Archive for 7月, 2017
Posted on 07/30/2017 at 14:49, by matsumoto
それから、私は、天からのもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わが民よ。この女から離れなさい。その罪にあずからないため、また、その災害を受けないためです。 (ヨハネ黙示録18章4節)
- はじめに…先週、先々週と夏季休暇をいただき、祈りと賛美の礼拝を眞津代牧師と二人で捧げました。イエス様がしばしば寂しい所へ一人退いて祈られ、疲れをいやし、新たな力に満たされたように、祈りによって、蓄積した疲れをいやされ、聖霊による新たな力を得させて頂いたと感じています。
- 日野原先生召天…この二週間でもっとも大きなニュースは、日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長)の召天(享年105)でした。医師として戦時中は東京大空襲の被災者の治療に従事し、70年の赤軍派による「よど号ハイジャック事件」の日航機に乗り合わせ、そこから無事生還したことが、のちの先生の生き方に決定的な影響を与えたのでした。「今の自分のいのちは与えられたいのち。このいのちを自分のためでははなく、人のために用いることが使命」。思いがけない苦難が、先生自身の人生を益に変え、他の多くの人々の人生を益に変え続けました。
- 離れなさい…今日の聖書の箇所のキーワードは“離れなさい”です。何から離れるのかと言えば、「この女」すなわちバビロン=ローマです。政治的・経済的・宗教的、そして文化・文明的な大国です。聖書の記述は、創世記から黙示録に至るまで、人間的な文化・文明の進歩に対して批判的です。アブラハムの故郷からの旅立ちしかり、ロトのソドム・ゴモラからの脱出しかり。なぜなら、文化・文明の進歩は、往々にして神から離れ、信仰の後退、すなわちサタンの支配に置かれることが少なくないからです。物質文明が頂点に達した、その末路は滅びです。
- みことばに基づく文化…この必ず滅ぶ文明社会の中に私たちは生きています。生かされています。そこから“離れなさい”と天使がメッセージを伝えています。すなわち、この世の声(サタンの声)、人間のことばに信頼を置くのか、それとも天の声、みことばに信頼を置いて生きるのか、信仰が問われています。日野原先生はこのように言いました。「文化は命を愛するものである。命を傷つけるものは、文化でも文明でもない。」
「外科手術や化学療法の発達した今日でもなお、最も大切な治療法の一つは、キリストの時代のごとく、『言葉による癒し』なのである。」
- 結び…聖書のことばと言うと、「時代遅れ」「時代錯誤」などと冷笑されるような風潮があるでしょう。しかし、みことばは決して廃れることなく必ず成就する永遠の真理です。みことばに信頼して歩む皆さんであるよう祈ります。
Posted on 07/26/2017 at 18:59, by matsumoto
それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。(ヨハネ黙示録17章3節)
- はじめに…昨日、仕事を終えて夜空を見上げると、霞がかった満月が白く光っていました。その前日は七夕で天の川を挟んで、こと座のベガ(織姫星)とわし座のアルタイル(彦星)が夏の夜空に輝いていたことでしょう。空や月や星を見上げるとき、広大な宇宙を創られた創造の神様の存在と意志を感じます。
- 御霊に感じ…聖書66巻の最後の巻であるヨハネ黙示録は、使徒ヨハネが流刑地のパトモス島で、神様の霊感を受けてしたためた書物です。人は霊・魂・身体の三重の構造を備えています。その霊の部分によって、御使いの存在を認識し、そのメッセージを聞き取ることができます。さらに霊には、世の霊、人の霊、神の霊の3つの霊があり、御霊は、神の霊です。
- 見えないものこそ真実…霊は、目には見えません。その見えないものの内面を見る“霊の目”、つまり本物と偽物を見分ける目を持つことが大切です。
- 荒野…使徒ヨハネは、御使いによって“荒野”に連れて行かれました。しかし、そこは大淫婦と形容される物質文明を謳歌している大バビロン(偽宗教)の地でした。物が溢れ、着飾り、酒に酔う人々が行き交う大都会が眼前に広がっているところでした。それがヨハネの霊の目には“荒野”に見えたのです。
- 神から離れる…自らの力を誇り、物、金に跪き、欲にまかせてやりたい放題…。神から離れ、神をけがし、愛の冷えた荒涼とした霊的砂漠地帯として見えたのです。物質的に豊かであっても、それは本当の意味での豊かさではないのです。本当の意味で豊かと言えるのは、神様の近くにいて、親しく向かい合うことです。そのもっとも基本となるのが礼拝であり、祈りです。そこから力が与えられ、愛が与えられ、必要なものすべてが与えられるのです。そして神様から与えられたものを分かち合っていくとき、荒野に川が流れ、泉が湧き、花が咲くように、私たちの内側が満たされていき、外側へ溢れ出てきます。
- 結び…自らの力を誇ることなく、創造の神様に近づき、向かい合い、祈り、礼拝する皆さんであるよう、祈ります。
Posted on 07/02/2017 at 18:56, by matsumoto
第七の御使いが鉢を空中にぶちまけた。すると、大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来て、「事は成就した。」と言った。(ヨハネ黙示録16章17節)
- はじめに…先週、私の勤めるデイサービスで防火避難訓練をしました。訓練の最後に総評をする訳ですが、着ている衣服に火がついたときには、どのようにして火を消したらよいか?ということで、床(地面)に寝転がって火を消すというお話をしました。立ったままだと気道に火と煙が入って火傷し、呼吸困難になってしまうリスクがあるからです。火災を出さないということが大前提ですが、万が一のための訓練は大切です。
- 7つの鉢のさばき…ヨハネ黙示録16章は、“7つの鉢のさばき”の預言です。第1の鉢=悪性の腫物/第2の鉢=海が血となる/第3の鉢=川・水源も血となる/第4の鉢=太陽で焼かれる/第5の鉢=獣の国が暗黒になる/第6の鉢=ハルマゲドンに王たちが集められる/第7の鉢=空中に注がれ、かつてない大地震
- 事は成就した…第7の鉢が空中に注がれたとき、「大きな声が御座を出て、聖所の中から出て来た」と今日のテキストで語られています。この“大きな声”は、誰の声でしょうか? もちろん父なる神の声です。なぜなら黙示録15章8節で、「聖所は神の栄光と煙で満たされ、だれもはいることができなかった」とあることから、主の他、誰もいないことが分かります。そして主は、「事は成就した」と言ったのです。“言った”とサラリと書かれてありますが、ヘブル語では、“嘆いた”という意味のことばになっています。最初、わたしは「事は成就した」というのは、将棋で言えば「王手!」というような胸のすくような勝利宣言だろうと勝手に思っていましたが、実はそうではなかったのです。主は決して罪悪に対する断罪、裁きを目的にしているのではなく、どこまでも悔い改めと新しい生命を望んでおられる方なのです。頑なな心を嘆きつつ、やむなく最期の一手を指したのです。私たちに求められるのは主の前にひれ伏すことです。
- 嘆く…ダビデも、そしてイエス様も嘆きました。父なる神は嘆きを深く知っておられる方です。私たちの嘆きを聞いて下さいます。ご自身、嘆きつついやしをなし、救いの御業をなされます(マルコ福音書3章5節参照)。
- 結び…嘆きを知っておられる愛の主に、栄光がとこしえにありますように。
|