Posted on 09/17/2017 at 17:17, by matsumoto
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケ人への手紙 第一5章16-18節)
- はじめに…先週は、シューマン波(地球の周波数)が徐々に上昇しているということをお話ししました。さらにシューマン波と脳波には密接な関係があること、脳波が上がれば怒り・不安の感情に支配されることをお話ししました。このような環境だからこそ、新天新地を望み見つつ、祈って脳波を低く維持することが大事なこと、信仰者の使命だというお話をしました。
- 時間が無い…ある方からの質問。「李天秀牧師の本を読むと、一日のうちである一定の時間を聖別して祈り(異言の祈り)をするように勧められていますが、日常生活(家事・仕事・子育て)が忙しく、祈りの時間が確保できないのですが、そんなときは“ながら”でもいいのでしょうか?」。もちろんOKでしょう。神様の望みは“絶えず祈りなさい”ということですから。一定の時間を聖別して祈ることが勧められているのは、祈りの楽しさ、素晴らしさ、喜びを体験することが大切だからです。
- 祈りは生理現象…鼻歌の感じで祈れたら最高です。“ねばならぬ”ではなく、祈りは信仰者にとっては生理現象なのです。なぜなら祈りは“霊の呼吸”だからです。メディアにもしばしば登場する脳科学者の中野信子さんの著書で『脳科学からみた「祈り」』という本があります。ポジティブ(利他的)な祈りは、「ベーターエンドルフィン」や「ドーパミン」「オキシトシン」などの“脳内快感物質”と呼ばれる物質が分泌されるそうです。つまり、多幸感や快感をもたらし、脳を活性化させ、身体の免疫力を高めるとのこと。また、記憶力が高まり、集中力も増すと、いいことずくめです。ギリシャ語で人間はアンスローポスと言いますが、これは、上(アナ)と顔(プロソーポン)を合わせた語です。ですから人間は“顔を天に向けて祈る者”です。人間は祈る者として神様から創造されたのです。祈ることは人間が人間になる、わたしが本当のわたしとして生きることに他なりません。
- 結び…神様に向かって祈る者として、本当のわたしを生きる皆さんでありますように。
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