Archive for 10月, 2022

Posted on 10/30/2022 at 19:16, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『神を造ってください!?』(新約に引用されている旧約 その23)(2022.10.30)

民はモーセが山から降りて来るのに手間取っているのを見て、アロンのもと集まり、彼に言った。「さあ、私たちに先立って行く神を、造ってください(…)」(出エジプト32章1節) /『私たちに、先立って行く神々を作ってください。私たちをエジプトの地から導き出したモーセは、どうなったのかわかりませんから。』とアロンに言いました(使徒の働き7章40節)

◆はじめに…私の勤めるデイサービスでは、現場スタッフ、現場リーダー、現場管理者に対する各種ミーティングを定期的に持っています。先日のリーダー会議では、度々物を盗む利用者さんの対応をどうするかがテーマになり、様々な対応策(案)を話し合うも、なかなか妙案は出ず、「所長はどう思われますか? 所長が“こうする”というならそれに従います」と結論を急ぐような話にもなりましたが、継続して検討することになり、ホッとしました。

◆金(メッキ)の子牛…今日の聖書のテキストは「待てない民の不安と不満」です。モーセがシナイ山に登ってから四十日が経過しようとしていました。ところが山に登ったまま帰って来ません。死んだ? 逃げた? 民は不安になり、混乱し、不満が募ります。それで残っているアロンに「私たちのために神を造ってほしい」と願ったのです。そうすれば安心しますと。アロンの造った神は「鋳物の子牛」(出エジプト32章4節)でした。その前に「金の耳輪を持って来なさい」(同2節)と指示をしていることから、「金メッキの子牛」だったのでしょう。そして牛そのものが神というより、牛を台座としてその上に臨在する見えないヤハウェをイメージしていたと思われます。そうだとしても偶像(物言わぬ神)です。

◆主と対話していたモーセ…山の上では、主がモーセに対して、臨在の幕屋の備品として、純金で「贖いのふた」と「燭台」を作るよう指示していたにも関わらず、山のふもとでは「金メッキの子牛」を造って、安易な安心と満足を得て喜んでいるイスラエルの民。その現実を知り、山の上でモーセは、主と対話をしていました。「怒りをおさめ、思い直してください」(出エジプト記32章12節)と。

◆主イエスと対話していたステパノ…この出エジプトの一連の出来事を、ステパノは議会での弁明(証し)で引き合いに出しています。しかし議会の人々はますます憤り、ステパノを町の外に引きずり出し、石を投げつけリンチにしました。その最中にステパノは天を見上げ、主イエス様を見、そして語りかけました。「この罪を彼らに負わせないでください」(使徒の働き7章60節)と。

◆結び…私たちは自らの安心・満足を求めて、偶像を礼拝する誘惑があります。しかし主イエス様は、私たちの祈りを聞いてくださり、対話されるお方です。

Posted on 10/23/2022 at 15:51, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『真実の幕屋』(新約に引用されている旧約 その22) (2022.10.23)

よく注意して、あなたが山で示される型どおりに作れ。(出エジプト25章40節) /その人たちは、天にあるものの写しと影とに仕えているのであって、それらはモーセが幕屋を建てようとしたとき、神から御告げを受けたとおりのものです。神はこう言われたのです。「よく注意しなさい。山であなたに示された型に従って、すべてのものを作りなさい。」(ヘブル人への手紙8章5節)

◆はじめに先週、満面の笑みを浮かべた河野太郎デジタル大臣が、大臣そっくりに型どったアバターロボットと並んでメディアに出ていました。今後、公的な場にアバターロボットが出席?して、大臣になり代わって公務を行なう実証実験が行なわれるようです。公共の場で情報発信したり、遠隔地での業務を大臣の代わりにアバターロボットが行うことで、大臣の移動にかかる時間や費用の削減効果をチェックするとか。結局、権力者がなるべく労力を使わず、ゲーム感覚で民衆をもてあそぶことになるだけでは…。一方で、小型分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」が、病気や身体的な理由で行きたい場所に行けない人が、会いたい人に会ったり、社会参加したりして、世界を広げ、誰かに必要とされて、死ぬ間際まで生きがいを感じられる社会を実現するために活用されはじめています。

◆天の写しと影…今日の聖書のテキストは「真実(天)の幕屋」と、その“写しと影”である「型(地)の幕屋」です。「型」あるいは「形式」から入ることは有限な人間にとって、とても大切なことです。伝統芸能や武術、スポーツ、お茶やお華の作法など、様ざまな学習も「型」から入ります。「学ぶ」ことは「まねぶ(真似ぶ)」ことです。創造主なる神も、神と人のコミュニケーション(霊的礼拝)の在り方を伝えるためにモーセに幕屋の建設を指示なさいました。地上の幕屋は天上の幕屋の「型」、すなわち“写しと影”だとヘブル書は語ります。モーセの幕屋が“写しと影”であるように、現在のキリスト教会も“写しと影”です。

