Archive for 8月, 2017

Posted on 08/27/2017 at 21:05, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『マラナ・タ(主よ、来てください)』(黙示録その38)(2017.8.27)

 

主イエスの恵みがすべての者とともにあるように(ヨハネ黙示録22章21節)

  • はじめに…来年、HⅡ-Aロケットに、愛知工科大学と蒲郡の企業が合同で製作している「超小型人工衛星」が搭載され、打ち上げられるというニュースがありました。この人工衛星のサイズは縦・横・高さが10センチの立方体ということです。
  • 立方体…立方体というとモーセの幕屋の“至聖所”は縦・横・高さが10キュビト(約4・5メートル)です。そして黙示録に記されてある“聖なる都、新しいエルサレム”は縦・横・高さが12000スタディオン(約2220キロメートル)で、日本列島がすっぽり入る大きさの立方体です(黙示録21章16節参照)。至聖所も新しいエルサレムもともに立方体であって、神様の臨在される場所です。また大祭司が年に一度入ることが許され、あるいはいのちの書にその名が記された聖徒が永遠に住まうところです。
  • 宝箱…黙示録21章は聖都の外観が示され、22章はその内側の光景が記されています。都の中央に「いのちの水の川」が流れ、その両岸に「いのちの木」があります。「いのちの水の川」は光り輝き、渇きをいやし、「いのちの木」は毎月、実をつけ、その葉は、人々をいやし(力を与える)ます。神と小羊の御座があり、しもべ達は礼拝し神の御顔を仰ぎます。まさに聖都は、外観も内側もともに輝きに溢れている“宝箱”です。
  • 敗北は復活の証…史上最年少プロ棋士の藤井聡太四段(15歳)の怒涛の快進撃のきっかけとなった加藤一二三九段(77歳)。通算記録は2497戦(歴代1位)1323勝(歴代3位)1173敗(歴代1位)。将棋界最多敗戦記録保持者でもあります。「人は生きていく上で敗北を経験せずにはいられない存在。大切なのはいかなる逆境の中でも『希望』を捨てない不撓不屈(ふとうふくつ)の精神」「敗北とは絶望や終焉を意味するものではない」「人間はどんなところからでも出直せる」「『負けました』と頭を下げても、真摯に将棋を指し続けた、その積み重ねが『1100敗』という記録なのです。いわば私の『復活の証』なのです」と、『負けて強くなる』(宝島社新書)で語っています。“主の恵み”とは、まさに将来の希望に裏付けられた復活の力といって良いでしょう。
  • 結び…新しいエルサレムで、主とともに喜んで生きる希望に裏打ちされた日々を真摯に生きる皆さんであるよう、お祈りします。マラナ・タ(主よ、来てください)
Posted on 08/21/2017 at 16:08, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『すべてを新しくする』(黙示録その37)(2017.8.20)

 

かくて御座に坐し給ふもの言ひたまふ『視よ、われ一切のものを新にするなり』また言ひたまふ『書き記せ、これらの言は信ずべきなり、眞なり』(ヨハネ黙示録21章5節・文語訳)

  • はじめに…先週、家内と一緒に孫二人を連れて「名古屋港水族館」に行きました。毎年一回の恒例行事になっています。水族館の「イルカショー」と「マイワシのトルネード」は圧巻です。水族館に着いてすぐに、ショーの時間を確認しようとして妻曰く「イワシのタルムードは何時から?」と。タルムード? トルネードはイワシの知恵。タルムードはユダヤ人の知恵。では神の知恵は?
  • 新しい天と新しい地…まさに神の知恵は、創世記から黙示録までの聖書に記された“みことば”だと言えるでしょう。イエス様は言われました。「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばマイワードは決して滅びることがありません。」(マタイ24章35節)。そのみことば通り、決して古びず、滅びず、いつまでも新しい天と地を用意されていることを使徒ヨハネに啓示としてはっきりと見せて下さいました。
  • 新しいエルサレム…さらに聖なる都、新しいエルサレムが天から下って来る光景をも見せて下さいました。この新しいエルサレムは、イエス様が十字架に架かられ、死んで復活し、昇天された後、備えに行かれた場所です。イエス様は語られました。「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」(ヨハネ14章2-3節)。これは花婿が新居を準備して、花嫁を迎えに来るように、花婿なるイエス様が、花嫁なる私たちを迎えに来るという約束のみことばです。
  • 信ずべきなり、眞なり…使徒ヨハネは、それらの光景を見た後に、御座から声を聞きました。「神はともに住む」「涙をぬぐい取る」「死も、悲しみも、叫びも、苦しみもない」「わたしは、すべてを新しくする」「信ずべきなり、眞なり」(黙示録21章3―5節)
  • 結び…今週もみことばに信頼して歩まれる皆さんであるよう、祈ります。
Posted on 08/13/2017 at 18:58, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『第一の復活にあずかる者は幸い』(黙示録その36)(2017.8.13)

