Archive for 6月, 2021

Posted on 06/27/2021 at 09:45, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『喜びのライフ・クリエーター』(イエス・キリストの生涯 その166)(2021.6.27)

それから、ふたりをその家に案内して、食事のもてなしをし、全家族そろって神を信じた(御国の市民権を得た)ことを心から喜んだ(使徒の働き16章34節)

  • はじめに…コロナ禍の中で、若者と女性の自殺者が増加していることを耳にします。悩みや課題が連鎖する中で、「もう生きられない」「死ぬしかない」と、追い込まれた末に亡くなっていると言います。その人たちは①仕事を失い、②生活のために借金を重ね、それが多重債務となる中で、③家族の関係が悪化、④精神的にも追い詰められてうつ状態になる「自殺の危機経路」と呼ばれる4つの悩みや課題を抱えていたことが分かっています。パウロは叫びました。「自害(自殺)してはいけない。私たちはみなここにいる」
  • 獄中賛美…先主日は、占いの霊につかれた女奴隷をパウロが解放した出来事をみました。今日はその続きで、金儲けの途が断たれた女奴隷の主人たちにパウロとシラスは裁判のために引き出され、その訴えを聴いた長官(裁判官)たちによって、何度も鞭打たれ、そして投獄されてしまいました。この裁判で、パウロとシラスは、ローマ市民権を持っていることを明かしていません。もしその事を主張すれば、鞭打ちも投獄も避けられたでしょう。投獄されたその日の真夜中、現実的には先の見通しが立たず、また鞭打たれた痛みの中にあるにもかかわらず、ふたりは祈りと賛美を神に捧げました。神に対する祈りと賛美が、彼らのすべてであり、生きる希望そのものでした。
  • 大地震…その時、大地震が起こったのです。祈りと賛美によってこの大地震が起きたとしか言いようのない絶妙のタイミングです。パウロとシラスにとっては、この大地震は解放の出来事でした。鎖が解け、牢の扉が全部あいたのです。一方、牢の見張り番の看守にとっては、職業人生の土台が崩れる出来事でした。囚人たちを逃がしてしまったと思い「もう生きられない」「死ぬしかない」と、すぐさま剣を抜き、自殺を図ろうとしたのです。
  • 自害してはいけない!…パウロは間髪を入れず、「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」(使徒の働き16章28節)と叫びました。パウロは看守とその家族に対する、この地上でのいのち(ビオス)を支える働き(ライフ・サポーター)とともに、主につながっている永遠のいのち(ゾーエー)の創造の働き(ライフ・クリエーター)を、ピリピで行なったのです。ルデヤ家族に続き、二組目の主にある家族(御国の市民権を持つ者)の誕生をともに喜びました。
  • 結び…御国の市民権を持つ者として、イエス様の生き様を語り、振る舞いを通して、今、窮地に陥っている隣人に心を寄せ、寄り添う一人ひとりであるよう、お祈りします。
Posted on 06/20/2021 at 08:11, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『占いの霊を引き離すイエス様』(イエス・キリストの生涯 その165)(2021.6.20)

幾日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り返ってその霊に、「イエス・キリストの御名によって命じる。この女から出て行け。」と言った。すると、即座に、霊は出ていった。(使徒の働き16章18節)

  • はじめに…新型コロナウイルス感染の下げ止まりと、リバウンド(感染再拡大)による「第5波」が懸念されるなか、東京五輪が開催されようとしています。古代オリンピックの始まりは、伝染病の蔓延に困った南部ギリシャの王様がアポロン神殿で伺いを立ててみたところ、「争いをやめ、競技会を復活せよ」という啓示を受けたことが、その起源だという説があります。この霊的な背景を是とするか非とするか、立場は分かれるところですが、私としては霊的な縛りからの解放を祈ります。
  • 宗教界にて…今日の箇所は、紫布の商人ルデヤ(とその家族)の救いに続く出来事です。ルデヤの救いを“経済界”での出来事というならば、今日の占いの霊につかれた若い女奴隷の解放の出来事は、“宗教界”での出来事といえるでしょう。「占いの霊」とはギリシャ原語では「プネウマプュソーン」です。“プュソーン”は、ギリシア神話に登場する巨大な蛇の怪物を指しています。冒頭のアポロン神殿の神託所に仕える巫女(みこ)は“ピューティア”と呼ばれ、プュソーンの化身です。ですから今日の出来事は、多神教のギリシャ宗教界の一端に、唯一なるイエス様の御名、すなわち福音が食い込んで行った出来事です。福音は、暗やみの世界の支配者なる悪霊に対抗する力です(エペソ6章12節)。そのことをパウロは、古代オリンピック競技にたとえて「私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。」(①コリント9章26節) と言っています。オリンピック競技に様々あるように、この世の霊的な闘いの舞台も様々あり「経済界」「宗教界」そして「政治界」があります。
  • 解放と自由…福音は、人を遠ざけるのではなく関係を妨げているサタンを遠ざける方です。そして様々な場で生活する人を、あらゆる捕われから解放し、自由にします。イエス様は、だれひとり見捨てたり、見離したりなさいません。もっとも良き者として主から創造されたかけがえのない人として愛し、祝福してくださいます。主ご自身との永遠の関係を回復し信仰に生きる者としてくださいます。
  • 結び…今週も、皆さんの持ち味を活かして、イエス様ご自身が解放の御業をなしてくださることを信じ、感謝します。
Posted on 06/13/2021 at 09:07, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『祈り場は霊的染め物工場』(イエス・キリストの生涯 その164)(2021.6.13)