◆真実の幕屋では「真実(天)の幕屋」とは? 天に地上の幕屋(教会)とそっくりな幕屋(教会)があるのでしょうか? 幕屋は主の臨在そのものです。教会はキリストのからだです。イエス様がこの地に住まわれたとき、イエス様ご自身が幕屋となられました。復活、昇天して天の御座に着座されました。イエス様は真実(天)の幕屋として天と地とよみを聖霊で満たして、大祭司の務めを続けておられます。幕屋の構造は、至聖所・聖所・庭の三位一体構造です。知・情・意であり、霊・たましい・からだ、父・子・聖霊、愛・恵み・交わりの三位一体構造です。

◆結び…真実の幕屋なるイエス様は、私たちを親愛の情をもって包み込んで下さり「神の民(神の子ども)」の型として天上の礼拝に与らせて下さっておられます。

Posted on 10/16/2022 at 16:50, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主の遺言(契約)としての血』(新約に引用されている旧約 その21)(2022.10.16)

そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である」(出エジプト24章8節) /これは神があなたがたに対して立てられた契約(遺言)の血である。」と言いました。(ヘブル人への手紙9章20節)

◆はじめに私の勤めているデイサービス事業所は、要支援者に対するサービスと要介護者に対するサービスの、二つのサービスを提供しています。デイサービスの利用者は、身体の状態の変化によって介護度も変わり、要支援だった利用者が要介護になったりします。すると新たに契約を結び直します。そして新しい契約書(事業所用と利用者用の二部)に署名、捺印してもらう必要があります。

◆旧約と新約…聖書は、旧約(第一契約)聖書と新約(第二契約)聖書が一つになっています。神様と人間の間に交わされた契約です。旧約は、羊や牛の血を用いて、契約が効力を持つものであることをお互いに承認しました。新約はイエス様が十字架で流された血によって、救いの契約が発効されたことの証しとなりました。旧約は動物の血、新約はイエス様の血によって契約が結ばれたのです。そのことをキリスト者は信じています。一度流された血、分けられた血は、元に戻すことはできません。故に、この血によって交わされた契約の承認は、無効にはできない、という意味と意志が込められているのでしょう。

◆遺言この契約のことをヘブル人の手紙では“遺言”と言っています。遺言と言うと、財産分与のことを想像しますが、私の祖父(母方)の遺言は「家族仲良く暮らすように」だったと聞いています。ではイエス様は? と言えば「罪を取り除くため」「救いのため」とヘブル人への手紙には記されてあります(ヘブル人への手紙9章26、28節)。イエス様ご自身は、わたしの血を飲む者は「永遠のいのちを持っている」「終わりの日によみがえらせます」「わたしのうちにとどまります」とおっしゃいました(ヨハネによる福音書6章54、56節)。遺言を確かなものとするためにこの世に来たのだと。「羊(あなた)のためにいのちを捨てる」(同10章11節)と。イエス様が十字架で自ら血を流し、いのちを捨てられることは、「あなた(羊)がいのちを得、それを豊かに持つため」(同10節)だと。その遺言を想起し続けることができるように、イエス様は「聖さんの時(聖餐式)」を準備して下さいました。

◆結び…罪の贖いと救いの確かな約束(遺言)を、霊、たましい、からだの全人格として感じ、体験し、証しする豊かな人生を、今日も主が共にいて導いて下さっていることに感謝します。

Posted on 10/09/2022 at 17:53, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ルラブの花束として』(新約に引用されている旧約 その20) (2022.10.9)

神をのろってはならない。また、民の上に立つ者をのろってはならない。(出エジプト22章28節) /パウロが言った。「兄弟たち。私は彼が大祭司だとは知らなかった。確かに、『あなたの民の指導者を悪く言ってはいけない。』と書いてあります。」(使徒の働き23章5節)

◆はじめに昨日の夕方、東の空にぽっかりと丸い月が浮かんでいました。明日10日から、仮庵の祭り(スコット)になります。庭やベランダに“スッカー”という簡易な小屋を建てて、家族、親戚がその仮小屋で過ごします。収穫の恵みの感謝(出エジプト記23:16)という側面と、エジプトでの奴隷状態から解放されたイスラエル民族が、約束の地に行く40年間の荒野放浪生活を主が守ってくださった歴史(レビ記23:42-43)を記憶する側面があります。また壊れやすく、風雨に対して無防備な仮の住まいは人間存在の億弱さを表していると同時に、その脆い人間を覆っている主の守りが、過去も現在も、そして将来にわたってあることを覚える機会になります。

