Archive for 4月, 2017
Posted on 04/30/2017 at 20:41, by matsumoto
「イスラエル人に告げて言え。わたしがあなたがたに与えようとしている地に、あなたがたがはいり、収穫を刈り入れるときは、収穫の初穂の束を祭司のところに持って来る。(レビ記23章10節)
- はじめに…2017年のペンテコステ(五旬節/七週の祭り)は6月4日です。レビ記23章16節に「七回目の安息日の翌日まで五十日(ギリシア語でペンテコステ)を数え(…)」とあるように、過越の後の安息日が第1回目、それから七回目の安息日の翌日がペンテコステということです。古代イスラエルでは、その間、つまり50日間、大麦の束1オメル(約2・3㍑)を毎日、神殿に捧げたのです。その最初が“初穂の祭り”と呼ばれています。ちなみに2・3㍑=2・3キロ㌘だとすると、麦穂ひとつ=約1・5㌘(30粒)で、ひと束には麦穂1530本。とすると、両手で抱えられる量を捧げたということになります。あるいは新生児(初子)の体重と同じ量ということかも知れません。
- 黄金色の大麦…この時期になると、壱岐の島を黄金色に着飾る大麦畑を想い起します。また爽やかな風によってできる穂波が脳裏によみがえります。“初穂”はよみがえり、すなわち復活の主イエスご自身の象徴であることを、使徒パウロは伝えています。「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」(Ⅰコリント15章20節)。イエス様ご自身、麦について奥義を語られています。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます」(ヨハネ福音書12章24節)。主にあってすべての者が生かされる、主ご自身がすべての生命の源です。それゆえ、あの五千人の給食の奇蹟の出来事が起こったことは、自明の理だといえます。生命の主の御手に握られるなら豊かに実を結びます。「また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった」(マルコ福音書4章8節)
- 初穂…豊かな実り、そして生命の源である主イエス様。初穂なる復活のイエス様によって生かされている私たちは、将来、イエス様が再臨されるときに向けて、日々、永遠に父なる神の子として、そしてイエス様の花嫁として、被造物の初穂として生きる者とされています(ヤコブの手紙1章18節)。
- 結び…被造物の初穂として生きる者としてくださった主に栄光がありますように。
Posted on 04/27/2017 at 03:48, by matsumoto
こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。(使徒の働き1章9節)
- はじめに…先週の4月18日は、眞津代牧師の誕生日でした。皆さんに祝っていただき、感謝でした。そして昨日22日は、私たち夫婦の結婚記念日でした(結婚式の翌日がイースターでした)。いとすぎ教会開拓時、主から「7年待ちなさい」とのみことばをいただいていましたが、その7年、さらに遡って牧会をはじめた当初まで振り返るときとなり、主の導きを想い起させていただきました。
- 復活後…イエス様は、復活されて後、40日にわたり、多くの人々の前に、その姿を現され、神の国のこと、聖霊のことを語られました(使徒の働き1章3、4、8節)。今日のテキストでは、“こう言ってから”とのみことばで語り始められています。どう言われたのでしょうか? 「聖霊(=聖所の霊/ヘブル語訳)が臨まれるとき、力を受ける」「わたしの証人となる」(同8節)とイエス様は語られました。
- 40… “40”というのは象徴的な数字です。イスラエル民族がエジプトを出てからの40年の荒野の旅路。そしてイエス様は、宣教を始められる前、サタンから荒野で40日間、誘惑を受けました。その後、イエス様は「御霊の力」を帯びてガリラヤに帰られと聖書に記されています(ルカ福音書4章14節)。イエス様ご自身が“聖霊の力”を帯びておられたのと同様、弟子たちにも聖霊が臨み、力を得ることをイエス様が約束されました。そう語られて後、イエス様は昇天されたのでした。
- 昇天後…イエス様が昇天された後、弟子たちはエルサレムへ帰り、婦人たちやイエス様の兄弟を含め、120人ほどの人たちがひとところに集まり、祈っていました。この“祈り”は、どんな祈りだったのでしょうか? おそらく「主の祈り」を基本にした祈りだったでしょう。弟子たちはまず、祈って待ちました。イエス様もいやしなどの御業を為す前、いつも祈られました(マタイ8章3節、マルコ1章4節、ルカ5章13節の前後の文脈参照)。
- 結び…私たちもイエス様と弟子たちに倣って、まず祈って待つときを持ちたいと思います。
Posted on 04/16/2017 at 19:31, by matsumoto
