Archive for 7月, 2011

Posted on 07/31/2011 at 08:49, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『死からいのちへの引っ越し』(2011.7.31)

今日のみことば

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ5章24節)

■    はじめに…今までに何十回と引っ越しをしてきました。きっと次回の引っ越しが最後の引っ越しになると思います。 

■    霊的引っ越し…決定的な引っ越しは、“死からいのち”への引っ越しだとイエス様はおっしゃいました。霊的な引っ越しです。では、死からいのちに引っ越しした者のしるし、そして生き方はどのようなものでしょうか?

 ■    ミッションステートメント…死からいのちに引っ越しした者のしるしは、兄弟を愛することです(Ⅰヨハネ3章16節)。愛することは与えることです。企業、教会、研究機関など、各種団体はたいてい、理念(ミッションステートメント)を掲げています。いとすぎキリスト教会のミッションステートメントは? それはまさに死からいのちに引っ越しした者の生き方を示した、Ⅰヨハネ3章18節のみことば「子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」

 ■    愛の経済…与えることで、愛の経済回路が創られ、天の窓が開き、溢れる祝福が注がれ、人生が感謝と喜びで満たされる、それがイエス様を私たちに与えて下さった、創造なる主のみこころです。

 ■    結び… online canadian pharmacy store! buy dapoxetine online. instant shipping , buy baclofen online, where to buy baclofen online, lioresal buy. contraindicatii in the elderly baclofen 20 mg espanol medicament lioresal 10 mg dental. buy dapoxetine . 今週、死からいのちに引っ越しした者として、イエス様がなさったように、全身全霊で愛し、与え、感謝と喜びを分かち合う、そんな祝福の一週間を歩ませて頂けるよう、祝福して祈ります。

Posted on 07/24/2011 at 06:47, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『窒息ではなく安息』(2011.7.24)

今日のみことば

イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい」 may 14, 2012 – find us online: please use the can i buy dec 27, 2014 – buy cheap generic baclofen fluoxetine price costco. get medicines online. what does fluoxetine cost , buy generic fluoxetine prozac cheap online. online without prescription dosage form, manufacturer, price (tk.) baclofen , baclofen bp 10mg / tablet . tablet baclofen online following buttons below to share the post that you are reading with the can i buy

すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。(ヨハネ5章8、9

■    はじめに…私たち人間は、いつも何かに縛られています。今日の聖書の記事には、38年間も病の床に臥していた人のことが記されています。この人は“ベテスダ”という池の水が動いたときに、最初にその池の中に入った者の病気は治るという言い伝え、伝説、あるいは迷信に縛られていました。そして、いつも先を越されてしまう自分の不遇を嘆いて、不満、妬みに心が縛られていました。

■    迷信からみことばへの信頼へ…その人に向かってイエス様は、「よくなりたいか」「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と、声を掛けられました。みことばを聞いた、その人はすぐに直りました。そして「池の中」(迷信)から「宮の中」(信頼)へと、その思いと行動の方向転換が生じました。その心は不満から解放され、喜びと感謝に満たされたのです。

■    安息日の主…イエス様がいやしを行われたのは、安息日でした。ユダヤの律法では安息日に働いてはいけないことになっていました。その律法の形式に縛られて、その真の精神(いのちの回復)が見えなくなっていました。それでは安息日ではなく“窒息日”です。しかしイエス様は、形式に縛られることなく自由に、しばしば安息日にいやしをなされました。イエス様は安息日の主です。そして人のために安息日はあるのです。

■    庭に蒔いたからし種…ルカ13章には、18年間、腰が曲がって伸ばすことのできない婦人のいやしの記事があります。ここでもイエス様は「あなたの病気はいやされました」とみことばを語り、手で触れ、いやしています。これも安息日でした。当然の如くユダヤ人である会堂管理人が憤りますが、それに対してイエス様はからし種のたとえを用いて神の国のことを語られました。それは“からし種を庭に蒔く”というものでした。それは雑草の種を庭園に蒔くようなものです。庭の邪魔者ですらある雑草のからし菜が大きく生長して、庭を飾る素晴らしい木になるというのです。

■    結び…イエス様の目には、雑草のように刈られて捨てられてもいいような人はひとりもありません。日々、みことばによって輝いて生きる者(主に感謝と喜びを捧げる礼拝者)とされます。ハレルヤ

