Posted on 12/01/2019 at 23:47, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『私たちを諦めない主』(イエス・キリストの生涯 その87)(2019.12.1)

アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」(創世記17章17節)

  • はじめに…今年も残すところあと1カ月となりました。悲喜こもごもあり、充実していたといえばそう言えますが、心と身体が時間の過ぎるスピードに追い付けないような、時代のうねりに翻弄されている感があります。そのような中にあるからこそ、主イエス様がしっかりと私たちをその懐に抱きかかえて下さっていることを確信することができ、平安を保つことができます。
  • アブラハムのキャンドル…2019年のアドベントを迎えました。創造の主なる神様の私たちへの愛のかたちである主イエス様のご誕生を感謝と喜びとともに、アドベント・キャンドル(4本)に1本ずつ火を灯していきます。そして再び来られるその時を待ち望みます。最初のキャンドルは「アブラハムのキャンドル」です。今年もこの待降節の礼拝の場にいることができる幸いを感謝します。
  • 無限の可能性…アブラハムは75歳のとき、主の約束のみことばに従って生まれ故郷を去り、主の示された地へ旅立ちました。今の日本で75歳はいわゆる“後期高齢者”です。自宅に閉じこもりがちになるのを防ぐためにデイサービスに出掛けるくらいの年齢です。そしてアブラハムが99歳になったとき、主から「(妻サラを通して)男の子を与える」(創世記17章16節)と、みことばがありました。そんなバカな!? ウソでしょ? アブラハムは信じられませんでした。当然、妻のサラも笑いました。しかしその1年後、主のみことばは現実となり、イサクが生まれたのです。そして連綿と主の愛の歴史が織りなされ、約2千年の後、マリヤが聖霊によってイエス様を身ごもったのです。それからさらに2千年を経た今日、約4千年にわたって貫かれて来た主の愛の歴史、その主の無限の可能性の中に、私たちの存在、全人格が包まれているのです。
  • 結び…「神にとって不可能なことは一つもありません」(ルカによる福音書1章37節)と、イエス様を身ごもったマリヤが告白しました。どんな逆境の中にあっても、困難な状況にあっても、主は決して私たちを諦めません。その希望の光が今日もひとつ灯されているのです。
Posted on 11/10/2019 at 18:51, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『聖霊と幻による動機づけ』(イエス・キリストの生涯 その86)(2019.11.10)

ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください。」と懇願するのであった。パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。(使徒の働き16章9-10節)

  • はじめに…先々週、壱岐の島から「あのチャリティーコンサートで自分のための人生から他者のために生きる人生へと180度変わった」という友人が訪ねて来て、来年5月をめどに、島のお年寄り(先輩)の方が、楽しくいきいきと過ごせる集いの場を創ろうと、熱い思いを持って奔走していることをお伝えしました。私たちは、出会いと出来事、体験を通して人生が変わります。変わるというより成長します。それも一個人の成長にとどまらず、キリストのからだとして共に成長します。その成長の過程で失敗しても、間違っても、それらすべて含めて主は、成長の機会を私たち一人ひとりに与えてくださっています。
  • ヨーロッパの初穂…今日のテキストの使徒の働き16章は、パウロたちと出会い、福音を聞き、霊的な成長をした(福音を信じた)人々の記録です。テモテ、ルデヤ、女奴隷、そして看守とその家族です。テモテは、心配症(Ⅰコリント16章10節)、涙もろく、臆病(Ⅱテモテ1章4-7節)だったようです。しかし、ヘブル人への手紙13章23節「私たちの兄弟テモテが釈放されたことをお知らせします」とあるように、投獄されるような出来事にあっても信仰を貫き通す、真の強さを持つまでに霊的に成長をしたテモテの姿を想像できます。ルデヤは、パウロのヨーロッパ伝道の最初の実となりました。祈り場で唯一、パウロの語る福音に耳を傾け、救いを受け、それは家族に、そしてその出来事ゆえに「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒の働き16章31節)のみことばの宣言によって、看守とその家族の救いに繋がっていき、ピリピ教会の設立に展開したのです。きっとその交わりに、占いの霊から解放された女奴隷も加わり、互いにキリストのからだとして、その人本来の人間性を取り戻し、こころ安んじて人生を全うしたことでしょう。
  • 主の導き…これらの霊的成長のきっかけとなった出会い(邂逅)は、単なる偶然の成り行きではなく、パウロに対して聖霊と幻を通して、主が導かれ実現しました。生活環境も性格も異なる一人ひとりに対して、主は深い愛をもって近づき、霊、たましい、からだをトータルに包み込んでくださり、エデンの園、新しい天と新しい地に招いてくださいます。
  • 結び…主は、聖霊と幻によって進むべき方向性を示してくださいます。その先でイエス様は、かけがえのない皆さん一人ひとりを待っておられます。
Posted on 11/03/2019 at 19:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『エルサレム会議』(イエス・キリストの生涯 その85)(2019.11.3)

