Posted on 11/03/2019 at 19:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『エルサレム会議』(イエス・キリストの生涯 その85)(2019.11.3)

この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。それは、残った人々、すなわち、わたしの名で呼ばれる異邦人がみな、主を求めるようになるためである。 (使徒の働き15章16-17節)

  • はじめに…先週、壱岐から私たちの友人とその妹さんがが訪ねて来られました。その友人は、私たちが壱岐という小さな島の教会に赴任した際、フィリピンの子どもたちに生活日用品を送るボランティアに協力してくれた人です。当時、島の“くまバンド”というロックバンドで活動していて、私たちの主催するチャリティーコンサートに参加して、その収益金を全額送料に使わせてもらいました。友人いわく「あのボランティアで自分のための人生から他者のために生きる人生へと180度変わった」と。いま友人は来年5月をめどに、島のお年寄り(先輩)の方が、楽しくいきいきと過ごせる集いの場を創ろうと、熱い思いを持って奔走しています。
  • 割礼が救いの条件!?…さて、今日のテキストは、パウロたちによって異邦人への伝道が進み異邦人キリスト者が増加するなか、パリサイ派の熱心なユダヤ人キリスト者が律法に従い「割礼を受けなければ救われない」と主張し、論争となり、その問題解決のためエルサレムで会議が持たれました。そこでパウロたちは伝道(ケア・トリップ)の報告をし、激しい論争が繰り広げられました。
  • ヤコブの和解案…この会議のまとめとして、議長役だったであろうヤコブが、ユダヤ人キリスト者、異邦人キリスト者の双方に対して最終和解案を提案し、会議は一定の結論に至りました。それは「ダビデの幕屋(仮庵あるいは天幕)を建て直す」という預言のみことばを根拠としたものでした。ユダヤ人キリスト者に対しては、異邦人キリスト者に割礼を強要しないこと、異邦人キリスト者に対しては、①偶像に供えられて汚れた物、不品行、絞め殺した物、血を避けることでした。ヤコブの和解案は平たく言えば、相手の嫌がることはしないように、ということになるでしょう。つまり、ダビデの幕屋を建て直すということは、主の前に出て、主の愛する者同士としてお互いを気遣いながらキリストのからだとして成長していくことでしょう。
  • 結び…主ご自身が私たち一人ひとりを愛して下さり、キリストのからだとして成長させて下さることを感謝します。
Posted on 10/27/2019 at 21:05, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『伝道旅行は介護旅行』(イエス・キリストの生涯 その84)(2019.10.27)

言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。(使徒の働き14章15節)

  • はじめに…先週、福岡から家内の友人2人が訪ねて来られました。可児市にあるバラ園のバラを観に行くことと、過越しの食事を実際に体験することが目的でした。秋のバラは春とは違い、咲き誇るといった感じではなく少し寂しい感じでしたがその分、強く香りを放っていました。過越しの食事は出エジプトの出来事と同時にイエス様の最後の晩さんと復活を覚えるものですが、一見すると「これだけ?」と思えるほど質素な食事ですが、すこぶる満腹感を感じます。私たち人間は“見た目”に影響され、いかにその本質を見誤るか、実感します。
  • 神々が人間の姿をとって…さて、今日の聖書のテキストはパウロの第一次伝道旅行のルステラでの足の不自由な人のいやしにまつわる出来事です。パウロの「まっすぐに立ちなさい」という宣言で、生まれた時から足の不自由な者が飛び上がって歩き出したので、町の人たちは驚愕し、パウロとバルナパをギリシヤ神話の神ゼウス、ヘルメスと呼び、いけにえをささげようとしたのです。つまり“偶像視”したのです。
  • 同じ人間です…それに対してパウロたちは「私たちも皆さんと同じ人間です」と語りました。正直に町の人々に接しました。そして「あなたたちの信仰は間違っている」とはせず、町の人たちのありのままを認めたうえで、「私たちの伝えている神は雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びで、心を満たしてくれるのです」と、語りました。もしパウロとバルナパにキリスト教布教の野望があったなら、町の人たちの歓心を買い、自らを優位な位置に置く(偶像化する)ような言動になったでしょう。しかしパウロたちは町の人に対して支配的な振る舞いはせず、身体とたましい、霊を“ケア(介護)”したといってよいでしょう。いうなればパウロの伝道旅行は“ケア・トリップ(介護旅行)”といえるでしょう。それは「わたしの羊を飼い(世話=介護)なさい」と語られたイエス様の愛といつくしみの現れでしょう。
  • 結び…イエス様が私たちと正直に、そしてありのままを認め信頼して接したようにパウロも同じように旅するなかで隣人に出会っていきました。私たちも人生の旅路で出会う一人ひとりと正直に、そして信頼をもって接していくことで、イエス様の愛を内に満たし、そして現わしていきたいと願います。
Posted on 10/13/2019 at 14:39, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『サウロからパウロへ』(イエス・キリストの生涯 その82)(2019.10.13)

