Archive for 2月, 2018

Posted on 02/25/2018 at 16:36, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『マグニフィカート』(イエス・キリストの生涯 その8)(2018.2.25)

 

(…)「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます◆主はこの卑しいはしために目を留め(…)私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます◆主は、御腕をもって力強いわざをなし(…)低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ち足らせ(…)主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、そのしもべイスラエルをお助けになりました◆私たちの先祖たち、アブラハムとその子孫に語られたとおりです。」◆マリヤは三か月ほどエリサベツと暮らして、家に帰った。(ルカによる福音書1章46-56節)

  • はじめに…先週、叔父から依頼され、“仏壇じまい”の式をしました。私の叔父は昨年、愛妻を亡くし、それから独り暮らしをしていたのですが、3月をめどに娘家族のところへ引っ越しすることとなり、「仏壇じまいをしてほしい」というのが、かねてからの要望でした。式では、伯母はすでに天国に招かれていて仏壇のなかにはいないこと、そしてあがめるべき方は、主イエス様であることをお話し、娘家族との新しい生活を始める叔父の祝福を祈りました。
  • 主をあがめる…今日の聖書の箇所は“マグニフィカート”(ラテン語)と呼ばれているマリヤの賛歌です。歌い出しがマグニフィカート(主をあがめます)から始まっているため、このように呼ばれています。このマリヤの賛歌の冒頭部分のルカ福音書1章46節(ラテン語訳)を直訳すると「わたしの魂は主を拡大します」となります。つまり“あがめる”とは、こころのなかに主の領域を拡げることだと言えます。マリヤのこころのなかに、救い主への思いがどんどん拡がり、賛歌としてほとばしり出て来たのでしょう。
  • 大きなこと…マリヤは、主をあがめる(=拡大する)根拠として、主が“大きなこと”をしてくださったから、と歌っています(同49節)。その“大きなこと”とは、救い主によるこの世の価値観を逆転させる出来事であり、その出来事に自身もあずかる者とされていることです。その大きなことは、マリヤの個人的な出来事にとどまらず、全人類の救いの出来事につながっている、永遠の契約に基づく主の出来事です。マリヤ同様、私たちも、その主の大いなる出来事の目撃者、体験者となるべく、招かれています。
  • 結び…「主の語られたことは必ず実現する」と信じきったマリヤと同じように、聖なる主に信頼し、こころのなかに主の領域を拡げつつ、主の大いなる救いの出来事に参与する皆さん一人ひとりであるよう、祈ります。
Posted on 02/18/2018 at 19:13, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『イエス誕生の告知』(イエス・キリストの生涯 その7)(2018.2.18)

 

(…)御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た(…)◆(…)「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」(…)「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです◆ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい(…)「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます(…)神にとって不可能なことは一つもありません。」◆マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。(ルカによる福音書1章26-38節)

  • はじめに…昨日は、藤井聡太(15)と羽生結弦(23)が、それぞれの舞台で歴史的な快挙を成し遂げました。「望外の結果で、本当に自分でもここまで来られると思っていなかった。とてもうれしく思っています」(藤井)「ここまで来るのにたくさんの人々に支えていだきながら、生きてきました」(羽生)
  • 事実は小説より奇なり…マリヤは、男女の営みによってではなく、聖霊によって懐妊したことを、ルカは記しています。このことは個人的な経験からも、また科学的見地からも、受け入れ難いことです。実際、当事者だったマリヤ自身、「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに」と、とまどっています。しかしどうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」と、天使ガブリエルの使信に身を委ねたのです。その後、時が満ち、みことば通り、イエス様が誕生されました。まさに歴史的快挙です。
  • 信仰…こんにちでも、マリヤの“処女懐胎”は論争になります。しかし、「主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ(…)」と使徒信条を告白しながら信仰者は2千年来、その信仰を守り抜いてきました。「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブル書11章1節/新共同訳)「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ書2章8節/新改訳)全能の神様の超自然的な出来事は、神様の恵み(助け)があって、はじめて理解(信じること、悟ること)ができるのです。アダムとエバの背信によって受け継がれてきた原罪を完全に無きものにするために、母マリヤを通して最後のアダムとしてのイエス様が、誕生したのです。
  • 結び…ことばが人となって、最後のアダム、イエス・キリストがこの世に来られ、罪の歴史から救いの新しい歴史の幕が開いたのです。
Posted on 02/11/2018 at 20:51, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『バプテスマのヨハネ誕生の告知』(イエス・キリストの生涯 その6)(2018.2.12)

 

(…)アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった(…)◆祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿にはいって香をたくことになった◆人々はザカリヤを待っていたが、神殿であまり暇取るので不思議に思った(…)◆やがて彼は出て来たが、人々に話をすることができなかった。それで、彼は神殿で幻を見たのだとわかった。ザカリヤは、彼らに合図を続けるだけで、おしのままであった◆やがて、務めの期間が終わったので、彼は自分の家に帰った◆その後、妻エリサベツはみごもり、五か月の間引きこもって、こう言った◆「主は、人中で私の恥を取り除こうと心にかけられ、今、私をこのようにしてくださいました。」(ルカによる福音書1章5-25節)

