Archive for 10月, 2020

Posted on 10/26/2020 at 08:51, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『あなたが生ける神の教会』(イエス・キリストの生涯 その131)(2020.10.25)

神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です(テモテへの手紙第1 3章15節

  • はじめに…かつて私は詩を書いて同人誌に投稿したり、自家刷りの詩集を発行していたことがありました。自営業を営んでいた頃、バブル経済がはじけ、借金返済に追われる生活のなか、詩を書くことは、生きるための一縷の望みでした。今、コロナ禍でどれほど零細自営業を営んでいる方が苦しいなかを日々必死で生きておられるか、そして一筋の希望の光を求めているか、思いを馳せ、主に祈ります。今の苦しみは希望につながっていますから、あきらめないでください。
  • 教会の役職…今日のテキストの3章は9割が教会の役職である監督と執事の資格について書かれています。そして残りの1割が、その教会の本質を6行詩で明示しています。どんな集まりでも、ある程度の規模になると組織化し、役割分担して、活動を維持、発展、成長します。しかしどこまでも本質(理念・定款)が目的でありもっとも大切です。テモテの牧会するエペソの教会もその成長過程で監督と執事の役職を置く必要性が生まれつつあったため、すでに老境に入ったパウロが若いテモテに具体的にアドバイスをしたのでしょう。当時、エペソ(現トルコ)は商業都市で多くの商人や旅人が行き交いました。街の中心には荘厳なアルテミス神殿があり、月神アルテミス(豊穣の女神)が崇拝の対象でした。そのような都市の隅にエペソ教会が立ち上がろうとしていたのです。
  • 真理の柱また土台…小さなエペソの教会が産声をあげてから、いま自力で立ち上がろうとしているのです。その幼き我が子を愛おしみ優しく声をかける父母のようにパウロは愛弟子、同労者のテモテに声援を送ります。“教会は生ける神の教会だ”“教会は真理の柱、土台だ”と。アルテミスのような死んだ偶像ではなく、ただの大理石の柱でもない。教会をイエス・キリストが支えるのではなく、教会が、すなわち私たち一人ひとりの内なる教会が、真理の柱また土台として、この世界の一端を、否、全宇宙を支えているのだ、そうパウロは語っているのです。そして真理の柱、土台なる主を賛美するのです。キリストは肉にて顯され/靈にて義とせられ/御使たちに見られ/もろもろの國人に宣傳へられ/世に信ぜられ/榮光のうちに上げられ給へり(文語訳聖書)
  • 結び…土の器、欠けある脆い私たち一人ひとりの存在を通して、生ける神、イエス様が自由に働かれるのです。主の栄光が皆さんお一人ひとりを通して輝く新しい一瞬一瞬であることを信じ、主に感謝します。

《追記》

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①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除をします)

②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります

Posted on 10/18/2020 at 18:40, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『すべての人のために』(イエス・キリストの生涯 その130)(2020.10.18)

キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。(テモテへの手紙第1 2章6節

  • はじめに…私の勤めるデイサービスの利用者さんで写真が趣味の方があり、定期的にご自身で撮った写真パネルを持ってきて展示しています。素晴らしい写真で、被写体から躍動するいのち、音、香り、時の流れ、メッセージが伝わって来ます。写真の力は凄いと思います。先週、家内と二人で久々に映画を観にいきました。『浅田家』というタイトルで、家族の絆をテーマにした映画でした。幼い頃、誕生日プレゼントにカメラを父から譲り受け、写真が好きになった政志。写真専門学校を何とか卒業した後、苦悶の末、一念発起し上京。しばらくして賞を受賞。その後、日本中の家族から撮影依頼を受け、写真家としてようやく軌道に乗り始めたとき、東日本大震災が。写真を一枚一枚洗って、家族の元に返すボランティア活動をする中、一人の津波で父を失った少女が現れる。「私も家族写真を撮って欲しい」
  • 祈りの勧め…テモテへの手紙は、パウロが教会の若き指導者であったテモテに、牧会上の指示、助言、励ましを与えるために書いた手紙で「牧会書簡」と呼ばれています。今日のテキストは、イエス様が神と人との交わりを回復する仲介者となられたことを明らかにし、その上で教会における男性、女性それぞれの特性に適った振る舞いの指示を与えています。
  • 祈りと慎み…1節で「すべての人のために(…)願い、祈り、とりなし、感謝」せよと勧められています。祈りと願いは自分のためにするものではなく、他者、さらには迫害者のために主に祈るのです(マタイ5章44節参照)。なんとなれば4節に述べられているように神が「すべての人が救われて、真理を知る」ことを望んでおられるゆえです。真理はイエス様です(ヨハネ14章6節)。神様は善なるゆえに世界を創造され、善なるゆえに一人も取り残すことなく救おうと計画しているのです(同上)。その救いの方法はすべての人の贖いの代価としての独り子イエス様を世に遣わすことでした(第一テモテ2章6節)。キリスト者には「力と愛と慎みの霊」、すなわち聖霊が与えられています(第二テモテ1章7節)。聖霊の導きに従うことは苦しみの伴うことが多いですが、耐え忍ぶとき、霊の子どもが与えられ、祝福を受けます(第一テモテ2章15節)。その“あかし”のために信仰と真理を教える使徒に任じられた、そうパウロは語っています(同7節)

結び…イエス様をこの世に遣わし、そして聖霊を遣わし、すべての人を救ってくださる全能の父なる神様に感謝を捧げる日々であるよう祈ります。

《追記》

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Posted on 10/11/2020 at 17:07, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『救いの完成者=告白の導き手』(イエス・キリストの生涯 その129)(2020.10.11)