イエスは彼らに言われた。「子どもたちよ。食べる物がありませんね。」彼らは答えた。「はい。ありません。」イエスは彼らに言われた。「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。」そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。(ヨハネ福音書21章5-6節)
- はじめに…私たちの最初の赴任地は長崎県の壱岐の島の小さな教会でした。当然、財政的には貧しく、私は、ふたつのアルバイトを掛け持ちして生活費の不足分を補っていました。ひとつは新聞社での校正、もうひとつは知的障がい者の授産施設の送迎の仕事でした。その送迎のとき、助手席に乗った青年が、私が車のダッシュボードの載せていた聖書を見て、「弁当箱ですか?」と尋ねました。確かにそうです。
- みことばで満ちる…ペテロたちは、失意落胆のなかで、再び網を手に取り、漁に出かけました。しかし、何も取れませんでした。そのペテロたちにイエス様は「食べる物がありませんね」「舟の右に網をおろしなさい。そうすれば、とれます」(ヨハネ福音書21章5、6節)と御声を掛けられました。すると153匹の魚が獲れた、そう聖書は記しています。復活のイエス様のない生活は、虚しいものです。しかし復活のイエス様を見出した生活(というよりむしろ復活のイエス様に見出された生活)は、恵みで満ちます。復活のイエス様は、私たちの歩みを見つめ、御声を掛けてくださり、恵みで満たしてくださいます。
- 再召命…そして復活のイエス様は、3度「そんな人は知らない」と否んだペテロに対して、3度「あなたはわたしを愛しますか?」と尋ねられ、「わたしの羊を飼い(牧し)なさい」と、再び召命の御声を掛けられました。復活のイエス様は、私たちの取り返しのつかない失敗を責められることなく、再出発のための使命を与えてくださいます。第1の使命は、私たちが主ご自身を愛することです。
- 結び…2017年のイースター。復活の主がみなさんお一人ひとりに再出発のための新たな使命を与えてくださっています。
Posted on 04/09/2017 at 19:44, by matsumoto
そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
(マタイによる福音書27章50節・ヨハネによる福音書19章30節参照)
- はじめに…私たちは、日々の暮らしの中で、知らずしらずのうちに身体が緊張し、胸が縮こまり、精神的・霊的視野が狭くなっています。そんなとき、数時間でも日常から少し離れ、小高い山を見上げるだけでもリフレッシュできます。「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(詩篇121篇1-2節)
- 十字架の七言…さて、今週は“受難週”です。今しばらくのとき、ゴルゴタの丘を見上げ、十字架のイエス様を仰ぎ、イエス様の語られた十字架のことばに耳を傾け、みことばの奥義を聞きたいと願っています。イエス様は十字架で七つのことばを語られました。①父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか、 自分でわからずにいるのです(ルカ23章34節)、②まことにあなたに告げます。あなたはきょうわたしとともにパラダイス(=ヘブル語訳でエデンの園)にいます(同43節)、③女の方、そこにあなたの息子がいます。そこに、あなたの母がいます(ヨハネ19章26節)、④わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか(マタイ27章46節)、⑤わたしは渇く(ヨハネ19章28節)、⑥完了した(同30節)、⑦父よ。わが霊を御手にゆだねます(ルカ23章46節)
- もう一言…実は七つのことばの他に、もう一言あります。今日のテキストにあるように、“大声での叫び”です。この最期の絶叫の後、神殿の聖所と至聖所を仕切っている幕が、上から下まで真っ二つに裂けたのです(マタイ27章51節)。年に一度、大祭司だけが入ることが許されていた至聖所(神の臨在の場所)への道が、すべての人に開かれたのです。父なる愛の神との親密な、永遠の交わりへの道が開かれたのです。そしてイエス様は、“息を引き取られた”のです。一般的にこのことばは「死んだ」ことを意味するのですが、原語は“霊を解き放たれた”です。つまり霊が解放されて(死の束縛から)自由になった状態です。
- エデンの園の復興…ゴルゴタ(がい骨)と呼ばれる死の丘が、十字架のイエス様によって祝福の源であるエデンの園の復興の歴史のスタートとなったのです。それは主に対する“ゆだね”から始まります。
- 結び…握りしめているものを手離して霊の解放を味わう一週間となりますように。
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