Archive for 9月, 2016

Posted on 09/25/2016 at 14:59, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ベルガモにある教会(黙示録 その5)』(ヨベルの年)(2016.9.25)

 

 

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。(ヨハネ黙示録2章17節)

 

  • はじめに…先週、「終末論の危険性と重要性」というテーマで集会がありましたので、参加してきました。メシアニックジュー(イエスが救い主であると信じるユダヤ人)の講師で、終末論はすでに旧約聖書で語られているということを強調されていました。そのもっともベースになるみことばとして創世記3章15節を最初に取り上げられました。
  • 黙示録の伝える希望…黙示録は希望に向かってのメッセージです。再臨の希望であり、新しいエルサレム(神の幕屋)で、イエス様と永遠に住まう希望です。
  • ペルガモ…みことばの順序からすると今日、取り上げるのはスミルナの教会なのですが、御霊の導きに従って先にペルガモの教会からみことばを学びます。さて、ペルガモの名の意味は「結婚」です。また「羊皮紙(parchment・パーチメント)」はペルガモ(Pergamon)から派生した言葉です。実際、羊皮紙はペルガモで最初に作られたのです。
  • 結婚…結婚には、真実な結婚(一夫一婦)の他にも、様々な形態があります(重婚・同性婚・政略婚)。ペルガモは「国家(ローマ)と結婚した教会」の型と言えます。その結果、教会が異教的な雰囲気に包まれていきました。皇帝礼拝やアスクレピオス崇拝、バラムの教えやニコライ派の教え…。「サタンの王座」と言われる所以です。
  • 羊皮紙…ペルガモには20万巻の蔵書を誇る世界第二の図書館がありました。その多くは羊皮紙によって作られていました。羊皮紙は牛や羊、山羊の皮を剥いで、水に浸し、毛や脂質などを両刃の剣で削ぎ落として作りました。きっと肉は偶像に捧げた後、食べたと思われます。そのペルガモの教会に対して、両刃の剣を持つ方(イエス様)が語られました。「隠れたマナと白い石を与える」
  • 結び…隠れたマナ(キリストの満たし)と白い石(天の宴会の招待状)をしっかりと内なる霊に収めつつ、信仰の道のりを歩まれるよう、祝福して祈ります。
Posted on 09/18/2016 at 20:11, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『エペソにある教会その2(黙示録 その4)』(ヨベルの年)(2016.9.18)

写真=真鍮製の踏み絵(切支丹遺蹟博物館所蔵)

 

耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。(黙示録2章7節)

 

  • はじめに…先週、名古屋にある「栄国寺」に行ってきました。お寺なのですが、キリシタン関連の貴重な品々を展示した「切支丹遺蹟博物館」を併設しています。2百点余りの展示品のうち、最も目を引いたのが真鍮製の「踏み絵」です。それを目にしたとき、心の琴線がピンと張られる感じがしました。
  • 黙示録の伝える希望…繰り返しになりますが、黙示録は希望のメッセージです。創世記のアダムとエバ以来、食べることが禁じられていた“いのちの木の実”を食べる権利を与えられ、都にはいれるようになる(黙示録22章14節)、すなわち新しいエルサレムを整え、花婿なるイエス様が私たちを迎えに来て下さる希望です。
  • エペソ…エペソの名の意味は「弛み」です。日常生活、信仰生活がマンネリ化して、油断している状態と言えるでしょう。夜中にイエス様(花婿)が来たとき、ともしびのための油の用意がなかった5人の娘のような状態です(マタイによる福音書25章参照)。幕屋であれば、聖所の燭台の火が消えないように朝夕、奉仕する祭司が、油を切らしてしまうようなものです(出エジプト記27章20節参照)。油が切れて光を照らさない燭台は用をなしません。つまり油は聖霊ですから、聖霊が器に満ちていなければ、いのちが輝かないし、愛が枯れてしまい力がなくなります。
  • 愛のきずなで引く…また、幕屋の周囲は、垣がめぐらされていましたが、その垣の1本1本の柱は、青銅(真鍮)の台座に載せられ、釘とひもで、しっかり支えられていました。ホセア書に「わたしは、人間の綱、愛のきずなで彼らを引いた」(ホセア書11章4節)とあるように、あがないと復活のイエス様が、しっかりと私たち一人ひとりを倒れないように引っ張って支えていて下さいます。キリシタン迫害のとき、踏み絵を踏んだ人は罪あがなわれ、また踏まずに斬罪された人は復活のいのちに生かされた、そう信じます。
  • 結び…イエス様と隣人に対する“初めの愛”に立ち返り、新たな日々を歩み出す皆さんであるよう、祝福して祈ります。
Posted on 09/11/2016 at 20:57, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『エペソにある教会(黙示録 その3)』(ヨベルの年)(2016.9.11)

