Archive for 12月, 2017

Posted on 12/24/2017 at 15:57, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『イエス様誕生の告知』(待降節第4主日)(2017.12.24)

 

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。                  (ルカ福音書2章6-7節)

  • はじめに…きょうは4本目と5本目のキャンドルに火が灯りました。これは「マリアのキャンドル」「キリストのキャンドル」です。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」(ルカ1章38節)と、みこころを受け止めたマリアの信仰による従順を象徴するキャンドルです。そして闇を照らす「世の光」が、主イエス・キリストであることを象徴するキャンドルです(ヨハネ1章5、9節、8章12節参照)
  • 受胎告知教会のレリーフ…イエス様の母マリアが、天使ガブリエルから受胎告知を受けたとされる場所に受胎告知教会(ガリラヤのナザレ)が建っています。その扉にはイエス様の生涯を描いたレリーフが施されています。左上から反時計まわりに①飼い葉おけで生まれたイエス様、②エジプトへの逃避、③父ヨセフの大工仕事を手伝うイエス様、④バプテスマを受けるイエス様、⑤山上の垂訓、⑥十字架のイエス様。そこから左側の壁に向きを変えると、もうひとつレリーフがあります。それは創世記の出来事です。①アダムとエバ(サタンの誘惑)②産みの苦しみ、労働(恵みの喪失)③ノアの洪水(審判)④モリヤ山でのアブラハムのイサク奉献(あがない)。この世は、創造の主が、人間を愛する愛を現わすために創られた世界です。しかし人の罪(自我・欲)によってこの世界が占領され、主との関係を壊しているのです。この関係を回復する神様のあがないと救いの御業(歴史)が旧新約聖書、そしてイエス様の生涯のテーマです。
  • 羊飼いへの告知…このイエス様の誕生の知らせをベツレヘム近郊の羊飼いたちが天使から聞いたのです(ルカ2章8-11節)。そのとき、「主の栄光が回りを照らした」(同9節)とありますが、主の臨在が再び戻って来たのです。
  • 布に包まれ飼葉おけで…イエス様は、立派な宮殿で、暖かな衣に包まれてお生まれになられたのではありませんでした。亜麻布で包まれ、寒々しい洞窟の飼葉おけの中にお生まれになられたのでした。まさにその誕生がすでにあがないの御業、救いの御業を暗示していたのです。
  • 結び…きょう、主イエス様がくださった、あわれみと祝福に感謝します。
Posted on 12/17/2017 at 21:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『バプテスマのヨハネ』(待降節第3主日)(2017.12.17)

 

この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』」と言われたその人である。(マタイ福音書3章3節)

  • はじめに…待降節第3主日、3本目のキャンドルに火が灯りました。これは「バプテスマのヨハネのキャンドル」です。バプテスマのヨハネは、救い主なるイエス様を世の人々にいち早く証した、福音宣教の先駆者でした。荒野に住み、いなごと野蜜を食べ、粗末な衣服に身を包んで、“声”として働いていました。
  • 誕生…バプテスマのヨハネは、祭司ザカリヤとエリサベツの子として誕生しました。御使いガブリエルが、神殿で朝夕の香を焚く奉仕をしているザカリヤに「(…)あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。(…)彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子に向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意する」(ルカ福音書1章13-17節)と、その誕生と、その働きについて告知しています。
  • エリヤ再来の預言…この聖句は、旧約のマラキ書4章5—6節の引用であり、その預言の成就といえます。あの偉大な預言者エリヤが再来し、神様から離れた民の心を再び結び合わせる、関係を修復するというみことばです。つまり、バプテスマのヨハネが旧約と新約の橋渡し、あるいは要(かなめ)として働くということです。
  • バプテスマのヨハネの働き…“エリヤの霊と力”をもって、具体的にどのような働きをしたでしょうか。ユダヤの荒野で「悔い改めなさい。天の御国が近づいた」(マタイ3章2節)と、人々に今の生活、生き方を根本的、霊的に変えるように、働きかけ、「私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方」(同11節)とイエス様が主メシヤ、救い主であることを宣べ伝えました。またヨハネは、「自分はキリストでははない」と言明し、そして自分がエリヤの再来だということも否定しました(ヨハネ1章20、21節)。徹底して自分を低くし(イザヤ書40章3—5節)、その立ち方を貫き通し、貴賤の区別なく、傲慢な生き方をする者に対しては媚びることなく糾弾しました(マタイ14章3、4節)
  • 結び…私たちも、降誕日に向けて、まっすぐに主の道を備えたいと願っています。
Posted on 12/10/2017 at 18:23, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『まことの預言者』(待降節第2主日)(2017.12.10)

 

それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。(イザヤ書7章14節)

