Posted on 10/08/2017 at 16:03, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『祭りの終わりの大いなる日』(2017.10.8)

 

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。(ヨハネ福音書7章37節)

  • はじめに…不穏な政治の動きに対抗するように、各種ノーベル賞の発表がありました。平和賞はICAN (核兵器廃絶国際キャンペーン)、文学賞はカズオ・イシグロ氏に。イシグロ氏は20代の頃にはホームレス支援活動をしていたこともあったり、「弱者への優しい視点」を持っていたと、従妹の正木うらら氏(神戸ルーテル神学校ギリシャ語講師)は述べています(毎日新聞)。また地元メディアも取材に対して「物語の語り方によっては、人種や階級や民族性といったバリアを超えられるはずだと、僕は常に信じてきた」とイシグロ氏は答えています。
  • 主との出会い…イシグロ氏は長崎出身で5歳のとき父の仕事の関係でイギリスへ移住。「教会の聖歌隊に入り、英語を学び、音楽を学んだ」と地元の教会の人々。教会との出会い、そしてイエス様との出会いが、その後の人生の支柱になっていることは疑いの余地はないでしょう。そして文学を通して、人類のこの世界の縛りからの解放の働きを続けているのでしょう。
  • 大いなる日…仮庵の祭は7日間行われる祭ですが、1日1本ずつ川辺から柳の木を切って、祭壇の西南に立てました(柳は1日で枯れてしまいます)。そして最終日に、新しく立てた柳の木にシロアムの池から汲んで来た水とぶどう酒を注いだのです。そこは祭司の庭で普段は祭司の他は誰も入ることができませんが、この日だけはイスラエル巡礼者、女性、子どもも入って参加することができたのです。今、まさに枯れようとしている柳(=別名・ホサナ)を前にして人々は「ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください」(詩篇118篇25節)と叫んだのです。そして、まさにその時、その場所でイエス様が「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい」(ヨハネ7章37節)と叫ばれたのです。
  • 旧約と新約の中心点…不思議なことですが、旧約の最初の書、創世記1章から2章、3章と数え、また新約の最後の書、ヨハネ黙示録22章から21章、20章と数えていくと、あたかも山の両側からトンネルを掘っていき、中央で出会うように詩篇118篇で出会います。もっと言えば詩篇118篇15節「喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある」とのみことばが聖書の中心になります。
  • 結び…救いと喜び、いのちの宝は、主を求める皆さんのただ中にあります。

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