この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰に入った(使徒の働き13章12節)

  • はじめに…私の勤めるデイサービスでは、台風19号の影響を考慮し、安全確保の観点から台風最接近の前日に休業を決めました。会社の利益ではなく、高齢の利用者と子育て中のスタッフの生命(生活)を最優先にした経営陣の判断に心の中で拍手しました。幸い私たちの地域は台風の被害はありませんでしたが、関東甲信越、東北にお住まいで被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。主の慰めと励ましの中で日常生活が営めるように祈ります。 
  • 仮庵の祭…ところで今日の日没からイスラエルでは“仮庵の祭り”(スコット)が始まります。仮庵のことをヘブライ語でスカー(その複数形がスコット)と言いますが、仮庵を建てるのは、約束の地カナンに行く過程で荒野で40年間流浪したことを記憶するためです(レビ記23:42-43)。祭では、シロアムの池から汲んだ水をエルサレム神殿に運び、それを祭壇に注ぐ儀式が行われました。イエス様は「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れるようになる」(ヨハネ7章37-38節)と宣言されました。これはイエス様の贖い、そして復活によってすべての人の内側に、いのちの御霊が息づく奥義です。
  • 聖霊に遣わされ…今日のテキストの使徒の働き13章から、パウロの異邦人伝道が始まります。この働きは聖霊の働きでした。アンテオケ教会で礼拝、断食をしていたところに聖霊が「バルナバとサウロを、わたしが召した任務につかせなさい」と語られ、按手して伝道に送り出しました(使徒の働き13章2-3節)。そして“聖霊に遣わされ(=シロアム)”て、最初にキプロス島へ渡りました。
  • 聖霊に満たされ…そこでサウロは、魔術師エルマとの霊的な闘いをすることに。聖霊に満たされて、この闘いに勝ったサウロは以後、パウロと名乗るようになりました。信仰に入った総督パウロの名を記念し、またラテン語で“わずか(=不足)”を意味することから、聖霊の充満によって霊的闘いに勝利したことの記念の意味も込められていたことでしょう。もちろん異邦世界に通用するローマ名だということもあるでしょう。ここに聖霊、すなわちイエス・キリストに忠実な主の器、伝道者パウロが名実ともに誕生しました。
  • 結び…パウロ同様、私たちも自らの使命、任務、あるいは日常生活を、自分だけの力ではまっとう出来ず、聖霊の導きと満たしのエネルギーがあってこそ、まっとう出来るのです。新しい週、私たちの内に聖霊を遣わして下さり、愛と喜びと平安で包んで下さるイエス様と歩める幸いを感謝します。
Posted on 10/06/2019 at 09:18, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主を認め、ゆだねる』(イエス・キリストの生涯 その81)(2019.10.6)

そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、確かにわかった。主は御使いを遣わして、ヘロデの手から、また、ユダヤ人たちが待ち構えていたすべての災いから、私を救い出してくださったのだ。」(使徒の働き12章11節)