この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。 (使徒の働き15章16-17節)

  • はじめに…先週、壱岐から私たちの友人とその妹さんがが訪ねて来られました。その友人は、私たちが壱岐という小さな島の教会に赴任した際、フィリピンの子どもたちに生活日用品を送るボランティアに協力してくれた人です。当時、島の“くまバンド”というロックバンドで活動していて、私たちの主催するチャリティーコンサートに参加して、その収益金を全額送料に使わせてもらいました。友人いわく「あのボランティアで自分のための人生から他者のために生きる人生へと180度変わった」と。いま友人は来年5月をめどに、島のお年寄り(先輩)の方が、楽しくいきいきと過ごせる集いの場を創ろうと、熱い思いを持って奔走しています。
  • 割礼が救いの条件!?…さて、今日のテキストは、パウロたちによって異邦人への伝道が進み異邦人キリスト者が増加するなか、パリサイ派の熱心なユダヤ人キリスト者が律法に従い「割礼を受けなければ救われない」と主張し、論争となり、その問題解決のためエルサレムで会議が持たれました。そこでパウロたちは伝道(ケア・トリップ)の報告をし、激しい論争が繰り広げられました。
  • ヤコブの和解案…この会議のまとめとして、議長役だったであろうヤコブが、ユダヤ人キリスト者、異邦人キリスト者の双方に対して最終和解案を提案し、会議は一定の結論に至りました。それは「ダビデの幕屋(仮庵あるいは天幕)を建て直す」という預言のみことばを根拠としたものでした。ユダヤ人キリスト者に対しては、異邦人キリスト者に割礼を強要しないこと、異邦人キリスト者に対しては、①偶像に供えられて汚れた物、不品行、絞め殺した物、血を避けることでした。ヤコブの和解案は平たく言えば、相手の嫌がることはしないように、ということになるでしょう。つまり、ダビデの幕屋を建て直すということは、主の前に出て、主の愛する者同士としてお互いを気遣いながらキリストのからだとして成長していくことでしょう。
  • 結び…主ご自身が私たち一人ひとりを愛して下さり、キリストのからだとして成長させて下さることを感謝します。
Posted on 10/27/2019 at 21:05, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『伝道旅行は介護旅行』(イエス・キリストの生涯 その84)(2019.10.27)

言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。(使徒の働き14章15節)