 

 

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。(ヨハネ黙示録2章4節)

  • はじめに…今、リオではパラリンピックが開催されています。現在、日本選手団は、銀1個、銅3個のメダルを獲得しています。IPCフィリップ・クレーブン会長は、開会式のスピーチで「人間の限界がないこと、障害を可能性としてとらえ、希望は必ず恐怖を乗り越える(Ⅰヨハネ4章18節参照)ことを伝えてください」とメッセージを送りました。
  • 黙示録の伝える希望…繰り返しになりますが、黙示録は恐怖を煽るような書物ではなく、希望のメッセージです。創世記のアダムとエバ以来、食べることが禁じられていた“いのちの木の実”を食べる権利を与えられ、都にはいれるようになる(黙示録22章14節)、すなわち新しいエルサレムを整え、花婿なるイエス様が私たちを迎えに来て下さる希望です。その希望に向かって、パトモスに島流しされた使徒ヨハネに、イエス様ご自身が啓示されたのです。1章「あなたの見たこと」(栄光の主イエス)、2から3章「今ある事」(7つの教会)、4から22章「この後に起こる事」(教会時代後)が記されています(黙示録1章9節)
  • エペソ…エペソ教会は、パトモス島からもっとも近いところにありました。唯一、聖書にその誕生がしるされています(使徒の働き19章参照)。パウロが第3回伝道旅行のとき、エペソに約3年滞在し、手塩にかけて育てた教会です(※紀元50年代)。ヨハネが黙示録を記したのは紀元90年代ですから、エペソ教会が誕生してから約40年が経過しています。つまり世代交代の時期と言えます。パウロは第3伝道旅行の後、ローマへ護送され、獄中での生活を余儀なくされる訳ですが、そこでエペソ人への手紙を認めました。その手紙の冒頭で、エペソの信徒たちの愛を賞賛しています(エペソ1章15-16節)
  • 初めの愛…その初めの愛から離れてしまった、そうヨハネは記しています。「初めの」は「最初の」という意味だけでなく、“最高の”“何よりも優先すべき”という意味があります。その愛から「離れた」(アオリスト形)、見捨てた、無視したのです。「どこから落ちたかを思い出しなさい」と奨められています。
  • 結び…イエス様と隣人に対する“初めの愛”に立ち返り、新たな日々を歩み出す皆さんであるよう、祝福して祈ります。
Posted on 09/04/2016 at 08:34, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『イエス・キリストの黙示(黙示録 その2)』(ヨベルの年)(2016.9.4)

 

 

また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。(ヨハネの黙示録1章6節)

  • はじめに…私の勤めているデイサービスでは、施設に到着した利用者の皆さんは、首にネームプレートを掛けます。それと一緒に小さな袋がついていて、その中にコインが入っています。そのコインを使って介護予防のためのゲームを楽しめるようになっています。
  • アルファ、オメガ…以前、幕屋の学びをしましたが、大祭司の胸当ての袋の中に、神の信託を伺うためにウリムとトンミムが入っているということを学びました。ウリムはヘブル語の最初の文字アーレフであり、トンミムは最後の文字ターヴ。ギリシア語にするとアルファとオメガになります(出エジプト記28章30節、ヨハネ黙示録1章8節参照)
  • 祭司として…つまり、ウリムとトンミム(「光と完全」「現れと真理」)は、アルファであり、オメガであるイエス・キリストご自身の象徴なのです。アルファとオメガは、時間的な最初と最後を意味するのではなく、イエス様が、すべてのものの原因であり、究極の目的であることを意味しています。信仰の創始者であり、完成者であるイエス様です(ヘブル12章2節)。イエス様は私たちの内側に住まわれ、私たちを祭司として下さり、栄光の御座に近づけて下さるのです。
  • 孤島パトモスで…使徒ヨハネは、このイエス・キリストの黙示、すなわち啓示、天啓を、パトモス島で見たのです。ローマ皇帝ドミティアヌス(在位81-96年)のときに教会は迫害の嵐の中にありました。その中でヨハネは、神のことばとイエス・キリストのあかしを語り続けたのです。その結果、パトモス島に流されたのです。しかし、どんなに辺境の地であっても、孤独と苦難の中にあっても、死と隣り合わせであっても、イエス様は、見捨てず、見離さず、ともにいて、将来と希望を与えて下さるのです。あがないの主ご自身が、すべての問題の答えなのです。
  • 結び…新しい週、皆さんを通して主の栄光と力が、この世に輝きますよう、祝福して祈ります。
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