Posted on 06/28/2020 at 15:58, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『三不可と幸せの四因子』(イエス・キリストの生涯 その114)(2020.6.28)

神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。(ピリピ人への手紙2章8節)

  • はじめに…昨晩、青年時代からの教友のSさんから電話がありました。Sさんの義父Kさんが一昨日召天したとのことでした。一年ほど前から老人介護施設で生活をするようになり、自力歩行は困難となり認知症も進行する中で、最後は所属教会の牧師が駆け付け、聖書を読み、祈ると、それまで虚ろだった目の焦点ははっきりし、みことばと祈りに耳を傾けていたということでした。Kさんは私の人生にとって、忘れることのできない方です。是々非々のはっきりした一途な性格の方でした。「ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです」(ピリピ3章13-14節)と語ったパウロ同様の熱情を持っていました。今、走るべき道のりを走り終え、天国の門の向こう側で義の栄冠(crown<英語>/ corona<ラテン語>)をイエス様から戴いて(②テモテ4章7-8節参照)、笑顔を輝かせているKさんを想像します。
  • 三不可…内村鑑三の弟子で、元東大総長の矢内原忠雄は、上述のピリピ書を “三不可”として表しました。「うしろを見るべからず、前を見よ/おのれを見るべからず、上を見よ/人を見るべからず、神を見よ」と。“うしろ”とは過去への愛着、言うなれば出エジプトしたイスラエルの民がエジプトの「肉鍋」恋しさに現状の窮状に不平不満を呟く状態、“おのれ”とはあまりに小さく孤立状態にある古い自分、そして自分との優劣や後先の比較対象としての他人。そのようなものに肉の目を向けるのではなく、新しく啓かれる現在と将来、罪赦され、復活の希望、御国に生きる新しい自分、そして比較対象ではなく、共に生きる創造の主なるイエス様に霊の目を向けるとき、主からの祝福、幸いが頂けるのです。
  • 幸せの四つの因子…ところで、「幸福学」という研究分野があります。その研究(因子分析)から“幸せの4つの因子”が明らかになっています。①「やってみよう」因子②「ありがとう」因子③「何とかなる」因子④「ありのまま」因子の4つ。各々みことばと対応させることができます。①ピリピ人への手紙4章13節Ⅰテサロニケ人への手紙5章16-18節マタイによる福音書6章34節イザヤ43章4節
  • 結び…“三不可”と“幸せの4つの因子”の源である、みことばとイエス様の在り様、そして信仰の先達の証しした生き様に目と心を向け、今から一歩を踏み出せる幸いを主に感謝します。

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