  • はじめに…先週、私も、ウン回目の誕生日を迎え、年ごとに身体の衰えを感じています。これからのち、何か大きな業績を残す訳でもなく、日々、坦々と生き、毎週礼拝を捧げ、祝福を祈り、この地上での生涯の終着駅に向かって生きて行くことが、私に与えられた主の使命でしょう。
  • 栄誉な務め…さて、祭司ザカリヤが今日の主役です。妻エリサベツとともに老齢になっていました。誠実に祭司の務めを担っていました。その中で一生に一度あるかないかの栄誉ある役が回ってきました。聖所に入って香をたく務めです。その務めの真っ只中で、天使ガブリエルが香壇の右に立ち、メッセージを伝え聞いたのです。ところが口がきけなくなり、メッセージを伝えられなくなってしまったのです。沈黙を余儀なくされたのです。
  • 祝福の祈り…当然ながら、聖所から出て、大勢の民衆の前に立って祝福する祈りも出来なくなりました。ただ身振り手振りをすることで精いっぱいでした。しかし主は恵み深く、妻エリサベツはみごもったのです。人間的な望みが無いかに思われた、そこに主の恵みは力強くあらわされるのです(Ⅱコリント12:9-10、詩篇59:16-17参照)主があなたを祝福(膝・ひざまずく・尊敬をあらわす/贈り物をする)し、あなたを守られます(いばらの垣根)ように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれます(治癒、助け、避難、強さ、救助/保護)ように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安(賠償をする/完全にする、充満にする/全体的な状態、欠乏のない状態)を与えられます(特定の場所に置く)ように
  • 結び…私たちの思いを遥かに超えた主の祝福、守り、恵み、そして平安が私たちの全存在を覆っています。
Posted on 02/04/2018 at 15:27, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『イエス・キリストの系図』(イエス・キリストの生涯 その5)(2018.2.4)

 

アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図◆アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ、◆ユダに、タマルによってパレスとザラが生まれ(…)◆ サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが 生まれ、オベデにエッサイが生まれ、◆エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、(…)◆ ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。(マタイ福音書1章1-16節)

  • はじめに…のぞみ号で名古屋から東京へ出かける場合、停車駅は? (新横浜、品川、東京)東海道線で各駅停車だと? (尾頭橋、金山、熱田…87駅)
  • マタイのプロローグ…マタイは、信仰の父(ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教にとって共通の)アブラハムから系図を書き起こし、イエス様へと繋いでいます。ただ、日本人、特に聖書を初めて開き、読もうとする者にとっては、一気に読む気力が萎えてしまう(すでに萎えてしまった?)かも知れません。しかし、ユダヤ人にとっての“つかみ”としては非常にインパクトがあることでしょう。なぜなら、アブラハム、そしてダビデは、ユダヤ人にとってのアイデンティティそのものだからです。マタイはユダヤ人読者を想定してこの福音書を書いているのです。1章1節はのぞみ号、2節以下は鈍行列車の旅で東京へ、と言ったところでしょうか。
  • ルカによる系図…一方、ルカは、異邦人(一般)読者を想定して、イエス様から順次、過去へ遡り、最終的には人類の始祖アダムに至ります。名古屋から途中、私鉄に乗って、東京も過ぎて、日本最北端の稚内駅まで行くと言ったところでしょうか。
  • 途中下車…通常ユダヤ人の系図には女性は含まないのですが、マタイには、4人の女性の名が記されています(マリヤを含めれば5人)。これはマタイの、ユダヤ人たちの極端な選民意識(差別意識)に対してのプロテストでしょう。イエス様が罪のレッテルを貼られた者や、汚れを身に負った者を排除することなく、近づき、共に歩まれた、その刻印を記したのでしょう。ルカも同様です。マリヤの系譜をたどり、罪、誤りを犯してしまう人間の源のアダムまで遡り、そのことを承知で、愛し、赦し、新しい力を与えられるイエス様を証ししているのです。
  • 結び…旧約と新約を貫いて、みことばなるイエス様が私たちの内側に、いきいきと働いて下さることを感謝します。
Posted on 02/04/2018 at 15:21, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『受肉(人となったキリスト)』(イエス・キリストの生涯 その4)(2018.1.28)

 

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた◆ ヨハネはこの方について証言し、叫んで言った。「『私のあとから来る方は、私にまさる方である。私より先におられたからである。』と私が言ったのは、この方のことです。」◆ 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである◆ というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである◆ いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。(ヨハネ福音書1章14-18節)

  • はじめに…最近、わが家ではなぜか映画(DVD)ブームで、先週も『トイレット』(監督・荻上直子)を観ました。ブームのはじまりは『テルマエ・ロマエ(ローマ公衆浴場)』。そして今回はトイレ。お風呂もトイレも人の暮らしに密接に関わるものです。生活の質を支える二本柱と言っても良いでしょう。
  • ことば(ロゴス)の2重の性質…ヨハネ福音書1章1節で「初めに、ことばがあった」と記され、世界(宇宙)の創造以前に、すでに“ことば”が存在していたことが記されています。そして14節では「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」と記されています。1節は“ことば”の先在(永遠性・神性)の真理が明らかにされ、14節では“ことば”の受肉(歴史性・人間性)の真実が明らかにされています。これは神が人に変化した、ということではなく、神性に、完全な人間性が付け加えられた(着せられた)ということです。
  • 住まわれた…そしてその“ことば”が「住まわれた」、そう続けられています。この「住まわれた」というのは、「幕屋を張られた」という意味です。ヘブル語の“シャカイナ”(臨在)と関連することばです。イスラエルの民は、エジプトを出て、荒野を旅しました。そのとき、宿営の中央に幕屋を置き、そこに主が臨在しました。同様に、私たちの歩む人生の荒野のなかに主イエス様が幕屋を着て、臨在されたのです。
  • 恵みの上にさらに恵み…ことばが人となった“受肉”のできごとは、とてつもなく偉大な、いまだかつて人類が一度も経験したことのない出来事なのです。そのことを新改訳では「恵みの上にさらに恵み」と訳しています。原語のギリシア語は“恵みに反して(アンチ)恵み”と表現しています。
  • 結び…イエス様が共におられる恵みを日々実感しながら歩める幸いを感謝します。
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