◆ルラブの花束…先週、家内は、プリザーブドフラワーのアレンジの講座に出掛け綺麗なバラとアジサイのアレンジメントを作りましが、仮庵の祭りの際、シナゴーグでは 、イスラエルの地に育つ四種類の植物を花束にしたアルバ・ミニム(ルラブ・ブーケ)を打ち振る典礼が執り行われます。束にするのは、多種多様な者が、誰一人として欠けることなく、お互いを必要としていることを象徴しています。つまり誰も置き去りにされず、多様性(違い)を包み込む世界を現しているのがルラブの花束なのです。

◆のろってはならない今日のテキストの出エジプト記は「神をのろってはならない。(…)上に立つ者(指導者)をのろってはならない」と語っています。そしてパウロ(パリサイ派)は大祭司アナニヤ(サドカイ派)に対して「白く塗った壁」だと非難を口にしましたが、それに対して議員たちは「大祭司をののしるのか」と逆に悪口を浴びせました。それでパウロは皮肉を込めて先ほどの出エジプト記のことばを引用したのです。パウロの真意はアナニヤが真の大祭司であったなら、と。パウロにとっも、私たちにとっても永遠の大祭司はイエス様です(ヘブル5章1-10節他)。またイエス様はおっしゃいました。「人の先(上)に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい」(マルコ10章44節)

◆結び…私たちはルラブの花束として、違いを包み込み、共に永遠なる大祭司であるイエス様を賛美し、もっとも小さな者の声に耳を傾け、歩みを共にする者であることを覚えつつ、知恵と力と勇気を与えて下さる主に感謝を捧げます。

Posted on 10/02/2022 at 17:51, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『イエス様の黄金律』(新約に引用されている旧約 その19) (2022.10.2)

目は目。歯には歯。手には手。足には足。(出エジプト21章24節) /『目には目、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。(マタイ福音書5章38節)

◆はじめにロシアのプーチン大統領が先月21日に発動した動員令(徴兵令)から逃れるため出国したロシア人は約26万人以上に達したとCNNが伝えていました。法律によって国を守るために人殺しを強制されたくない、あるいは自分のいのちを犠牲にしたくないという、自然な思いと行動だと思います。

◆目には目、歯には歯…本日のテキストは、いわゆる民法、刑法に相当する決まりが記されてある章のうち、刑法の根幹の部分と言える箇所です。人の本能(自然な感情)として復讐心(仕返しをしたいという気持ち)があります。しかしその感情は時として暴走し、過剰な行動をしてしまうことがあります。典型的な例がかつてのモーセの行動があります(出エジプト記2章11-12節参照)。その過剰なリベンジに対して法的に“歯止め”をかけるのが、「目には目、歯には歯」でした。“同態復讐法”と呼ばれるものです。ただ復讐の連鎖を完全に断ち切ることは不可能です。それは現在の世界がいまだに復讐の連鎖が続いていることを観れば明らかです。そして日本においては、報復することは正義として、「敵基地攻撃能力」とか「反撃能力」という表現で、戦争放棄の大前提がある憲法(※)を有名無実化しようとする動きが活発になっています。

◆黄金律イエスは、旧約に記されてある“目には目、歯には歯”の律法の精神を徹底します。「左の頬も向けなさい」「上着もやりなさい」「一緒に二ミリオン行きなさい」「求める者には与え」「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(…)「自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です」(マタイ5章38節-7章12節参照)。この根拠は、天の父のみこころだとイエス様は語ります。「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ(…)雨を降らせ」「あなたがたに必要なものを知っておられ」「隠れた所で見ておられるあなたの父が報い」「求める者たちに良いものを下さる」(マタイ5章45節、6章8節、18節、7章11節参照)と。

◆結び…天の父は、私たち自身では返済不能の罪の代価を、御子イエス様を十字架に付けられることで、私たちのいのちを買い取ってくださいました。私たちのいのちは、イエス様のいのちと引き換えにして、天の父が私たちに与えて下さったいのちです。いのちの限りを尽くしてイエス様が示された黄金律を、身をもって為す者でありたい、そう願います。

※日本国憲法前文

日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民と協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和の内に生存する権利を有することを確認する。

われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげて崇高な理想と目的を達成することを誓う。

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