Posted on 05/22/2016 at 02:44, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『内なる至聖所』(ヨベルの年 第37週)(2016.5.22)

写真=可児市バラ園(花フェスタ記念公園ホームページより)

人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。(エペソ人への手紙3章19節)

  • はじめに…先週18(水)から20(金)の3日間、当教会をメイン会場にして『霊性牧会クリニック』を開催しました。参加された皆さん、それぞれ主から恵みを受けて帰路につかれました。今回、初の取り組みとして、岐阜県可児市にあるバラ園へ出かけ、美しく咲いた数万本の色とりどりの神様が創造されたバラを観賞した後、茶室『織部庵』で抹茶を頂き、その後、セミナーをしました。ウグイスの声、水の音、さわやかな風の中で聞く御言葉は、心の中に染み入るようでした。
  • 神の子どものイメージ…今回のセミナーの主要テーマは、「神の子どもとしてのイメージ(意識)を持つことの大切さ」でした。崩れたイメージを持つと行動も崩れたものになります。神の子どものイメージを創るために神様は、いのちの木と善悪の知識の木を創られました。本能的イメージは(自分にとって都合の)善いもの(あるいは場所)を求めます。しかし主は、いのちの木の実を食べることを求められます。「善悪の実を食べると死ぬ」ということが神様の御言葉です。“死ぬ”というのは自意識が強くなって、神様との私たちとの関係が切れる、すなわち死ぬことになるのです。聖霊の臨在が有るか無いか、これが重大問題です。
  • 内なる至聖所…至聖所(聖霊の臨在される場所)から出て来る御言葉に、たましい(知・情・意)が反応して、身体を通して現れるのが、霊的原則です。霊(内)と身体(外)は結ばれています。見えない根(父なる神)に幹がつながり、幹(イエス様)に枝がつながり、枝(私たち)に果が実り、花が咲きます。御言葉と祈りによって、内なる至聖所に聖霊の臨在が満ちてきます。神様が喜ばれる祈りが聖霊の祈り、すなわち異言の祈りです。
  • 結び…私たちの内なる至聖所に聖霊様が臨在され、歩みを共にしてくださっています。祈りと御言葉によって、ますます私たちの内側をイエス様の愛で満たしてくださり、外側に輝き出してくださいます。皆さんお一人ひとり、イエス様の愛を思い、感じ、行動される一週間となることを信じ、祝福をお祈りします。

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