しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい(こころ晴れやかに、上機嫌で)。あなたがたのうち、いのちを失う人は一人もありません。失われるのは船だけです。(…)ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。(使徒の働き27章22、25節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)
それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである(使徒の働き26章18節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)
神は第七日を祝福し、この日を聖なるものとされた。その日に神がなさっていたすべての創造のわざをやめられたからである(創世記2章3節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)
2019年度最後の主日、夫婦二人での賛美と祈りの礼拝としました。首都圏を中心に活動の“自粛”が要請されていますが、いとすぎ教会としては教会堂での礼拝の自粛というよりは、“安息”の礼拝のときを過ごしました。神様が息を吹き込み、生きる者として私たちを創造し、賛美し、祈る者としてくださったことを感謝します。そして、医療関係者の昼夜を徹しての働きに主のねぎらいと、経済的な打撃を被り、日々の暮らしに窮している方々に主の助けが 、闘病中の方々に主のいやしが あるよう、切にお祈りします。
そこで、フェストゥス(フェスト)は陪席の者たちと協議したうえで、こう答えた。「おまえはカエサル(皇帝ネロ)に上訴したのだから、カエサル(カイザル)のもとに行くことになる。」(使徒の働き25章12節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)
そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。(使徒の働き24章16節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)