  • はじめに…先主日からイエス様のご降誕を待ち望むアドベントに入りました。私たちはアドベント・クランツに4本(5本)のローソクを立てて、アドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯していきます。今日は2本目で「預言者のキャンドル」です。旧約聖書は39巻の書物で構成されていますが、モーセ五書(5巻)・歴史書(12巻)・詩歌(5巻)、そして預言書(17巻)に分類されます。このうち預言書を記した預言者たちに託されたメシア来臨の預言が、イエス様の誕生によって成就したことを象徴しています。
  • 預言者…まず「預言者」と聞くと、だれを思い浮かべるでしょうか? 預言者エリヤ、エリシャ、イザヤ、エレミヤ、ホセア、アモス、ミカ…。それぞれ王に対して、そして民衆に対して、歯に衣を着せることなく、主から預かったことばを大胆に語った人たちでした。今、生きている現実の中で、権力を恐れることなく、また情にほだされることなく、主から託されたことばを曲げることなく伝えました。それは時として王にとっても、民衆にとっても耳障りなことばでした。
  • にせ預言者…これらの“まことの預言者”が活動する一方で、“にせ預言者”も起こりました(マタイ24章11節他)。にせ預言者は、一見、真っ当なことを語っているようですが、自分の欲得に従い、心の思いを語っているに過ぎないのです(エレミヤ14章14節)。にせ預言者は自分の国を愛する者であり、国が大きく強く富むことを望む者です。そのように言うと「自分の国を愛して何がいけないの? そういうあなたこそ『売国奴』『非国民』じゃないの」などと、今日でも批判されそうですが、“まことの預言者”たちは率直に神のことばを語ったがゆえに、王や民衆から疎まれ、孤立無援でした。問題なのは、主なる神よりも、国を愛し、富を望むことです。
  • 主を待ち望む者は幸い…私たちは「真」「偽」を見極めることは難しいことです。本当に真実な方だけが、偽物を見極めることができる方です。その方を待ち望む者を、主なる神は恵み、あわれもうとして立ち上がられる、そうイザヤは生きた神のみことばを預言しています(イザヤ30章18節)。そして神の独り子なるイエス様がこの地上に送られました。
  • 結び…インマヌエルなるイエス様を迎える心の扉を開いて過ごす一週間となりますように。
Posted on 12/03/2017 at 17:15, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『アブラハムより偉大な方』(待降節第1主日)(2017.12.3)

 

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」(ヨハネ福音書8章58節)

  • はじめに…本主日からイエス様のご降誕を待ち望むアドベントに入りました。私たちはアドベント・クランツに4本(5本)のローソクを立てて、アドベントの主日毎に1本ずつ明かりを灯していきます。今日はその1本目で「アブラハムのキャンドル」です。主の約束を信じて信仰の歩みを始めた“信仰の父”ゆえに、約束の成就としてのイエス様の誕生へと引き継がれてきたことを想起するキャンドルです。
  • アブラハムの信仰…まず「信仰とは何か?」という問いに対して、もっとも明快に告げているのはヘブル人への手紙11章1節でしょう。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」。その信仰によってアブラハムは、数多の困難を乗り越えながら人生行路を歩み続けました。(もちろん失敗も)①主のみことばに従って(75歳の後期高齢者で)旅立ちました(創世記12章1-4節)②「全能の神」を(99歳の白寿で)知り、全幅の信頼をもってひれ伏した(同17章1、17節)③ひとり子イサクをモリヤの山で主にささげた(同22章9-13節)のです。このアブラハムが“天の故郷”に想いを向け、また、死者の復活を信じていたことをヘブル人への手紙は伝えています。これこそ信仰の父、信仰の祖と呼ばれるにふさわしい生き様です。
  • アブラハムが生まれる前…このアブラハムの信仰は、アブラハムの父、テラから受け継がれたものではありません。テラはウルからカナンに向けて、アブラハムと一緒に旅立ちましたが、途中のカランに住みついて、そこで一生を終えています(同11章31、32節)。テラは目に見える現実を前にして、その場にとどまりました。しかし、アブラハムは天の都(主の臨在)を望み見て喜び歩みを進めたのです(ヨハネ8章56節)「信仰の創始者であり、完成者」であるイエス様は、アブラハムが生きているとき、さらには生まれる前から存在していたのです。イエス様(みことば)によって世界(万物)は保たれているのです(コロサイ1章15-17節)。私たちはイエス様ご自身である“みことば(の真理)”によって生きる自由を与えられているのです(ヨハネ8章32節)
  • 結び…いのちの光としてこの世に来て下さり、十字架と復活により、罪から解放し、自由と希望に生きる新しい道を拓いて下さるイエス様がおられます。
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