安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。(使徒の働き16章13-14節)

  • はじめに…昨日、香港での反政府デモをめぐり、無許可集会扇動罪などで服役していた民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)さんが出所したニュースを各メディアが報道していました。チョウさんは自身のインスタグラムに一面真っ黒の画面を投稿し、「苦痛の半年がやっと終わった。とても痩せて弱ってしまったので、ゆっくり休んで体調を整えます」と書き込んでいました。
  • 祈り場…今日の箇所はアジアの西端で“まぼろし”を見たパウロと一行が、エーゲ海を渡り、ヨーロッパ(マケドニヤ)の地に到着して数日後の、ピリピにおける安息日の出来事です。イエス様もパウロも、安息日にはユダヤ人の会堂(シナゴーグ)に入って教えられましたが、ピリピにはまだ会堂はなかったようです。そこで“祈り場(בֵּית הַתְּפִילָּה) ”がありそうな川岸を探すと、そこに女性たちが集まっており、その中に、紫布の商人ルデヤもいました。そこでパウロはヨーロッパで最初の福音宣教を語ったのです。
  • 紫布…「紫布」ですが、今年1月、イスラエル南部の砂漠地帯にある遺跡で、鮮やかな紫色の羊毛が発見され、今から約3000年前の紀元前10世紀ごろ、つまりダビデ王やソロモン王の時代に、地中海の巻き貝から採った染料の「貝紫(かいむらさき)」で染められていることが分かったそうです。当時、染料の生産地はフェニキアの都市ツロ(ヘルモン山の西約50キロ)です。きっとそこからテアテラまで染料を運び、そこの染め物工場で布染めした「紫布」に加工、そしてピリピまで運んで商売していた商社の社員がルデヤだったと言えます。テアフラで染め物職人として下積み生活を送り、その働きぶりが評価され、ピリピの商店主に登用されたのでしょう。故郷テアテラには太陽神を祭る土着信仰、ピリピもギリシャ・ローマの宗教文化的影響が絶大でした。しかしリデヤはそのような環境の中にあっても染まることはありませんでした。祈り場で“創造主”との親密な関係を保ち続けていました。そこでパウロの口を通して語られる福音によって心開かれ(open mind)、内側深くイエス様のいのちに染められたのでした。ピリピ教会の初穂となりました。
  • 結び…どんなに世の大波に揉まれても、忠実に祈る小さな祈りの集いに、主は目と心を向けてくださり、平安で満たしてくださるお方です(ピリピ4章6-7節)。
Posted on 06/06/2021 at 09:33, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『崖っぷちで』(イエス・キリストの生涯 その163)(2021.6.6)

パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。(使徒の働き16章10節) (出典:聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…先週、『いのちの停車場』という、吉永小百合主演の映画を観てきました。東京の救命救急センターで医師として第一線で働いていた咲和子(吉永小百合)が、ある事件をきっかけに、故郷の金沢で「まほろば診療所」の在宅医師として再出発をすることに。そこで様々な患者と出会い、戸惑いながら、まほろばのメンバーと共に、“いのち”に優しく寄り添い、避けることのできない死を迎える患者とその家族が、それぞれの立場から病と向き合い、葛藤し、受容し、成長してゆくというストーリーです。
  • まほろば…「まほろば診療所」の“まほろば”とは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語。つまり楽園、理想郷です。聖書的に言えば“エデンの園”“新天新地”です。天地創造の主の臨在があり、涙が拭われ、死もなく、悲しみもなく、叫びもなく、苦しみもない、すべてが新しくなる所で、イエス様が私たちに準備して下さっている所です。主イエス様が共におられる(インマヌエル)なら、そこが“まほろば”です。
  • まぼろし…パウロは“まぼろし”を見ました。“まぼろし”は、幻想、幻覚ではなく、ビジョンです。ヘブル語の定義では「暗闇を通して突き刺さる光として物理的な存在で見られるものを超えて見えるもの。その知覚能力」です。パウロの見た“まぼろし”の内容は、ひとりのマケドニヤ人が「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するものでした(使徒16章9節)。パウロたち一行は、このマケドニヤ人の「私たちを助けてください!」という切なる願いを、主の招きと確信し、アジアの西端を離れ、ヨーロッパへ向け、エーゲ海を渡る決断を下したのです。ダマスコでの復活のイエス様との出会いが蝶ちょの羽ばたきとなり、聖霊の風に乗って、アジア、ギリシャ、ローマ、そして東の最果ての日本へ、福音が伝播したのです。
  • 崖っぷちで…パウロが、まぼろしを見たのは“ある夜”でした。そしてアジアの西の端でした。霊的な意味で言えば、意識と無意識の境界線上、生死の境目、先の見えない崖っぷち(벼랑 끝)です。しかし、人間的なピンチは主と出会うチャンスです。絶望から希望の出来事、死からの復活の出来事を、主が体験させて下さいます。
  • 結び…イエス様は、まほろばのまぼろしを見せて下さり、いのちの灯台に光をともし、確信を与え、背中を押して下さいます。
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