Posted on 01/01/2018 at 19:26, by matsumoto
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(ヨハネ福音書4章14節)
- はじめに…主の年2018年、明けましておめでとうございます。昨年の10大ニュース①Tさんの病床洗礼(1/22)、②Rさん、Mさんバプテスマ(2/26)、③Fさん葬儀(3/22)、④長野・伊那へ(4/4)、⑤いとすぎ霊性セミナー(5/23-24)、⑥職場で新規事業立ち上げ(7/1)、⑦利用者・Iさん出棺・見送り(9/17)、⑧Tさん召天(9/27)、Kさん・Sさん結婚式(11/18)、⑩Mさんとの関わり(12/16~)。ほぼ月毎に大きな出来事があり、気持ちの張りつめた状態が続きました。何とか主に祈ることで乗り越えて来た、そんな1年でした。
- 2018年主題・聖句…やはり、2018年も自分の能力や努力では乗り越えることのできない現実と向き合う年になるのでしょうか? そう考えると肉体的にも霊的にも疲れ果てて、エネルギーが枯渇してしまいそうです。しかし、そんな私たちに対して、今年もイエス様が近づいて来てくださり、「わたしが与える水を飲みなさい」、そんな風に御声をかけてくださる、そう信じています。
- 壁を破られるイエス様…主題聖句は、イエス様とサマリヤの女との会話の一節です。当時、ユダヤ人とサマリヤ人との間には人種的・宗教的・社会的な壁がありました。お互いの存在を遠ざけていました。ですからユダヤ人がサマリヤ人に近づき、話しかけ、頼みごとをすることは、考えられないことであり、型破りな振る舞いだったのです。しかしイエス様は、そのようにして堅固な壁を破り、霊の通路を開き、瑞々しいいのちを与えたのです。それはギホンの泉からシロアムの池に水を送り、その水によっていやされた盲人が、主を、喜びを持って礼拝する者となることと同じく、霊・魂・身体の全人格的いやしの出来事です。
- 結び…新しい主の年2018年、私たちが直面する困難な出来事、あるいはこころ踊る出来事、それらすべてにイエス様が関わってくださり、そのイエス様の愛を実感し、喜びと平安をもって主に礼拝をささげる1年となることを期待します。
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