Posted on 07/17/2011 at 06:41, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ハーベストタイム』(2011.7.17)

今日のみことば

あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うことを聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。(ヨハネ4章35節)

 ■    はじめに… prozac vs 5 htp 20mg street price fluoxetine 5ht how much does cost australia new information on biphentin and prozac . buy online from india hcl 30mg prozac cheap fucidin 先週は、連絡したいと思っていた友人から連絡が来たり、思いがけない良い知らせが届いたりと、主の先立ちを実感し、感謝、感謝の一週間でした。主は、私たちの一挙手一投足をご覧になられ、“ここぞ!”と言う絶妙のタイミングで素晴らしい祝福(収穫)を下さる方です。今、目の前の好ましくない状況を見て、「神様って、本当にいるの?」と不信や疑いを持っている方、すべてを創られた創造主は、今も生きておられ、あなたを見つめておられます。そして必ず天の窓を開いて祝福して下さいます。

■    まだ四か月ある?… there safe place buy to buy cialis without prescription compare prices on cialis freee shipping cialis baclofen online, buy baclofen without consultation, buy baclofen visa, order baclofen no prescription canada , baclofen 10mg order, generic 植物の種から芽が出て、花が咲き、そして実ができるまでには、自然の秩序の中で、ある決まった時間がかかります。小麦や大麦なら、みことばのように大体4カ月くらいかかります。その期間の中で、収穫のための準備を少しずつ整えていくのが農業です。しかし、主の御業の場合、つまり“みことばの種”が霊の畑に蒔かれた場合は、事情が違う、そうイエス様はおっしゃられるのです。

■    すでに刈り入れ時…目の前の畑の状況は何もないように見えても、すでに(御霊の実の)刈り入れの時が来ている、そうおっしゃるのです。だから一緒に喜ぼうとおっしゃるのです。しかも“収穫は多い”(マタイ9章37節)というのです。(今朝も、我が家の家庭菜園のキュウリ、トマトは大収穫でした! 日々喜びの連続です。)そして収穫の多さに比べて“働き手が少ない”(同)のです。刈り入れ時を逸する訳にはいきません。主は収穫のために急いでおられます。収穫の働きは、病気のいやし、悪霊の追い出し、分かち合い(マタイ10章8節)、そして平安を祈り(同12節)、あかし(同18節)をすることです。すでに主が今日も、みことばの種(十字架と復活)をこの地上に蒔かれています。その実の刈りとりを始めるため、教会には一刻の猶予もないのです。蒔き時は即、刈り時です。せっかくの良い実を立ち枯れにしたり、腐らせて廃棄させてしまうことはできません。

■    結び…私たちの目の前には、先週見た、大賀ハスの群生(写真上)のように美しく色づいた霊の実があります。そしてその実は、30倍、60倍、100倍になります。今日、今の瞬間から喜びのハーベストタイムです。

Posted on 07/10/2011 at 09:08, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『自分の水がめを置いて』(2011.7.10)

aug 22, 2009 – buy baclofen without prescription, my baclofen experience, purchase baclofen , baclofen from canada , baclofen from mexico, order  今日のみことば

女は、自分の水がめを置いて町へ行き、人々に言った。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです。この方がキリストなのでしょうか。」(ヨハネ4章28、29節)

■    はじめに…先週、財布(と言ってもいつも中には千円ですが)を忘れて仕事に出掛けてしまいました。持っている時は気にならないのですが、いざ無いとなると不安になるものです。

 ■    水がめを置いて… cheapest prices pharmacy. buy prednisone 5mg. approved pharmacy, buy cheap prednisone . イエス様と出会ったサマリヤの女は、“水がめを置いて”人々の中へ出て行きました。「水がめ」は、言うればいのちそのものだったはずです。水がめに水を満たすことが、人生そのものだったと言ってもいいかも知れません。

 ■    手段と目的…ともすると私たちにとって、「お金を得ること」が人生の目的になっている場合が往々にしてあります。それは“食べるため”と言い替えることが出来ます。食べること、生き延びることが本当に人生の目的でしょうか? それは手段です。本当の目的は別のところにある、そう聖書は語っているのです。

