Archive for 10月, 2012

Posted on 10/28/2012 at 20:40, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『準備されている戴冠式』(結びシリーズ その16)(2012.10.28)

今日のみことば

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

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今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。(Ⅱテモテ4章7-8節)

 

■    はじめに…娘が勤めに出ることになり、先週一週間、家内は老体(?)に鞭打っての「孫守り」で超ハードな日々を過ごしました。幸い、疲れが溜まって倒れこむというような事態には至らず、安堵しています。
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■    人生の指針…パウロの愛弟子テモテも、祖母と母の信仰と愛をたっぷり受けて育てられたことが、この手紙からうかがい知ることができます(Ⅱテモテ1章5節)。最近、肉親による子供の虐待の事件がしばしば報道されていますが、人生の羅針盤を失った人間の悲劇です。明確な人生の指針があること、それがどれほど私たちの人格的成長に大切でしょう。聖書のみことば、これが私たちの人生にとっての揺るぎない指針です。

■    義の冠…パウロは、劇的回心を通して、このみことば=福音の宣教に生涯を捧げました。その回心のきっかけとなったのは、ステパノの殉教の出来事でした(使徒6、7章参照)。信仰を貫いたステパノの姿が、パウロの胸裡に深く刻まれていたことでしょう。パウロはその手紙の中で「冠(栄冠)」という語を何度か用いていますが、この冠という語はギリシア語で“ステパノ”。この言葉を用いるときにパウロは、自らの回心のことを鮮明に思い起こしたことでしょう。義の冠は罪人のかしらの救いのシンボルです。

■    戴冠(たいかん)…茨の冠をかぶり、十字架にお掛かりになり、私たちをあがなって下さったイエス様。そのイエス様がかの日、憐れみと恵みによって、信仰を生き抜いた私たちに義の冠を授けて下さるのです。天に住まいを用意してくださっている主は、義の冠も用意してくださっています。

■    結び… propecia body hair order propecia 今週一週間、イエス様から直接、戴冠して頂くことを思い描きながら、日々、信仰の歩みを続けられるよう、祝福して祈ります。

Posted on 10/21/2012 at 08:22, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『未来への備え』(結びシリーズその15)(2012.10.21)

今日のみことば

purchase discount medication! buy doxycycline online . approved pharmacy, doxycycline hyclate cost. また、まことのいのちを得るために、未来に備えて良い基礎を自分自身のために築き上げるように。(Ⅰテモテ6章19節)

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■    はじめに…『NHK地球イチバン』という番組で先週、「地球でイチバン大きなオーケストラ」というタイトルの番組がありました。それは南米ベネズエラで1975年に始まった “音楽で貧困や犯罪から子供たちを救う”世界最大のオーケストラ教室。参加者は貧しいスラム街に住む3歳~20代の若者で総勢30万人超。授業料はタダ。その子供たちに“オーケストラでの合奏”を通して、生きる目的や喜び、協調性を芽生えさせる“エル・システマ”と呼ばれる画期的な取り組みです。

■    未来…その教室に通う一人の少年が語っていた言葉が印象的でした。「音楽は僕にとって単なる娯楽ではなく、未来です。希望そのものです」。話は変わりますが、昨日用事があって家内と二人、大阪まで電車で小旅行をしました。その移動中、手持ち無沙汰にならないようにと左のポケットには小型聖書、右には文庫本を忍ばせて置きました。その文庫本の一節に惹きつけられました「他人と過去は変えられないけれど、自分と未来は変えられる」「人生には賞味期限はない」。

■    出会いの祝福…人との出会い、出来事との出会い、言葉との出会いが、私たち自身を変え、未来を変えます。

■    神様の計画…聖書は、自分を変え、未来を変える出会いの源が、神様の計画だと語っています。「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っている。(…)それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」(エレミヤ29章11節)。未来(将来)と希望は神様から来るのです。まことのいのち、永遠のいのちは、未来と希望の源である神様に心を開く(信頼する)ことです。また、そのことに決して手遅れということもありません。「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヨシュア記1章5節)

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■    結び…新しい人生の1ページを、神様に心を開くことから始められるよう、祝福して祈ります。

Posted on 10/14/2012 at 12:56, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『働くということ』(結びシリーズその14)(2012.10.14)

