Posted on 05/03/2020 at 09:10, by matsumoto

主日メッセージ要約『憚ることなく妨げられることもなく』(イエス・キリストの生涯 その106)(2020.5.3)

パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。(使徒の働き28章30、31節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…私の勤めるデイサービスの利用者さんの中にも新型コロナウイルスの感染が心配で利用を一時休止される方が相当数いらっしゃいます。ほぼ一カ月以上、顔と顔を合わせていない訳ですが、先日、その方々にスタッフの写真入りメッセージを郵送しました。それに対してほとんどの方がお手紙や電話で応答して下さいました。コロナウイルス感染拡大の中、利用者の方々との物理的、時間的な距離は離れても、こころの距離は、想像を超えて近いことを実感し、大いに励まされました。ケア(介護)は一方通行ではなく双方向だということを、改めて体験しています。お互いがお互いのためになくてはならない大切な存在、キリストの体の肢体だということをつくづく思います。
  • Stay home…コロナウイルス感染拡大防止のため、不要不急の外出を避け“ステイホーム”が呼びかけられています。そのため多くの教会でも教会に集まっての礼拝は行わず、それぞれのご家庭で祈りの時を持つよう、勧められていることと思います。言うなれば、使徒の働きの最終章のパウロの幽囚状態と同じ状況と言えるでしょう。かつての日本で言えば“蟄居(ちっきょ)”です。行動は大きく制限されてもホーム(祈りの家)は無限の拡がり、深まりがあります。
  • 古くて新しい教会像…今、世界の枠組みが大きく変革されようとしています。教会も同様でしょう。その方向性は、今日のテキストのパウロの宣教の在り方にあるのではないでしょうか? 宣教の目的地、“地の果て”であるローマ幽閉中にパウロは「獄中書簡」(エペソ書、ピリピ書、コロサイ書、ピレモン書)をしたためました。つまり周囲には信頼できる信徒たちがいたにもかかわらず、組織的(制度的)教会を人為的に創設することはせず、借家に訪れる信徒たちに神の国とイエス様を伝えることが、パウロの働きのすべてだった訳です。私たちは今、再び、この古くて新しい教会像を軸に据えるときでしょう。
  • 結び…それぞれの場で、はばかることなく、また妨げられることもなく、パウロのように、また主イエス様のように、神の国の福音を告げ知らせる一日一日であるよう、お祈りします。
Posted on 04/26/2020 at 09:45, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『元気を出しなさい』(イエス・キリストの生涯 その105)(2020.4.26)

しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい(こころ晴れやかに、上機嫌で)。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。(…)ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。(使徒の働き27章22、25節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…新型コロナウイルスの感染拡大は一向に収まらず、先週は俳優の岡江久美子さんが亡くなったことが報じられました。最期の看取りもできない家族の方々の悲痛な思いに絶句します。家族の方々に主の慰めを祈ります。
  • アプリ「聴くドラマ聖書」…「聴くドラマ聖書」というアプリがありますが、その配役で神様役が岡江久美子さんのご主人、大和田獏さんのお兄さんの大和田伸也さんです。クリスチャンです。岡江久美子さんを包むようにキリスト者の親族があり、きっとその一人ひとりの祈りがイエス様に届けられていることと信じます。
  • 難破船…今日のテキストはパウロが囚人としてローマへ護送される船での出来事です。不幸にも船が座礁し難破してしまったのです。よく私たちの人生を船に乗った航路にたとえます。人生、順風満帆に越したことはないのですが、逆風が吹き、ときに漂流し、難破してしまうことがあります。どんな時に漂流したり難破するのかというと、自分の知識経験に頼ったり、自身の欲望を優先したり、所有に執着したりする時です。
  • 救い(贖い)…いざという時の命綱は、私たちの持っているものではなく、主イエス様の口から出る、みことばです。みことばによって確信が与えられ、希望が与えられ、喜びが与えられ、元気が与えられるのです。私たちの人生の羅針盤は聖霊です。こころ静かに聖霊様の導きに委ねるとき、絶望的な非常事態の中にあっても、恐れたり、動揺したりすることなく、平安のうちに生きることができます。パウロは、「いのちを失う人は一人もありません」と宣言しました。“いのち”はプシュケー(息)です。それはイエス様が私たちに吹き入れてくださっているいのちです。そのいのちは船が失われても、決して失われないのです。パウロの主に対する信頼が、乗船者すべてのいのちを救ったのです。この出来事は断食の季節、つまりユダヤの大贖罪日、そして仮庵の祭の時期でした。大祭司による贖いからイエスの再臨にいたる出来事を霊的に覚えるにもっとも相応しい時だったと言えます。
  • 結び…船は失われました。しかしすべての人は救われました。つまり不信仰と絶望と憎悪はこっぱみじんになったのです。「いつまでも残るものは信仰と希望と愛」です。今日一日、元気を出して、こころ晴れやかに行きましょう。
Posted on 04/19/2020 at 09:35, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『暗やみから光に』(イエス・キリストの生涯 その104)(2020.4.19)

それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである(使徒の働き26章18節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…3月末から岐阜県可児市御嵩町に引き寄せられています。かつて御嵩町にはキリシタンが生きていたのです。そのことが分かったのは1981年に町道の道路拡張工事の際、十字架の石碑が七御前(ななごぜん)と呼ばれる場所から発見されたことがきっかけでした。今からわずか約40年前です。
  • 絶やさずの灯明…そこでは「絶やさずの灯明」と呼ばれる行事が行われていたということです。それは『毎年4月20日の夜から21日の朝にかけて、仏壇にマリア像と思われる子育て観音を立て、ろうそくに火を灯し水を供える。線香は焚かず読経もあげない。ろうそくは一晩中絶やさないよう見守る。これは代々嫁いできた嫁の仕事だった』(渡辺正司著「霧に隠れた里 御嵩のキリシタン」より)。同じ日の夜、十字架の石碑が発見された七御前の森に、人目を忍んで祈りに行っていたようです。つまりイースターに時を合わせるようにして行事を行っていたのです。
  • 暗やみから光に…今日のテキストはアグリッパ(ヘロデ大王のひ孫)の前でのパウロの弁明です。そこでパウロは大胆に主イエス様との出会い(ダマスコ途上での邂逅)を証ししました。復活のイエス様がパウロ(この時点ではサウロ、つまり迫害者)の眼前に現れ直接、語られたのです。「あなたを証人として任命する。暗やみ(現実)のただ中で光(真実)を見出す霊眼を開き、暗黒の世界(罪と苦難と絶望)から、光の世界(正義と歓喜と希望の)に立ち返らせ、まったく新しい生命に繋がって生きるものとするためである」(使徒26章18節筆者私訳)。その宣言を太陽よりも明るく輝く光の中から聞いたのです。
  • 結び…神は光であり(Iヨハネ1:5)、御子イエスは、まことの光であって(ヨハネ1:9)、この光はやみの中に輝いており(ヨハネ1:5)、やみはこれに打ち勝たなかった(ヨハネ1:5)と、使徒ヨハネも宣言しています。永遠の光である復活の主イエス様は、皆さんお一人ひとりの希望の光として今日も暗やみの中で輝き続けています。
Posted on 03/29/2020 at 18:22, by matsumoto

主日礼拝『安息の礼拝』(イエス・キリストの生涯 その101)(2020.3.29)

神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神がなさっていたすべての創造のわざをやめられたからである(創世記2章3節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

2019年度最後の主日、夫婦二人での賛美と祈りの礼拝としました。首都圏を中心に活動の“自粛”が要請されていますが、いとすぎ教会としては教会堂での礼拝の自粛というよりは、“安息”の礼拝のときを過ごしました。神様が息を吹き込み、生きる者として私たちを創造し、賛美し、祈る者としてくださったことを感謝します。そして、医療関係者の昼夜を徹しての働きに主のねぎらいと、経済的な打撃を被り、日々の暮らしに窮している方々に主の助けが 、闘病中の方々に主のいやしが あるよう、切にお祈りします。

Posted on 03/22/2020 at 18:28, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『温められ、満たされる主の計画』(イエス・キリストの生涯 その100)(2020.3.22)

そこで、フェストゥス(フェスト)は陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「おまえはカエサル(皇帝ネロ)に上訴したのだから、カエサル(カイザル)のもとに行くことになる。」(使徒の働き25章12節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…『アオサにコロナウイルス増殖抑制効果、中部大学が発見』(大学ジャーナルオンライン)という記事が2月24日にありました。地元の大学発信だったので身近に感じ、すぐに可児市のバラ園の近くにある市場へアオサの買い出しに行き、ほぼ毎朝、みそ汁にアオサを入れて飲んでいます。アオサの在庫が少なくなったので先週のオフの日に再び買い出しに出かけました。アオサで免疫力アップして、手作りマスクで感染防止。そして人混みを避ける。私たちにできる最大限の新コロ対策をして日々過ごしています。
  • 発見…可児の市場にはおいしいシュウマイが売ってあって、広々とした駐車場の景色の良い場所を選んで車中でのんびり昼食するのが私たちのささやかな気分転換の時間。目の前の小高い山をひんぱんに往来する人たちの姿があったので、昼食後に私たちも少し歩いてみることに。川のせせらぎの音や足裏に土の感触、カタクリの花…。いやされる空間がありました。そこは“東海自然歩道”でハイキングコースになっていました。バラ園も市場も同じ可児市にあるのですが、今までそれぞれ別のルートで出かけていたのですが、同じルートを使って短時間、低コストで行けることが分かりました。さらに少し足を延ばせばおいしいケーキ屋さんがあることも分かりました。私たちのリフレッシュとお客様のおもてなしの環境が整えられてきて感謝です。
  • 主の計画…迫害者パウロが主イエス様との思いがけない出会い(邂逅)により劇的回心をして福音伝道者となり、福音がエルサレム近郊にとどまることなく、世界へと伝播していくことになりました。その過程で異邦人、そして同胞ユダヤ人からの数多の迫害、攻撃、困難に遭遇しつつ、経験を積み重ねることによって逆境を乗り越える知恵(霊知)を得て進んでいったのです。確かに今回のテキストの25章では一向に前進していないように見えます。しかし水面下では着々と主の計画が温められ、満たされ、進められていき、ついにはローマ、そしてスペイン、全世界へと拡がって行き、空間、時間を超え、私たちの霊、たましい、からだを刷新するに至ったのです。パウロが主から与えられた使命をまっとうしたように、私たちも主から与えられている、それぞれの使命を必ずまっとうさせていただけると信じています。
  • 結び…今週、皆さん一人ひとりの内側に、主の愛の計画が実現に向かって確実に満たされていることを信じ、主イエス様に感謝します。
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