Archive for 9月, 2019

Posted on 09/15/2019 at 08:23, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『どんな状況にも主の御手がある』(イエス・キリストの生涯 その78)(2019.9.15)

そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。(使徒の働き11章21節)

  • はじめに…9月5日(木)、名古屋の五反城(ごたんじょう)カトリック教会に行ってきました。そこでマザー・テレサの召天22年目を覚えるミサがささげられました。イエス様に仕えるよえに極弱の人々に仕えたマザー・テレサは、インドのみならず、世界中の人々にイエス様の愛を語りました。そのような大きな働きをしたマザーでしたが、インドに住み初めの頃は、地元の人々からは受け入れられず、迫害さえ受けました。そのような状況下にありならがもマザーを受け入れる人と、一人また一人と出会い、やがて多くの人々から受け入れられ愛されるようになったことは周知のことです。そこにはマザーを通して救いの御手を伸べておられる主がおられました。主はマザー・テレサという助け人を通して、ご自身の愛を現されました。
  • 散らされた人々…ステパノの事件後、エルサレム教会は迫害を受け、弟子たちはユダヤ人共同体のある地に散って行きました。フェニキア(レバノン)、キプロス(バルナバの故郷の島)、そしてダマスコの次にユダヤ人が多く居住しているアンテオケ。散らされた地で弟子たちはイエス様は造り主であり、罪を赦された神であることを語りました。
  • アンテオケの地…フェニキヤやキプロスではユダヤ人以外の人には福音を語らなかったのですが、アンテオケではユダヤ人以外の人にも語りました。アンテオケは東西を結ぶ交通の要所であり、多国語を話す人が多くおり、経済は豊かでしたが罪と偶像に満ちていました。そのような地に住む人々に主の御手がとどまったたので大勢の人々がイエス様を信じ、主に立ち返りました(21節)。さらに、バルナパを送られました。バルナパは「慰めの子」と言われている、聖霊に満ちた人です。罪と偶像に満ちている地に住む人々は、一旦はイエス様を信じても環境や習慣に惑わされて主から離れてしまう条件がそろっている地です。だからこそ、主は人々を慰め励ますためにバルナパを送られました。
  • どんな状況の中でも…異邦人の心を開き、福音を受け入れられるように準備された主。惑わしの多い環境にあって、主を見上げ続けることができるように助け人を送られた主。私たちの弱さを知っておられた倒れないように、また主の御手から迷い出ないように、いつも慰め励まして下さる主。アンテオケの教会はユダヤ人と異邦人が混在(共生)する教会となりました。
  • 結び…主は、私たちの心を整えて、主のことばを受け入れることができるようにして下さっています。また、助け人も備えて下さっています。安心して一歩ずつ歩ける一週間となりますようお祈りします。
Posted on 09/08/2019 at 17:02, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主の愛に包まれたひとりの人間として』(イエス・キリストの生涯 その77)(2019.9.8)

するとペテロは彼を起こして、「お立ちなさい。私もひとりの人間です。」と言った。(使徒の働き10章26節)

  • はじめに…先月NHKスペシャル(BSプレミアム)で放映されたブルースリーに関する番組の中で、ブルースリーがインタビューを受けるシーンがありました。「あなたは中国人? それともアメリカ人?」と聞かれ「自分は人間だ。偉そうに語るつもりはないが、天の下、人類はひとつの家族だ」と答え、その言葉がとても印象深く残っています。
  • レッテルを貼る…私たちは「あの人はああいう人だ」「この人はこういう人だ」などと断定的に評価し、一方的に整理分類してしまいがちです。一旦、そのようにレッテルを貼ると、なかなかそれを剥がすことができなくなります。人や世界を観る目が固定してしまいます。ですから別の視点(視座)を持つ必要があります。
  • 出会い…今日のテキストは、ペテロとコルネリオの出会いです。ペテロはヨッパに、コルネリオはカイザリヤにいました(約50㎞、春日井―郡上間の距離)。それぞれが祈る中で、御使いが二人に幻を見せ、出会いを導かれ思いがけない出会いを体験することになったのです。その出会いでペテロは幻の霊的な意味を悟り、異邦人への福音の門が開かれたのです。異邦人に対する偏見、差別意識が打ち砕かれたのです。
  • 生活の場で…ペテロとコルネリオの出会いと同様に、日々の暮らしの場において思いがけない出会いがあります。その出会いを通して主は、私たち一人ひとりをかけがえのない存在として分け隔てなく大切に接し、ケアし、それぞれを霊的に成長させてくださり、喜びと平安で満たしてくださいます。
  • 結び…世界は悲しみと不安で満ちています。偏見や差別が満ちています。しかし、その悲しみと不安な思いを主が顧みてくださり、出会いを与えてくださり、私たちの内側に永遠の落ち着き場所を備え、喜びと平安で満たしてくださいます。イエス様は、私たち一人ひとりを、かけがえのない大切な人として地上生涯の最期まで、そして御国において永遠に、主の愛で包んでケアしてくださいます。
Posted on 09/01/2019 at 19:29, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『新しい人になる』(イエス・キリストの生涯 その76)(2019.9.1)

彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」(使徒の働き9章4-5節)

  • サウロという人…ステパノが石打ちの刑に処せられている時、サウロはそこにいました。サウロはヘブル語で、ラテン語ではパウロといいます。父親は天幕作りの職人でそれを習っていたようですが、とても頭の良い人でした。聖書の暗記大会ではいつも一位を取るほどで律法を忠実に守って生きていました。そのため“その道の者”(使徒9章3節)と呼ばれるキリスト者を迫害することにも熱心でした。
  • ダマスコ途上…頭の良いサウロはキリスト者が大勢集まっているダマスコ(現在のシリア)に行き、その道の人々を捕えようとして出かけます。その途上で復活の主イエス様が彼に現われました。「サウロ」とイエス様は呼びかけられます。
  • 新しい人となったサウロ…目が見えなくなったサウロは三日間、飲まず食わずで過ごしました。サウロは三日間、今まで律法主義になり真理を見ることができなかった自分自身、つまり古い人との決別の時をイエス様は与えられました。そしてアナニヤを通して再び目が見えるようになった時、サウロは新しい人に生まれ変わりました。イエス様は私たちの罪を贖うために十字架にかかられました。そして三日目に復活されるまでの間、よみに下り、すべての暗闇、罪と戦い勝利されました。サウロは聖霊に満たされ、主イエス様の十字架と復活、そしてイエス様は救い主であることを宣教する人へと造り変えられました。
  • 結び…サウロは目が見えなくなった三日間、恐怖と不安の中にいたかも知れません。何もすることができない全くのお手上げ状態、無力さの極みです。そのどん底にイエス様は御手を差し伸べて下さり、解放と平安を受ける新しい人として造り変えて下さいました。私たちをとりまく問題は、無遠慮に私たちの目や心に押し入ってきます。そのような時、私たちは目を閉じ両手を広げて問題を手放しましょう。その時、イエス様は微笑んで私たちを包み新しい人として抱いて下さいます。
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