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人のパンをただで食べることもしませんでした。かえって、あなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も労苦しながら働き続けました。

(テサロニケ人への手紙第2 3章8節)

 

■    はじめに…働くことには労苦がともないます。それで「労働」というのでしょう。パウロは伝道者でしたが、同時に天幕作りの職人でした。自分の手で働きながら福音を伝えました。このことは働きながら開拓伝道をしている私たちにとっても慰めであり励ましです。

■    働くということ…ところで、働くということは、報酬に見合うだけの労働力を提供することではありません。共同体全体のモチベーションを最大限に高めるオーバーアチーヴ(過剰な振る舞い)であり、隣人への見返りなしの贈与です(マタイ5章38-44節参照)。それは私たちの恩師が語られ、実践されておられる「損する方を選び、与える牧会」です。

■    切り株… buy veterinary prednisone buy prednisone in uk buy prednisone online overnight prednisone nursing buy prednisone 10mg can i order prednisone online for my  多くの教会の牧師は献金で生活しています。もちろんそれに見合う職務を全うしていることでしょう。しかし献金の額、信徒の数を増やすことが目的になる危険性があるのでは…と思います。そこでいとすぎ教会は、「献金ゼロ、信徒ゼロ」を基準にしています(というよりも、そうせざるを得ない現実があるのですが…。それもまた恵みです)。別の言い方をすれば「分かち合いと送り出し」です。主に捧げられたものはすべて必要に応じて分かち合い、主から力を得、霊性を回復した信徒は喜んでふさわしい場所へ送り出す。いとすぎ教会は「切り株」教会です(イザヤ6章13節)。

■    みことば…「切り株」からは、目覚しい実りを見ることはできません。しかし確かに生きており、主からいのちのみことばを得ています。人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつのことばによって生きるのです(マタイ4章4節参照)。「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい」(ヨハネ6章27節)と主イエス様はおっしゃいました。

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Posted on 10/07/2012 at 13:07, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『徳を建てる』(結びシリーズ その13)(2012.10.7)

今日のみことば

ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。

(テサロニケ人への手紙第Ⅰ 5章11節) estrace # buy estradiol tablets online, buy estrace ointment uk .

 

■    はじめに… buy baclofen online, where to buy baclofen online, lioresal buy. cardiologist awp baclofen of 80mg pump. baclofen usual dosage. baclofen south africa 今日はユダヤ三大祭りのひとつ、仮庵の祭り(スコット)の最終日です。同時に律法の歓喜(シムハット・トーラー)という祭日です。①秋の収穫の喜びと、②荒野の40年、雨露をしのぐ幕屋を与えられたことへの感謝という、ふたつの内容を含んだ祭りです。

 

■    感謝と喜び…この感謝と喜びは、基本的な宗教的感情です。それをもっとも良く表現する祭りが、この仮庵の祭りだといえます。この感謝と喜びを祭りの期間だけではなく、日々の生活の隅々にまで拡げるようにとパウロは勧めています。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5章16-18節)。

 

■    土台なる主イエス…それは、私たちの霊、たましい、からだの全人格を完全に救って下さる(同23節)主イエス様が、いつも私たちとともに生きておられる(同10節)が故です。救い主なるイエス様が私たちの礎、土台です。そこから感謝と喜びが泉のように湧き上がって来るのです。(仮庵の祭りとイエス様の関連がヨハネ7章37-38節にあります。)

 

■    徳は教会を意味する…その土台の上に私たちは建物を建てます。近い将来、大地震が起こるであろうと言われていますが、基礎がしっかりしている建物は揺らいで倒れることはありません。今日のテキストの“徳”(オイコドメー)は、そのキリストの土台の上に建てられた建物、すなわち教会を意味しています(Ⅰコリント3章9節、Ⅱコリント5章1節参照)。聖書のみことばが言うところの「徳を建てる」というのは、「教会を建てる」ということと同義なのです。私たち一人ひとりの内側に喜び、祈り、感謝の詰まった教会(徳)を建てるようにと、聖書のみことばは勧めています。

 

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■    結び…新しい一週間、皆さんお一人ひとりの内側から、喜びと祈りと感謝が溢れるよう、祝福して祈ります。

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