Posted on 01/08/2017 at 19:42, by matsumoto
なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。(ヨハネ黙示録7章17節)
- はじめに…先週一週間は、元旦の二部礼拝に続いて、祈りのための来客、お見舞い、そして仕事始めと、内容のぎっしり詰まった“福袋”のような一週間でした。私たちの小さな脳みそと身体は、すぐに飽和状態になり、処理不能になってしまいます。人間には限界があります。
- いのちと力の源…しかし、そんなとき、御座におられる主に心静かに祈ると、不思議と爽快な風が吹きはじめ、清い水が流れはじめます。新たないのちと力が与えられます。このいのちと力の源となる祈り、礼拝が、すなわち、天における霊的礼拝です。この地上にありながら天上の礼拝を捧げているのです。なぜなら、主イエス様が十字架によって、この地と天の霊的通路を開いて下さっているからです。
- 涙を拭って下さる主…その小羊なる主は、礼拝を捧げる私たち一人ひとりの涙を拭って下さる方だと、御言葉は語っています。この地にあって私たちは、どれほど多くの涙を流して来たことでしょう。自分自身の不甲斐なさのためにひとり悔し涙を流し、人間関係のもどかしさゆえの悲しみや憤りの涙を流したことでしょう。これからも涙することでしょう。しかし、そのすべてをご存知の主が、その都度、涙を拭い去って下さるのです。
- 涙される主…私たちの涙を拭って下さる主ご自身、どれだけ私たちのために涙されたことでしょうか。今、御許から離れて闇をさまよっている魂を思って涙されておられるでしょう。あるいは病気で苦しんでいる魂、故なき不条理に遭っている魂のために、ラザロの死を前にして涙されたのと同じように、涙されておられるのではないでしょうか(ヨハネ11章35節)。しかし、その涙の先にあるものは…。そうです。復活です。
- 結び…私たちの涙を拭って下さる主、また自ら私たちのために涙される主、そして自らを十字架に委ね、贖い、復活のいのちを与えて下さった主に栄光がありますように。
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