Posted on 08/17/2025 at 20:34, by matsumoto

『目を留めておられる主』(ユダヤ人キリスト者と共に エケブ)(2025.8.17)

そこはあなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が、絶えずその上に目を留めておられる地である。(申命記11章12節)

◆はじめに…今年の8月15日で敗戦80年ということで、様々な企画がメディアで、そして全国各地で催されています。そのキーワードとして、戦争体験の継承、戦争の記憶、恒久平和、平和への誓い等が使われています。戦争体験者の手記やインタビュー、映像や写真が多く紹介され、自分事として戦争を考え、今後、どう行動していくのかについて、示唆を与えられます。しかし、今、この瞬間もガザやウクライナにおいて、多くの生命が失われていっていることに胸の奥に鉛を入れられているかのような重苦しさを感じます。だからこそ人間の限界を超える主(聖霊)の助け、満たしが必要と切実に思います。

◆ガザの惨状…今日のテキストは、ヨルダン川の西側の約束の地(カナン=現在のパレスティナ)に入るにあたり、モーセがイスラエルの新世代の民に、旧世代の荒野生活での反省も踏まえつつ、どのような社会生活を送ることが主のみこころに適ったものかを語り継ぐものです。ひと言で言えば「愛と正義」を土台にした生活と言えます。ところが、それからほぼ三千年を経た現在、イスラエルはガザ地区に空爆を続け、一般市民が巻き添えになり、飢餓で苦しんでいます。商品の価格は急騰し、100ドルで砂糖1キロ、食用油1リットルさえ買えない状態で、「希望の脆さと戦争の残酷さの間で宙吊りにされる」と悲痛な叫びが上がっています。この現状を、イスラエルに拠点を置く人権団体が、ジェノサイド行為で非難しています。

◆目を留めておられる主…この状況を、主は、放って置かれることはなさいません。今日のみことばにある通りです。絶えず目を留めておられます。そして主はかたよって愛することをせず、「在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる」(申命記10章18節)方です。だからあなた方も「在留異国人を愛しなさい。あなたがたもエジプトの国で在留異国人であったから」(同19節)と、社会的に弱い立場にある人を自分事として愛するよう勧めておられます。レビ記19章18節で 「復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である」と主は語られ、イエス様も同様のみことばを語られました(マルコ12章31節)。

◆結び…主は、片時も私たちから離れることなく、気遣い、目を留めていてくださり、みことばを語ってくださるお方です。ガザを始め、逆境の中にある人々が絶望することのないよう、具体的な食べ物と、いのちのみことばで希望に満たされるよう祈ります。

Posted on 08/10/2025 at 21:55, by matsumoto

『平和宣言』(ユダヤ人キリスト者と共に バ・エトハナン)(2025.8.10)

私は、そのとき、主に懇願して言った。(申命記3章23節)

◆はじめに…先週8月6日と9日、広島と長崎のそれぞれの被爆地で80回目の平和記念(祈念)式典が開催されました。鈴木史朗長崎市長は「1945年8月9日、このまちに原子爆弾が投下されました。あの日から80年を迎える今、こんな世界になってしまうと、誰が想像したでしょうか」と切り出し、「『武力には武力を』の争いを今すぐやめてください。(…)このままでは、核戦争に突き進んでしまう。そんな人類存亡の危機が、地球で暮らす私たちひとりひとりに、差し迫っているのです(…)ノー・モア・ヒロシマ! ノー・モア・ナガサキ! ノー・モア・ウォー!! ノー・モア・ヒバクシャ!」と、式典に参加した世界各国からの代表者に向けて叫ぶように訴えていました。私たちも“平和をつくる者”(マタイ5章9節)として日常生活の中で小さな一歩一歩を重ねていきたいと願わずにはおられません。

◆懇願するモーセ…今日のテキストの箇所でモーセは、主に“懇願”(バ・エトハナン)しています。モーセは主に何を願ったのでしょうか? それは「あなたもそこに入ることは出来ない」と主に言われたヨルダン川の西側の約束の地に入らせてくださいと懇願しました。この“懇願する”というヘブル語のゲマトリア(数価)が515であることから、あるラビは、それはモーセが神にその地に入ることを祈った回数に等しいと解釈しています。それほどまでにモーセは執拗に主に願ったのです。しかしその嘆願を聞いて主はモーセに「ノー・モア・スピーキング!」(もう話しかけないで!)と、祈りを止められました。

