Posted on 12/03/2017 at 17:15, by matsumoto
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」(ヨハネ福音書8章58節)
- はじめに…本主日からイエス様のご降誕を待ち望むアドベントに入りました。私たちはアドベント・クランツに4本(5本)のローソクを立てて、アドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯していきます。今日はその1本目で「アブラハムのキャンドル」です。主の約束を信じて信仰の歩みを始めた“信仰の父”ゆえに、約束の成就としてのイエス様の誕生へと引き継がれてきたことを想起するキャンドルです。
- アブラハムの信仰…まず「信仰とは何か?」という問いに対して、もっとも明快に告げているのはヘブル人への手紙11章1節でしょう。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」。その信仰によってアブラハムは、数多の困難を乗り越えながら人生行路を歩み続けました。(もちろん失敗も)①主のみことばに従って(75歳の後期高齢者で)旅立ちました(創世記12章1-4節)②「全能の神」を(99歳の白寿で)知り、全幅の信頼をもってひれ伏した(同17章1、17節)③ひとり子イサクをモリヤの山で主にささげた(同22章9-13節)のです。このアブラハムが“天の故郷”に想いを向け、また、死者の復活を信じていたことをヘブル人への手紙は伝えています。これこそ信仰の父、信仰の祖と呼ばれるにふさわしい生き様です。
- アブラハムが生まれる前…このアブラハムの信仰は、アブラハムの父、テラから受け継がれたものではありません。テラはウルからカナンに向けて、アブラハムと一緒に旅立ちましたが、途中のカランに住みついて、そこで一生を終えています(同11章31、32節)。テラは目に見える現実を前にして、その場にとどまりました。しかし、アブラハムは天の都(主の臨在)を望み見て喜び歩みを進めたのです(ヨハネ8章56節)。「信仰の創始者であり、完成者」であるイエス様は、アブラハムが生きているとき、さらには生まれる前から存在していたのです。イエス様(みことば)によって世界(万物)は保たれているのです(コロサイ1章15-17節)。私たちはイエス様ご自身である“みことば(の真理)”によって生きる自由を与えられているのです(ヨハネ8章32節)。
- 結び…いのちの光としてこの世に来て下さり、十字架と復活により、罪から解放し、自由と希望に生きる新しい道を拓いて下さるイエス様がおられます。
You can follow any follow up comments to this entry through the RSS 2.0 feed.
|