  • はじめに…9月22日から24日、私たちは壱岐という島へ行ってきました。2001年から2008年まで、島の教会に牧師として仕えたところです。10年ぶりの友人たちとの再会は想像以上に感動的であり、熱い歓迎のもてなしに涙が溢れました。台風17号の影響で私たちの予定は大幅に変更になったのですが、それでも思いがけない喜びを体験することが出来、とても良い旅となりました。その旅を通して、すべて主が私たちを守ってくださったことであることが分かりました。牢に入れられたペテロは牢から救い出された時、幻と思っていたのですが、主が御使いを遣わしてくださった、主の恵みであることが分かった、と告白しています。
  • 捕らえられたペテロ…使徒たちによって、多くの人々がイエス様を救い主と信じるようになりました。その反面、それをいぶかるユダヤ人も多くいたのです。ヘロデ王(ヘロデ大王の孫)は使徒ヤコブを捕らえ、ざん首しました。この事を多くのユダヤ人が喜んだので、次にペテロを捕らえ、牢に入れてしまいました。4人の番兵のうち2人は、牢の中に入りペテロの両側に行き、それぞれペテロの手と兵士の手を鎖でつなぎ、他の2人は牢の外で見張るという厳重な警戒ぶりでした。そのような状況下であるのに、ペテロは牢から出ることが出来たのです。それは主が遣わしてくださった御使いの働きによるものでした。
  • ペテロとヘロデ王…御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ていると思っていたペテロでした(使徒12章9節)。しかし牢から出ることが出来た時、主が御使いを遣わし、救い出してくださったことが分かりました(同11節)。主がしてくださったことを認めた時、ペテロはいのちを得ました。一方、ヘロデ王は、この出来事を知り、不思議さを感じるどころか、ペテロを逃がした番兵たちに対して怒り、いのちを奪ってしまいました。ヘロデ王は主を認めなかったのです。その結果は死でした。
  • 結び…壱岐の島に行く前、主は私たちに語られました。「その地に行って、楽しみ喜びなさい。そこで新しいことを示そう」と。台風にはばまれたように思いましたが、主が語ってくださった言葉を受け取っていたので、必ず壱岐に行ける、と安心していました。台風の風で揺れるホテルの中で、私たちは主を認め、ゆだねました。そして素晴らしい旅を主から与えられました。「あなたの行くところ、どこにおいても主を認めよ、主が成し遂げて下さる」(箴言3章6節)主の祝福をお祈りします。
Posted on 09/15/2019 at 08:23, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『どんな状況にも主の御手がある』(イエス・キリストの生涯 その78)(2019.9.15)

そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。(使徒の働き11章21節)

  • はじめに…9月5日(木)、名古屋の五反城(ごたんじょう)カトリック教会に行ってきました。そこでマザー・テレサの召天22年目を覚えるミサがささげられました。イエス様に仕えるよえに極弱の人々に仕えたマザー・テレサは、インドのみならず、世界中の人々にイエス様の愛を語りました。そのような大きな働きをしたマザーでしたが、インドに住み初めの頃は、地元の人々からは受け入れられず、迫害さえ受けました。そのような状況下にありならがもマザーを受け入れる人と、一人また一人と出会い、やがて多くの人々から受け入れられ愛されるようになったことは周知のことです。そこにはマザーを通して救いの御手を伸べておられる主がおられました。主はマザー・テレサという助け人を通して、ご自身の愛を現されました。
  • 散らされた人々…ステパノの事件後、エルサレム教会は迫害を受け、弟子たちはユダヤ人共同体のある地に散って行きました。フェニキア(レバノン)、キプロス(バルナバの故郷の島)、そしてダマスコの次にユダヤ人が多く居住しているアンテオケ。散らされた地で弟子たちはイエス様は造り主であり、罪を赦された神であることを語りました。
  • アンテオケの地…フェニキヤやキプロスではユダヤ人以外の人には福音を語らなかったのですが、アンテオケではユダヤ人以外の人にも語りました。アンテオケは東西を結ぶ交通の要所であり、多国語を話す人が多くおり、経済は豊かでしたが罪と偶像に満ちていました。そのような地に住む人々に主の御手がとどまったたので大勢の人々がイエス様を信じ、主に立ち返りました(21節)。さらに、バルナパを送られました。バルナパは「慰めの子」と言われている、聖霊に満ちた人です。罪と偶像に満ちている地に住む人々は、一旦はイエス様を信じても環境や習慣に惑わされて主から離れてしまう条件がそろっている地です。だからこそ、主は人々を慰め励ますためにバルナパを送られました。
  • どんな状況の中でも…異邦人の心を開き、福音を受け入れられるように準備された主。惑わしの多い環境にあって、主を見上げ続けることができるように助け人を送られた主。私たちの弱さを知っておられた倒れないように、また主の御手から迷い出ないように、いつも慰め励まして下さる主。アンテオケの教会はユダヤ人と異邦人が混在(共生)する教会となりました。
  • 結び…主は、私たちの心を整えて、主のことばを受け入れることができるようにして下さっています。また、助け人も備えて下さっています。安心して一歩ずつ歩ける一週間となりますようお祈りします。
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