◆みこころに応答する…ここで大切なことは、私たちの願いを百パーセント主が叶えてくださり、自分の思い通り、願い通りに事が運ぶことではなく、主のみこころ(みことば)に応答することです。主に聞かれない祈りはありません。百パーセント祈りは聞かれます。だから私たちは主に祈り続けます。その祈りに対する主の答えが私たちの期待と違ったとしても、それが私たちにとって最善と信じて主に感謝するとき、私たちの内側から喜びが溢れて感謝の祈りに導かれ、主が身近におられることを体験し、日々の生活の中で神の国を体験します。きっとモーセは祈りを止められた後、主が語られた通りピスガの山頂に上り、ヨルダン川の西の約束の地を見下ろすと同時に、自身の内側には霊的な約束の地カナンを抱きつつ、ヨシュアをはじめとして次世代にみことばを継承しました。

◆結び…「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6章5節)と、モーセは民に告げ、イエス様もこのみことばを取り上げ、神を愛し、隣人を愛することが、もっとも大切なみことばであると語られました(マルコ12章28-34節)。これが究極の平和宣言でしょう。

Posted on 08/03/2025 at 20:27, by matsumoto

『モーセの遺言と神殿崩壊-過去の悲劇を繰り返さないために』(ユダヤ人キリスト者と共に ドゥバリーム)(2025.8.3)

これは、モーセがヨルダンの向こうの地、パランと、トフェル、ラバン、ハツェロテ、ディ・ザハブとの間の、スフの前にあるアラバの荒野で、イスラエルのすべての民に告げたことばである。(申命記1章1節)

◆はじめに…昨日は、母の米寿のお祝いの食事会をしました。母の希望で食前に米寿の祝福のお祈りをした後、鯛の尾頭付きの刺身をメインに、眞津代牧師の手作り海苔巻きに鶏肉のワイン蒸し、寒天ソーメン、茶碗蒸し、ケーキにフルーツポンチと、バラエティに富んだメニューで、家族でお祝いの楽しいひと時でした。そして食後に「人生の海の嵐に」「故郷」を一緒に歌いました。食事とともに、母の今まで歩んで来た人生の道のりの振り返り等、話にも花が咲き、お腹も心も満たされ有意義な時となり、主に感謝しました。

◆荒野の振り返り…今日のテキストの箇所は、モーセがイスラエルの民を前にして、これから約束の地に入るにあたって、荒野の40年の、主と民の歩みの振り返りを語るところです。この時、モーセの語りを聞いているのは、荒野の40年の歩みの出来事をほとんど知らない、新しい世代の民です。その民に向けて、モーセはある意味、遺言のように、体験したことや、約束の地で生きるために必要な主の教えを語り伝えました。

◆ティシャベ・アブ(神殿崩壊日)…今年は8月2日(土)の安息日の日没から本日3日(日)の日没は、ユダヤ人にとってはティシャベ・アブ(神殿崩壊日)を覚える記念日です。伝承によれば、紀元前586年のこの日にバビロニア人によってエルサレムの神殿が破壊され、その後建てられた第二神殿も紀元70年のこの日にローマ人によって破壊されたとされます。いわばユダヤ民族の敗戦記念日といってもいいでしょう。この日に合わせてシナゴーグでは今日の申命記の箇所とともに、イザヤ書1章が朗読されます。それは、この悲劇の根本を振り返り、繰り返さないように学ぶためだと言えます。悲劇は、人々が正直に行動しなかったことによるものでした。人々は利益を最大化することばかりに気を取られ、他者が苦しむことには無関心でした。政治家たちはその地位と影響力を私利私欲のために利用していました。

◆教えと預言の成就…モーセが新しい世代に伝えた教えは、ユダヤ民族の悲劇を経て、イエス様によって完成され、すべての人が神と隣人を愛して生きるための具体的な道として示されました。「仕える者になりなさい」(マルコ10章43節)「他人の利益を心がけなさい」(①コリント10章24節)

◆結び…イエス様が人生の嵐を防ぎ、真の故郷に私たちを導いて下さっています。

Posted on 07/27/2025 at 19:27, by matsumoto

『誓いを果たされる主』(ユダヤ人キリスト者と共に マトット)(2025.7.27)

人がもし、主に誓願をし、あるいは、物断ちをしようと誓いをするなら、そのことばを破ってはならない。すべて自分の口から出たとおりのことを実行しなければならない。(民数記30章2節)

◆はじめに…SNSへの投稿しかり、昨今の政治家の発言しかり、自ら発する言葉に対する誠実さ、真実性に欠け、何かしら“言葉の重さ、厚み”が軽く薄っぺらになっているように感じます。ひいては、かけがえのない一人ひとりの大切な生命の尊厳が奪われていくような、のっぴきならない危機感を感じるのは、私だけではないと思います。

