Archive for 6月, 2026

Posted on 06/20/2026 at 08:55, by matsumoto

ユダヤ人キリスト者と共に ベハアロテハ(あなたが載せる時)(2026.6.21)

《聖書箇所》民数記8:1-12:16/ゼカリヤ書2:14-4:7/ヨハネ19:31-37,ヘブル書3:1-6

《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~

荒野の道標 ——奉仕者の系譜の頂点へ

幕屋の傍らで聖別されたレビの奉仕を受け継ぎ

祭司の家に生まれた男は、神殿を離れて荒野に立つ

彼は悔い改めの水を注ぎ、主の臨在のために民を整え

ゼカリヤが告げた「油注がれた者」の幻をその身に宿す

彼が指し示したのは、崩れゆく石の宮ではなく

王の威厳と祭司の執成しを帯びた「真の神殿キリスト」

ヨルダンの川辺で、彼はまだ見ぬ十字架の丘を見つめ

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と最初に叫んだ

骨の一本も砕かれず、血と水を流す過越の成就を

だれよりも早く、歴史の闇のなかに見抜いていた預言者

モーセが忠実に仕えた旧き家の、最後のしもべであり

御子が建てられる新しい家の、扉を押し開く者

「主は盛んになり、私は衰えねばならない」

旧約と新約を貫く一本の線となり、彼は今も神の前に立つ

Posted on 06/13/2026 at 05:58, by matsumoto

ユダヤ人キリスト者と共に ナソ(調べる)(2026.6.14)

《聖書箇所》民数記4:21-7:89/士師記13:2-25/ヨハネ7:53-8:11,使徒21:17-32

《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~

恵みの座

乾いた荒野のただ中で 私たちはそれぞれの荷を背負う

目立たぬ柱を、地味な幕を 主の幕屋のために運ぶ日々

一見、小さく思える務めも すべてはあなたの臨在を取り囲むもの

私たちが捧げる貧しい祈りは

「恵みの座」の奥深く、主の声へと繋がっている

けれど、私たちの手はあまりに弱く 満たされぬ不毛の荒野をさまよう

自分の力で行き詰まるとき あなたは「不思議」という名で現れ

私たちの不可能性のただ中に 聖なる新しい命を宿される

聖なる光が、暗闇を照らすとき

私たちは律法の石を手に握りしめ

他者の罪を、自分の正しさで裁こうとする

「罪のない者が、まず石を投げよ」

主の静かな一言に、石は手からこぼれ落ち

誰もいなくなった静寂の中で ただ一人、真に聖なる方が立っておられる

「わたしもあなたを罪に定めない」

その声は、断罪の石を砕き

真紅の十字架となって、私たちの罪を覆う

そこが、真の「贖いの座」 そこが、私たちの命が生まれ変わる場所

赦された者は、もう恐れない

誤解の嵐が吹き荒れようとも

パウロのように、すべての人の友となり

与えられた道を、ただ主のために駆けてゆく

私たちはあなたに選ばれ、取り分けられた者

完璧だからではなく、ただ愛されたから

さあ、キリストの「恵みの座」へ進み出よう

この弱さのままで、赦しの歌を響かせながら

 

Posted on 06/07/2026 at 06:47, by matsumoto

ユダヤ人キリスト者と共に バミドバル(荒野にて)(2026.6.7)

《聖書箇所》民数記1:1-4:20/ホセア書2:1-22/ルカ2:1-7/①コリント12:12-31

《ギホンの泉》~分かち合いの呼び水~

『主の数え方』

国が記録簿に私たちを ただの「数字」として書き込むとき

宿屋の隅にも 私たちの場所はなかった

弾き出された暗闇のなか

飼い葉桶の冷たさのなかで

まことの王は 産声をあげられた

世の枠からはみ出した 小さな私を見つけるために。

主の記録簿は それとは違う

荒れ野を行く 果てしない足音のなかに

無駄な名前など ただの一つもない

あなたはここを歩みなさいと

一人ひとりに 固有の持ち場が手渡される

たとえ私たちが そこを逃げ出し

愛を忘れて 道に迷っても

「あなたはわたしのもの」と

泥にまみれた手をとり 再び抱きしめる

あの激しいほどの 約束の炎。

いま、私たちは集められ ひとつの身体になる

目は手に「要らない」とは言えず

足は「私なんか」と うつむくこともない

形が違うからこそ 補い合い

ひとりが痛めば みなで涙を流す

私たちは 交換のきく部品ではなく

生きて血の通う キリストの体。

世の数字に 惑わされることはない

主があなたを そして私をそこに置かれた

あなたにしか 生きられない場所がある

今日もその居場所で 軽やかに息をして

互いの存在を 喜び合おう。

いのちの泉は今日も静かに湧き続ける

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