Posted on 11/26/2017 at 11:42, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『歩み寄って来られるイエス様』(2017.11.26)

 

そのころ、エルサレムで、宮きよめの祭りがあった。時は冬であった。イエスは、宮の中で、ソロモンの廊を歩いておられた。(ヨハネ福音書10章22-23節)

  • はじめに…時間が過ぎるのはあっという間という感じがするのはわたしが歳を取ったせいでしょうか。とにかく早い。次主日にはアドベント(待降節)に入ります。ちょうどこの時期にユダヤ教では「ハヌカーの祭り(宮きよめの祭り)」が祝われます。過越しの祭りに次ぐ祭日となっているほどです。前168年にシリヤの王アンティオコス4世エピファネスによって汚された神殿をきよめて、神に再奉献した出来事を記念し、前165年にユダス・マッカバイオスによって制定された祭りです。
  • 神? 気違い?…「エピファネス」とは「現人神」という意味です。アンティオコス4世は自分を呼ぶ呼称として「エピファネス」と呼ばせていたようです。その王に対してユダヤ人は「エピマネス」(気違い)と、ことばをもじって陰口をたたいていたそうです。人が神となることは、狂気の沙汰です。しかし神が人となられたイエス様です。狂気とはまったく逆の出来事です。というより、人間に対する愛(アガペー)で狂っているという方が正確かも知れません。しかし、パリサイ人を筆頭に多くのユダヤ人は、イエス様を「悪霊につかれて気が狂っている」(ヨハネ10章20節)と決めつけました。
  • 光の祭典…また、ハヌカーの祭りは別名「光の祭典」とも言われます。最初の晩に一本目のローソクを灯し、二本、三本、そして最後の晩に八本目のローソクをハヌキヤと呼ばれるメノラーに火を灯します。この一年でもっとも闇が深くなる季節に、一晩、一晩、少しずつ光が増していく様は、抑圧されている者、くずおれている者、孤独な者、そして私たちに希望のメッセージを伝えます。
  • 再奉献…私たちは、神の神殿です。主の年2017年の歩みのなかで、知らず知らずのうちに、あるいは意識的に、あるいは止む無く汚れを身に帯びたことでしょう。その汚れと闇のなかに、いのちの光、希望の光として、救い主イエス様が歩み寄って下さり、汚れと闇を追い払い、新たな力を与えて下さいます。
  • 結び…私たちのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげ、霊的な礼拝をもって2017年の締めくくりができますように(ローマ12章1節)

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