◆誓い…今日のテキストの箇所は、誓い(別の言葉で言えば「約束」)についてです。旧約時代、誓いは積極的に推奨されていました(申命記 6章13節、レビ記19章12節他参照)。偽りの誓いを立てることや、誓ったことを守らないことに対して厳しく戒められていました。ところが、当時のユダヤ社会における誓いの乱用がありました。些細なことにも誓いを立てたり、誓いの「抜け道」を探したりする風潮がありました。その具体例をイエス様が指摘しています。①神殿をさして誓う、②神殿の黄金をさして誓う、③祭壇をさして誓う、④祭壇の上の供え物をさして誓うことで、拘束力のある誓いと、誓いの無効性を区別していたのです(マタイ23章16-22節)。

◆しかり しかり、否 否…イエス様は、そんな姑息(こそく)なユダヤ人たちの思惑を見透かし、「いっその事、誓うな」(マタイ5章34節)と言われました。「『はい、はい、いいえ、いいえ』とだけ言えばそれで十分」(同37節)だと。「はい」と言うべき時は明確に「はい」と言い、「いいえ」と言うべき時は明確に「いいえ」と言うべきだと。言葉に責任を持ち、真実を語り、是々非々をはっきりさせ、軽々しい誓いを立てず、誠実な言葉を用いなさいと。誓いの精神(真実を語り、約束を果たすこと)を、イエス様は、普遍的かつ徹底的な形で「然り然り、否否」という言葉で表現されました

◆誓い(約束)を果たされる主…私たちも、自らの発言、主張を正当化したり、自らの考えや行為に隣人を取り込む手段として、みことばを付け加え、利用したりするようなことはないでしょうか? それは本末転倒で、みことばなるイエス様が、私たちの言動を真実なるものとしてくださり、主ご自身が救いの約束を、恵みとして成就してくださることを信じます。「主は誓い、そしてみこころを変えない」(詩篇110篇4節、ヘブル7章21節)

◆結び…私たちにとって未来は不透明で予測不可能です。しかし主イエス様が、恵みによって、私たちの一人ひとりの将来と希望を啓いてくださいます

Posted on 07/20/2025 at 20:10, by matsumoto

『切実な声を聞いてくださる主』(ユダヤ人キリスト者と共に ピネハス)(2025.7.20)

男の子がなかったからといって、なぜ私たちの父の名がその氏族の間から削られるのでしょうか。私たちにも、父の兄弟たちの間で所有地を与えてください。」(民数記27章4節)

◆はじめに…各国の男女間の格差を測るために、世界経済フォーラム(WEF)がジェンダーギャップ(男女格差)指数という指標を、毎年発表しています。経済参加や機会、教育、健康、政治などの4つの分野における男女の平等度を評価したものです。ちなみに日本のジェンダーギャップ指数は、2024年の報告では、146カ国中118位となっています。依然として世界の中で日本の男女格差は極めて大きいことを数字が証明しています。

◆格差社会の中で…旧新約聖書の時代も父権制社会、男性中心主義の格差社会で、女性の置かれた社会的地位は極めて低かったと言わざるを得ません。しかし、そんな困難な状況にあっても屈することなく、したたかに、賢く生き抜き、社会の伝統や慣習を変えて来た女性たちの生き様を聖書は証ししています。

◆ツェロフハデの娘たち…今日の聖書のテキストは、トーラー(律法)の父から息子への相続の規定の改定をもたらしたツェロフハデの五人の娘たちの記事です。ツェロフハデは荒野で死に、相続権のある息子がありませんでした。当然、従来の律法には娘への相続の規定はありませんから、五人の娘たちが相続するものはありません。それが当時の現実であり常識でした。しかしそれはどうなの? おかしくない? と五人の娘たちは指導者と公衆の前で、「自分たちにも相続する権利があって然るべきです、所有地をください」と訴えたのです。

◆律法改定…その娘たちの要求をモーセは主の前に持っていくと主は「娘たちの言い分は正しい(…)相続地を渡せ」(民数記27章7節)とモーセに告げられました。60万分の5の、ほんの小さな女性たちの声が、主のみこころを動かし、律法改定を引き出したのです。主は、圧倒的な数の中に埋没してしまうような声に耳を傾けてくださる方です。

◆不正な裁判官とやもめのたとえ…イエス様も、不正な裁判官とやもめのたとえ話で、ひっきりなしに「裁判をして自分を救って」と訴えるやもめに根負けして裁判をするように心を動かされた裁判官のように、主は、夜となく昼となく求める者を放っておかれることはない方(ルカ18章1-8節参照)とおっしゃいました。誰にも相手にされないような者の切実な声を、主は必ず聞いてくださいます。

◆結び…今なお、私たちが生きている世界は、差別と偏見に満ちています。だからと言って諦めてしまうことはありません。生きづらさを率直に祈り、訴えるその声を、確かにイエス様は聞いてくださって、生きる道を啓いてくださいます。

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