  • はじめに…先週、福岡から家内の友人2人が訪ねて来られました。可児市にあるバラ園のバラを観に行くことと、過越しの食事を実際に体験することが目的でした。秋のバラは春とは違い、咲き誇るといった感じではなく少し寂しい感じでしたがその分、強く香りを放っていました。過越しの食事は出エジプトの出来事と同時にイエス様の最後の晩さんと復活を覚えるものですが、一見すると「これだけ?」と思えるほど質素な食事ですが、すこぶる満腹感を感じます。私たち人間は“見た目”に影響され、いかにその本質を見誤るか、実感します。
  • 神々が人間の姿をとって…さて、今日の聖書のテキストはパウロの第一次伝道旅行のルステラでの足の不自由な人のいやしにまつわる出来事です。パウロの「まっすぐに立ちなさい」という宣言で、生まれた時から足の不自由な者が飛び上がって歩き出したので、町の人たちは驚愕し、パウロとバルナパをギリシヤ神話の神ゼウス、ヘルメスと呼び、いけにえをささげようとしたのです。つまり“偶像視”したのです。
  • 同じ人間です…それに対してパウロたちは「私たちも皆さんと同じ人間です」と語りました。正直に町の人々に接しました。そして「あなたたちの信仰は間違っている」とはせず、町の人たちのありのままを認めたうえで、「私たちの伝えている神は雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びで、心を満たしてくれるのです」と、語りました。もしパウロとバルナパにキリスト教布教の野望があったなら、町の人たちの歓心を買い、自らを優位な位置に置く(偶像化する)ような言動になったでしょう。しかしパウロたちは町の人に対して支配的な振る舞いはせず、身体とたましい、霊を“ケア(介護)”したといってよいでしょう。いうなればパウロの伝道旅行は“ケア・トリップ(介護旅行)”といえるでしょう。それは「わたしの羊を飼い(世話=介護)なさい」と語られたイエス様の愛といつくしみの現れでしょう。
  • 結び…イエス様が私たちと正直に、そしてありのままを認め信頼して接したようにパウロも同じように旅するなかで隣人に出会っていきました。私たちも人生の旅路で出会う一人ひとりと正直に、そして信頼をもって接していくことで、イエス様の愛を内に満たし、そして現わしていきたいと願います。
Posted on 10/13/2019 at 14:39, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『サウロからパウロへ』(イエス・キリストの生涯 その82)(2019.10.13)

この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った(使徒の働き13章12節)

  • はじめに…私の勤めるデイサービスでは、台風19号の影響を考慮し、安全確保の観点から台風最接近の前日に休業を決めました。会社の利益ではなく、高齢の利用者と子育て中のスタッフの生命(生活)を最優先にした経営陣の判断に心の中で拍手しました。幸い私たちの地域は台風の被害はありませんでしたが、関東甲信越、東北にお住まいで被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。主の慰めと励ましの中で日常生活が営めるように祈ります。 
  • 仮庵の祭…ところで今日の日没からイスラエルでは“仮庵の祭り”(スコット)が始まります。仮庵のことをヘブライ語でスカー(その複数形がスコット)と言いますが、仮庵を建てるのは、約束の地カナンに行く過程で荒野で40年間流浪したことを記憶するためです(レビ記23:42-43)。祭では、シロアムの池から汲んだ水をエルサレム神殿に運び、それを祭壇に注ぐ儀式が行われました。イエス様は「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れるようになる」(ヨハネ7章37-38節)と宣言されました。これはイエス様の贖い、そして復活によってすべての人の内側に、いのちの御霊が息づく奥義です。
  • 聖霊に遣わされ…今日のテキストの使徒の働き13章から、パウロの異邦人伝道が始まります。この働きは聖霊の働きでした。アンテオケ教会で礼拝、断食をしていたところに聖霊が「バルナバとサウロを、わたしが召した任務につかせなさい」と語られ、按手して伝道に送り出しました(使徒の働き13章2-3節)。そして“聖霊に遣わされ(=シロアム)”て、最初にキプロス島へ渡りました。
  • 聖霊に満たされ…そこでサウロは、魔術師エルマとの霊的な闘いをすることに。聖霊に満たされて、この闘いに勝ったサウロは以後、パウロと名乗るようになりました。信仰に入った総督パウロの名を記念し、またラテン語で“わずか(=不足)”を意味することから、聖霊の充満によって霊的闘いに勝利したことの記念の意味も込められていたことでしょう。もちろん異邦世界に通用するローマ名だということもあるでしょう。ここに聖霊、すなわちイエス・キリストに忠実な主の器、伝道者パウロが名実ともに誕生しました。
  • 結び…パウロ同様、私たちも自らの使命、任務、あるいは日常生活を、自分だけの力ではまっとう出来ず、聖霊の導きと満たしのエネルギーがあってこそ、まっとう出来るのです。新しい週、私たちの内に聖霊を遣わして下さり、愛と喜びと平安で包んで下さるイエス様と歩める幸いを感謝します。
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