「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。(テモテへの手紙第1 1章16節

  • はじめに…礼拝に参加している方から「礼拝で『使徒信条』を唱和していますが、どのような考えからでしょうか…」ということでした。今回、重要な問いかけを頂いたことを契機に、「使徒信条」を通して、使徒たちのイエス様に対する信仰の歩みを振り返り、自らの信仰と、いとすぎ教会の成長していく方向性を確認していきたいと思わされています。
  • シムハット・トーラー…仮庵の祭の8日目は、神様がユダヤ人に律法を与えたことを喜ぶシムハット・トーラー(律法歓喜祭)です(レビ記23章36節)。ユダヤ教のシナゴーグでは1年かけてモーセ五書を朗読するのですが、この日、朗読が一巡し、新たに創世記1章1節からの朗読に戻ります。会衆はトーラーの巻物を抱えて喜び踊り明かします。イエス様は「律法を成就するために来た」(マタイ5章17節)と語られました。如何せん、誰一人として律法を完全に守ることのできる人はいません。ですから律法は罪を明らかにします。使徒パウロが語ったように「だれひとり神の前に義と認められない」(ローマ3章20節)のです。その罪人の私たちを恵みによって義とし、救ってくださる唯一の方が主イエス様です。主イエス様が律法を成就し、救うために世に来られたのです(ルカ19章10節、ヨハネ3章17節、12章47節)。イエス様は仮庵の祭の初日に生まれ、8日目に律法に従い、割礼を受けられました。シムハット・イェシュアー
  • 罪人のかしら…今日のテキストにあるように、パウロは確信を持って「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」と宣言し告白しています。しかも自身を「罪人のかしら」と言い、自分が恵みにより信仰によって救われているのだから、イエス様のあわれみから漏れる人は一人もないという強い確信が伝わってきます。パウロ同様、主の恵みは、信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになります。律法の成就者なる主イエス様は、救いの完全な成就者です。使徒パウロが信仰を告白したように、使徒ペテロもイエス様に直接尋ねられ「あなたは、キリスト(メシヤ)です」(マルコ8章29節)と告白しています。また十字架のイエス様の正面に立っていた百人隊長も「この方はまことに神の子であった」(マルコ15章39節)と口をついて告白せずにはおれませんでした。救い主イエス様は、私たち一人ひとりの告白の導き手です。
  • 結び…使徒たち一人ひとりの信仰告白そして使徒信条が、皆さん一人ひとりの信仰告白の契機となり、救いの喜びをともに喜べるよう、祈ります。

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Posted on 10/04/2020 at 16:33, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ともにおられる主』(イエス・キリストの生涯 その128)(2020.10.4)

どうか、平和の主ご自身が、どんな場合にも、いつも、あなたがたに平和を与えてくださいますように。どうか、主があなたがたすべてと、ともにおられますように。(テサロニケ人への手紙第2 3章16節

■はじめに…先週10月1日は私の父の88歳(米寿)の誕生日でした。プレゼントは何にしようかと思案した結果、父の若かった頃、好んで被っていた“ハンティング帽”にしました。まだ近所の公園までは散歩できるだけの筋力はあるので、少しおしゃれをして気分良く出かけてくれれば、そんな思いで贈りました。ちょうどその日は“中秋の名月”で煌々と夜空に照っていました。

■仮庵の祭…翌日2日の日没からユダヤ三大祭りのひとつ“仮庵の祭”が始まりました。庭やベランダに“スッカー”という簡易な小屋を建てて、家族、親戚がその仮小屋で過ごします。収穫の恵みの感謝(出エジプト記23:16)という側面と、エジプトでの奴隷状態から解放されたイスラエル民族が、約束の地に行く40年間の荒野放浪生活を主が守ってくださった歴史(レビ記23:42-43)を記憶する側面があります。また壊れやすく、風雨に対して無防備な仮の住まいは人間存在の億弱さを表していると同時に、その脆い人間を覆っている主の守りが、過去も現在も、そして将来にわたってあることを覚える機会になります。

■水を注ぐ…仮庵の祭りでは、「水取りの儀式」がシロアムの池で行なわれました。大祭司が金の杓子をもってシロアムの池から水を汲み、イザヤ書12章を歌いながら行列を組んで神殿まで運びます。また祭壇の南西側に柳の木を立てました。そしてその水を祭司の庭にある祭壇の西に注ぎました。六日間新しい柳の木の枝を立てておき、仮庵の祭りの最後の日には、祭壇がある祭司の庭にすべてのイスラエルの巡礼者に(女性も子どもたちにも)開放されました。仮庵の祭りの最後の日には、祭壇の周囲を七回りしました。この時、巡礼者たちは祭壇の周囲を回りながら、詩篇の祈りを切にささげました。水がないため渇いてしおれて行く柳の木の枝を横に、「主よ。どうか私たちを救ってください。」(詩篇118:25)と叫びながら祈りをささげたのです。

■大声で叫ばれたイエス様…イエス様は仮庵の祭りの最終日、神殿の祭司の庭に出て行かれ大声で叫ばれました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心(=腹)の奥底から、生ける水の川(=聖霊)が流れ出るようになる」(ヨハネ7章37、38節)

■結び…仮庵の祭りのこのとき、救い主イエス様が贈り物として聖霊を皆さんお一人ひとりの内側に注いでくださっていることを信じ、感謝します。

《追記》

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