 

この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。(ヨハネ黙示録20章6節)

  • はじめに…8月9日、「ノーモア ヒバクシャ」ということばで、今年の長崎平和宣言が語られました。「このことばは、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。(…)これはゴールではありません。」“絶対悪”である原子爆弾によって広島では14万人超、長崎では15万人超の尊いいのちが一瞬にして奪われました。当時の惨状を伝える際、黒く焼け焦げて散らばる多数の屍(しかばね)、髪は縮れ真っ黒い顔をした人々等々、具体的な名は伝えられません。つまり人格がまったく無視されてしまうのです。
  • いのちの書…原爆死没者名簿には、現在、広島30万3195名、長崎17万2269名の名が記されてあります。その名を確認しようと調べてみましたが残念ながら閲覧することはできないようです。聖書には「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9章27節)とあります。死後、最後の審判がある訳ですが、その審判の材料になる数々の書物があり、そのひとつに「いのちの書」があり、その中には一人ひとりの名前と生き様が詳細に記されてあり、その内容に基づいて裁きがなされるのです。
  • 第二の死…「一度死ぬ」というのは、いわゆる肉体の死です。その死後に、最後の審判のためにすべての人はよみがえらされる訳です。そして「いのちの書」に名のしるされていない者の結末は「火の池」であり、これが「第二の死」といわれるものです。『第一の死は、霊魂が自己の意志に反して肉体から飛び出すことであり、第二の死は、霊魂が自己の意志に反して肉体の中に留まるようにされること』とアウグスティヌスは言います。
  • 第一の復活…みことばは語ります。第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。「第一の復活」の初穂がイエス・キリストです(Ⅰコリント人への手紙15章20、23節)。そしてキリストに続く者があります。
  • 結び…聖霊様の内住で満たされ、自由に日々を生きる皆さんであるよう祈ります。
Posted on 08/06/2017 at 19:45, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『神の真実のことば(真言)』(黙示録その35)(2017.8.6)

 

 

御使いは私に「小羊の婚宴に招かれた者は幸いだ、と書きなさい。」と言い、また、「これは神の真実のことばです。」と言った。       (ヨハネ黙示録19章9節)

  • はじめに…詩篇は、人生の悲喜こもごもを著している書物です。その終盤、146篇から150篇は、ハレルヤ詩篇と呼ばれ、冒頭と末尾がハレルヤで挟まれていいます。ハレルヤは言わずもがな、“主を賛美せよ”という意味です。人生はハレルヤではじまり、ハレルヤに至るのです。
  • ハレルヤ…ハレルヤは、旧約では詩篇にだけあり、新約聖書には、ヨハネ黙示録にだけ記されてあります。しかも黙示録19章に4回、記されてありますが、新約では、この4回だけです。つまり新約のすべてのハレルヤが、この黙示録19章に記されてある訳です。
  • 婚姻の用意ができた…この聖書の最終章の黙示録にハレルヤが記されてある訳ですが、何故に主を賛美するのかと言えば、「小羊の婚姻の時が来て、しかも花嫁はその用意ができたから」(黙示録19章7節)です。そして、使徒ヨハネは御使いから「小羊の婚宴に招かれた者は幸い」「これは神の真実のことば」というメッセージを聞いたのです。今秋、私の友人が結婚式を挙げることの知らせを聞いていますが、もしかしたら結婚する本人たち以上に、知らせを聞いて婚宴に招待される者の喜びのほうが大きいようにさえ感じます。もう自然と心の奥底から「ハレルヤ」のことばが溢れ出て、抑えきれない、そんな感じがします。
  • 真言…仏教の一派に真言宗という宗派がありますが、真言宗を開いたのは空海こと弘法大師です。真言宗の真言とは、秘められた深い真理のことばを意味すると空海は記していますが、まさに「小羊の婚宴に招かれた者は幸い」という聖書のみことばは、「神の真実のことば(神の眞の言=文語訳)」、“真言”です。使徒ヨハネは、この真言を、御使いから知らされたのです。そして、その“真言”のメッセージ、すなわち小羊の婚宴への招待状が、今、私たちの前に届いているのです。そのことを深い祈りの中で、聖霊様の導きによって私たちは知り、ハレルヤと主を賛美するのです。
  • 結び…再び来られるイエス様から届けられた婚宴の招待状をこころに刻んで、愛と喜びと平安の日々を過ごす皆さんであることを主に感謝します。
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