Archive for 11月, 2022
Posted on 11/27/2022 at 17:01, by matsumoto
(…)あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない(レビ記19章2節) /それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でなければならない。」と書いてあるからです(①ペテロ1章16節)
◆はじめに…先主日20日から23日の三泊四日の日程で壱岐に行ってきました。そこで主は驚くべき御業を見せてくださり、主が生きておられること、主の山に備えがあることを畏れとともに確信する体験をさせて頂きました。
◆行きなさい…本主日からアドベント(待降節)です。例年と同様、アドベント・クランツのキャンドルに火を灯していきますが、アドベント第一主日は「アブラハムのキャンドル」です。「わたしが示す地へ行きなさい。あなたを大いなる国民とする。すべての民族はあなたによって祝福される」(創世記12章1-3節)「モリヤの地に行きなさい」(同22章2節)との主の約束を信じて信仰の歩みを始めた“信仰の父”アブラハム。主の約束を信じて歩んだ、その主の約束の成就としてのイエス様の誕生へと引き継がれてきたことを想起するキャンドルです。
◆アドナイ・イルエ(主は備えてくださる)…主の御声に従って七十五歳で故郷を旅立ったアブラハムは百歳で息子イサクを得ました。しかし、その最愛の息子イサクをささげよと主は語られました(創世記22章2節c)。私たちも人生で何度か重大な決断を迫られる場面に遭遇します。そのとき私たちは、主の御心に信頼して歩みを進めます。しかし先行きが見通せないため、不安や怖れを抱きます。そんな私たちに内なる聖霊様は「アドナイ・イルエ(God will provide)」(主は備えて(見つけて)くださる)との宣言を語らせてくださいます(同8節、14節)。主はプロバイダーです。事実・現実のこの世のただ中で、霊的真実の御国と私たちを結んでくださいます。そして私たちが輝いて生きられるように天の門を開いてくださいます。これは神の摂理(providence)です。
◆聖なるアブラハム…本主日のテキストの主題は「聖」です。ヘブル語で“カドーシュ”です。カフ(ק)・ダレト(ד)・シン(ש)で作られています。カフは「犠牲」ダレトは「門」シンは「口」の意味を持っています。イサクをささげ、アドナイ・イルエを宣言し、天の門が開かれたアブラハムはまさしく“聖”を生きたと言えます。アブラハムの生涯は、天の聖なる神を指し示しています。独り子イエス様を贖いの小羊として十字架に付けられ、私たちを罪から救い出し、御国に住まいを備え、迎えに来てくださいます。
◆結び…主は私たちを見つけ出し、平和と歓喜に満ちた御国の住まいを備え、迎えに来てくださるためにイエス様をこの世に誕生させてくださったのです。
Posted on 11/13/2022 at 19:06, by matsumoto
あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行なう人は、それによって生きる。わたしは主である(レビ記18章5節) /モーセは、律法による義を行なう人は、その義によって生きる、と書いています(ローマ人への手紙10章5節)
◆はじめに…「死刑のはんこを押すときだけニュースになる地味な役職」と発言し、辞任した葉梨前法務大臣。いのちの尊厳を軽んじているとしか思えません。「あなたのいのちは紙切れ一枚、私の手のはんこにかかっているんですよ」と言われいるようで、背筋が凍り付くような感じがします。
◆風習…今日の聖書のテキストの主題は「風習・律法・信仰」です。主はモーセに語られました。「エジプトの地のならわし、カナンの地の風習に従ってはならない」(レビ記18章2節)。当時のエジプト、カナンの地しかり、そして現代の日本の地しかり。さまざま社会風紀の乱れ(パウロ風に言うならば「今の悪の世界」)があります。性的な乱れや偶像崇拝、まじない、霊媒等々…。いわゆる快楽主義的傾向です。
◆律法…それらに対峙するかのように、主はモーセに十戒を中心とした律法を授けられました。そのモーセの律法には613の規定があると言われていますが、それらを厳格に守ろうとしたものが律法主義です。それらを守ること、行うことで神の前、人の前で義しく生きようとしました。神(の律法)に対して熱心に振る舞おうと努力したのです。そのようにして神の義を求めているかに考えていながら、実は自分の義を立てようと必死になっていたのです。
◆信仰…パウロは誰よりも熱心に律法を行なっていました。“行いによる義”を立てていました。その義を他者にも求め、自らの義の理解と異なるステパノはじめ、エルサレム教会を迫害しました。その最中、復活の主と出会い、パウロの律法主義は終わりを迎えました。つまりローマ人の手紙10章4節にあるように、キリストが律法を終わらせられたのです。キリストが律法の目標であることをはっきりと認識したのです。「律法による義」から「信仰による義」に生きるように霊的に生まれ変わった、復活した“新しい人”(エペソ4章24節)となったのです。
◆結び…主イエス様は、十字架と復活によって、私たちを捕らえて離さない風習からも律法からも解放してくださり、私たちを日々造り変え、新しく創造された者として自由に生かしてくださいます。
Posted on 11/06/2022 at 18:50, by matsumoto
主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ」(出エジプト33章19節) /神はモーセに、「わたしは自分のあわれむ者をあわれみ、自分のいつくしむ者をいつくしむ。」と言われました(ローマ人への手紙9章15節)
◆はじめに…ロシア「国民統合の日」の祝日だった4日、前大統領のメドベージェフ国家安全保障会議副議長が「創造主の言葉が我々に神聖な目的を与えた。地獄の支配者、サタンや大魔王の阻止だ。彼らの目的は破壊で、我々は命。だから勝利は我々のものだ」とSNSで投稿をしたと朝日新聞デジタルが報じていました。暗澹たる気持ちになります。主がロシアのウクライナ侵略を良しとすることなどあり得ようはずがありません。主のみこころは「殺してはならない」「剣を納めよ」「二度と戦いを習わない」です。
◆モーセとパウロの同胞に対する思い…今日の聖書のテキストの主題は「恵みとあわれみの主」です。「怒りをおさめ、思い直してください」(出エジプト記32章12節)と主に祈り嘆願したモーセは、さらに外交官が外交交渉するように主に和解を求めます。「この民は大きな罪を犯してしまいました(…)彼らの罪をお赦しくだされるものなら、どうかあなたの書物から、私の名を消し去ってください」(出エジプト32章32節)と。パウロもローマ書9章の冒頭、モーセと同じ思いを表白しています。「もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたい」(ローマ書9章3節)と。
◆イスラエル人の救い…「金メッキの子牛」事件以後、主は、宿営の外の天幕において、モーセとだけひっそり会うようにしていました。つまり救い、主との直接的霊的交流がモーセただひとりだけに限定されてしまった訳です。この状況をモーセは良しとしませんでした。モーセ個人の救いでは満足しなかった訳です。それでモーセはさらに祈りよって主と粘り強く直接交渉を続けました。「あなたのお心にかなっているのでしたら(…)私たちの咎と罪を赦し、あなたのものとしてください」と。そしてモーセは主との再契約を締結し、幕屋の完成に至りました(出エジプト記34章10節以降参照)。
◆結び…主の臨在は、幕屋から神殿、さらにイエス様ご自身となり、恵みとあわれみの主によって、今から将来にわたって、すべての人に救いが及んでいる真実があることを覚えたいと願っています(ローマ書11章25-26節)。