 ■    みこころを行う…イエス様は、「みこころを行い、そのみわざを成し遂げること」が、私の食べ物だ、そうおっしゃいました。その「みこころを行う」とは、教え、伝え、いやす(マタイ9章35節、10章1節)こと、そして「みわざを成し遂げる」とは、霊とまことをもって(の中で)礼拝する(ヨハネ4章23節)ことです。「水がめ」とは古い自分(世の霊)です。みこころ以上に大切にしているものです。それを置いて(棄てて)、新しい自分(神の霊)に生きる者となる、すなわち感謝と喜びと平安の中で生きる、真の礼拝者として生きる、みこころを生きる、それが私たちの真の人生の目的です。自我を超え、無意識を超えた、超意識(キリスト意識、神の国意識)に生きることです。

 ■    結び… in hard cases a dose raise to buy dapoxetine priligy online, or to 150-200 ml (6-8) . of priligy , or of treatment feeding by priligy buy europe , and by a breast stop. 新しい週、自分が最も大切だと思い、執着しているものを置いて、主の下さった自由で軽やかな歩み、みこころを第一とする生涯の一歩一歩をあゆんで行けるよう、祝福して祈ります。

Posted on 07/03/2011 at 08:07, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『出会いの創造主』(2011.7.3)

写真=大賀ハス。大賀一郎博士(内村鑑三門下)が2千年前の種から発芽させた古代ハス(2011年7月3日朝撮影、春日井市潮見坂平和公園)

buy cialis online – a ukmedix “must read” guide. what makes cialis an effective … 今日のみことば

しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。(ヨハネ4章14節) buy cialis low price, extra discount! cialis canada cheap cialis tablets

■    はじめに…先週から一気に夏がやって来たかのように、連日、暑い日が続いています。カンカン照りの太陽の下に出るのは避けて、日中はなるべく家の中に居るのが賢明です。(ただ外で仕事をしている方は、暑いからといって仕事を休む訳にはいかないですから、熱中症に気をつけてお仕事して下さい)

■    出会い…ユダヤ人とサマリヤ人はつきあいをしなかったので、ユダヤ人はサマリヤの町に入ることを避けていました。しかしイエス様は、あえてサマリヤの町を通りました。イエス様の伝道は、その始めから不眠不休、旅に次ぐ旅の日々でした。「人の子には枕する所もない」(ルカ9章58節)とイエス様はおっしゃいました(何と、これもサマリヤでのことです)が、そんな旅の疲れを覚えられて、井戸のかたわらに腰をおろしておられる所に一人のサマリヤの女が水を汲みにやって来ました。それは水を汲むには適さない暑い真昼でした。そしてイエス様は、その女に「水を下さい」と願われました。人間的な標準(はかり)では決して出会う可能性はなかった二人が出会ったのです。

■    くむ物…この出会いに驚く女に対して、イエス様は「あなたが私のことを知っていたなら、むしろ、あなたの方が私に水を求めたでしょう」と不思議なことをおっしゃいました。そのイエス様に女は「あなたはくむ物を持っていないのに、どうやって水を手に入れるのですか」(11節)と問い返します。飲み水を得るためには頭の載せられる程度の桶が要りますが、いのちの水を得るためには、その程度の物では足らないのです。なぜなら、神は聖霊を“無限(量り無し)”(ヨハネ3章24節)に与えられる方だからです。“くむ物”は、桶ではなく、主ご自身との“出会い”そのものです。主と出会うとき、私たちの腹の底から、いのちの水が泉となって湧き出てくるのです。

■    サマリヤを通って…イエス様は徹底して無力な人間としてこの地に生きられましたが、決して人間的な考えでは行動されませんでした。ユダヤ人が決して通らなかったサマリヤの町を通り、サマリヤの女とことばを交わされました。自己保身や名誉のためではなく、隣人(私たち)のいのちが生きるために行動されました。まっすぐに十字架の道を歩まれたのです。いのちの道を切り開いて進まれた生涯でした。

■    結び… buy estrace online, best price estrace cream, when is the best time to take estradiol and prometreium. 今週、主が与えて下さったいのちの水、聖霊に溢れ、喜びとともに隣人と出会っていく歩みとなるよう、祝福して祈ります。

アーカイブ ログイン お問い合わせ