書10章7、9節)とおっしゃいました。そして「わたしは羊のためにいのちを捨てます」(同15節)ともおっしゃいました。先日、イエス様の夢を見ました。それは十字架からイエス様の血潮が音を立てて内側に注がれる夢でした。まさに贖いの血潮でした。この血潮の注ぎが生命の水(=聖霊)の通路を創る主の働きでした。「明日、心臓の手術をする」と言う主の声がしました。主のお心を自らの心として生きるという事と受け止めました。
- ガリラヤの人に…聖霊降臨は、自らの欠けと弱さを知っている者、ガリラヤの人の上に注がれたのです。バベルの塔を築いて神の座に近づこうと企てる時、混乱が生じ、分裂が生じますが、悔いし砕けた心で、ひとつ心になって祈る時、豊かに聖霊が一人ひとりの上に臨まれます。
- 結び…羊の門であり、躙り口である主イエス様の内に入って、平安を得るよう祝福して祈ります。
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