Posted on 08/01/2016 at 19:28, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『洗盤(聖なる幕屋 その9)』(ヨベルの年 第47週)  (2016.7.31)

 

「洗いのための青銅の洗盤と青銅の台を作ったなら、それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れよ。」(出エジプト記30章18節)

 

  • はじめに…先週金曜日に、私の父が、閉塞性動脈硬化症の手術(カテーテル治療)をしました。手術は順調に進み、今日の午後退院の予定になっています。ここ数年来、脚腰にしびれと痛みがあり、自宅の階段を上るのがやっとという状態だったのですが、手術で血流が改善して歩行が楽にできるようになることを期待しています。そして主に近づくための歩みになることを願います。
  • 女たちの鏡で作った…さて、今日は幕屋の器具のひとつである“洗盤”から、その霊的意味を共にみことばを通して学びたいと願っています。洗盤は、「会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。」(出エジプト記38章8節)と記されています。女性にとって鏡は、日々の身だしなみ(オシャレも含めて)にとっての重要なツールでしょう。その鏡を、洗盤を作るために差し出したのです。
  • 外見から内面へ…女性の尊いささげものによって、自分自身の外見を映す鏡が、霊的内面を映し出す洗盤になったのです。洗盤は祭壇と聖所の入り口の間に置かれました。つまり洗盤の両面には、あがないの祭壇(=十字架)と創造主との交わりの入り口、通路(=キリスト)を映し出していました。そして聖所で仕える祭司の姿を映し出しました。それを支える台はイエス・キリストです。
  • きよめの水…洗盤の中には“水”が入れられています。水は「みことば」であり「聖霊」の象徴です(エペソ5章26-27節、テトス3章5節参照)。祭壇は罪人のためにあり、洗盤(と中の水)は聖徒のためにあるのです。「私たちは、血のゆえに安全である(祭壇)。私たちは、みことば(聖霊)のゆえに確かである(洗盤と水)」(ルース・スペクター・ラセール)。イエス様は最後の晩さんの前に、弟子たちの足を洗われました。そして「(足以外)全身きよい」(ヨハネ福音書13章10節)と言われました。イエス様が私たちの足を洗って下さり、その足で大胆に主の食卓(祝宴)に近づくことが出来るのです。
  • 結び…今週、主への愛の応答として自分自身の大切なものを主にささげ、私たちの思いを遥かに超える、主の愛の恵みに皆さんお一人ひとりが与かられるよう、祝福して祈ります。

You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.

Comments are closed.

アーカイブ ログイン お問い合わせ