Archive for 3月, 2014
Posted on 03/30/2014 at 03:27, by matsumoto
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まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ない(from useless rituals=無用の儀式)から離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。(ヘブル9章14節)
■ はじめに…デイサービスに通う利用者さんを車で送迎するとき、いろいろな話を伺います。ある70歳台の女性に「趣味は何ですか」と尋ねると、しばらく考えてから「今から55年くらい前、名古屋で学校に通っていたとき、南山大や名大の学生と一緒に『森の歌』を歌う会という合唱団で、歌っていた」と話してくれました。これは戦後の「うたごえ運動」と呼ばれる合唱を中心とした音楽、社会活動のさきがけとなったものです。
■ 人となられた神…クリスチャンは、イエス様が百パーセント「神」であり、同時に百パーセント「人」であることを信じています。この世は人が神のように高くなろうとする誘惑、欲望に満ちていますが、真の神様は、高みに留まるかたではなく、真の人、イエス様として低みに生きられる方です。
■ いのちの木なるイエス様… doxycycline 100 prescription canadian, buy doxycycline online australia, how order doxycycline online, doxycycline prescribing information , doxycycline 万物は、神のみことばで動いています。しかし人間の心だけ、神のみことばで動かないのです。なぜでしょうか? それは、エデンの園で人類の祖先アダムが、いのちの木の実を食べないまま園から追い出されたからです。神のみことばは、神のいのちです。神のいのちは霊のいのちです。このいのちが私たち人間の内側に入るべきでした。人の中には人だけが入ることができます。人は人を通して人になります。そのためにイエス様が、いのちの木の実を食べられないままの私たちを生かすため、ご自身がいのちの木、生かす御霊(ローマ15章45節)となられたのです。いとすぎ教会の“いとすぎ”は、このいのちの木のシンボルとしての名前です。
■ 賛美のうたごえ…教会は、様々な宗教行事=死んだ行いをして、人を集め、ビジネスをするところではありません。生ける神様に喜びと感謝、賛美のうたごえをもって仕えるところです。主にある交わりを通して、それぞれの内側にキリストのからだを建て上げるところです。ハレルヤを声高らかに叫ぶところです(詩篇150篇)。
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■ 結び…新しい一週間、主をほめたたえる皆さんであるように、祝福して祈ります。
Posted on 03/23/2014 at 07:07, by matsumoto
主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。(イザヤ58章11節)
■ はじめに…先週、夜と昼の長さが同じ、春分の日を迎えました。その数日前に夜空を見上げると満月でした。次の満月は4月15日です。その満月のあとの日曜日がイースターです。
■ 安息日…わたしは、ウィークデーは働いていますが、感謝なことに毎週日曜日(と平日の1日)は仕事から解放されます。日曜日を自由な“とき”として礼拝を捧げられることで感謝と喜び、そして力が湧いてきます。(前日は早めに床に就き、午前1時過ぎに礼拝の準備をします)。開拓のための兼職牧会は、正直、肉体的精神的にハードです。しかし、それを上回る、主の恵みがあります。主の日の霊的深呼吸がわたしのいのちの源です。
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■ 休息の過ごし方…一般的に、休息は寝て過ごす、レジャーに出かける、何もしない、自分のために過ごす、というように思われています。しかし事実はそれらよりも深い次元があります。①世界をいじくり回さないで、そっとしておく、②自由に選択できる時間を持つ、③すべての問題から解放されたときとして過ごす、という過ごし方の次元があります。
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■ 安息日を守るのは?…主が創造の業を7日目に「休まれた」の原語の意味は①自分の仕事から離れられた、②自分の魂を生き返らせた、です。一般論としては確かに1日、休息することで、残り6日間、頑張れるという側面はあります。しかしそれが安息日を守る意味ではありません。労働とは無縁の次元で、より人間らしく(神様が創造された私たち本来の姿として)生きるためです。それはまさしく私たちの内側のエデンの園を回復することです。今日のわたし(たち)の姿、この姿に主が御目を止めて下さり、「高価で尊い」と愛の宣言をしてくださいます。
■ 結び…今日の主日、私たちの内側にエデンの園を回復してくださった主に感謝します。
Posted on 03/16/2014 at 04:51, by matsumoto
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。(マタイ5章8節)
■ はじめに…職場で1カ月に2、3度、朝のあいさつをする当番がまわってきます。昨日、その当番になったのですが、「今日は何の日」「誕生花・花言葉」を紹介することになっています。ちなみに昨日3月15日は「靴の日」、誕生花と花言葉は「ビオラ/揺るぎない魂」でした。
■ 靴屋のマルチン…「靴の日」は戦中、輸入された軍靴が大きすぎたため、日本人の足に合う靴を作るために、日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」(いせかつぞうかじょう・現リーガル)が開設されたことに由来しています。この靴造りに関連してトルストイの「靴のマルチン」を思い出します。妻子を亡くし明かりの窓がひとつあるだけの地下の狭い仕事場をかねたアパートで孤独に暮らしていたマルチン。友人の勧めで聖書を手に取り、みことばに触れるうちに「マルチン、マルチン。私はあなたのところに訪れます」というイエス様の声を聞き、真理を悟るというストーリー。
■ きよい心…イエス様は、「心のきよい者は幸い」と語られました。なぜなら神を見るからだと。マルチンが悟った真理は「最も小さい者のひとりにしたのは、 すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25章40節)でした。私が神様を見るのは、どこか天の高いところにおられる抽象的な神様ではなく、今日出会う隣人、しかも小さくさせられている隣人の内に宿っておられるイエス様です。
■ 揺るぎない魂…また、花言葉の「揺るぎない魂」から、すぐに思い起こすみことばといえば…。そうです。あのダビデが詩篇で歌っている「神よ。私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください」(詩篇51篇10節)です。きよい心、ゆるがない霊によって、私たちはイエス様を見、イエス様と真実の出会いを体験する恵みが与えられています。
■ 結び…新しい週、皆さんお一人ひとりが、イエス様と出会い、イエス様の愛を体験する歩みとなるよう、祝福して祈ります。
Posted on 03/09/2014 at 07:28, by matsumoto
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私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。 (ローマ1章16-17節)
■ はじめに…先週、友人の息子さんのお見舞いのため、岡山へ行ってきました。友人は今月神学校を卒業し、開拓を始めることになっています。息子さんも開拓の大きな助け手として奉仕されます。生まれつき腎臓に障害があり、一日に5回の腹膜透析をしながら過ごしています。病院の面会室でお話をしているときも、机に倒れこむこともありました。自分の力ではなく、みことばの力(神の力)だけで生きている姿でした。
■ 神の力…福音は神の力、そうパウロは語っています。神の力は、人間の力、元気、勇気、根気とは異なります。(当時のローマは人間の力を誇る時代でした)。神の力は、信じる者に救いを得させる力です。からだの救いはもちろん、魂(精神)の救い、霊の救いを実現する力です。ひとことで言えば、罪人を神の子とする力です。この神の力を信じる者は、もはや人間(自分)の力を誇ったり、自分の力に頼ったりすることから解放されます。
■ 弱さを誇る…神の力によって生きる者は、強い自分ではなく、むしろ自分の弱さを自覚し、認め、その弱さを誇るようになるなります(Ⅱコリント12章9節)。もう強がり虚勢を張って生きることは必要ないのです。イエス様が、信じる者の内側で強く働いて下さいます。
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buy dapoxetine 30mg online , all debit/credit cards accepted, worldwide shipping , cheapest price, approved canadian pharmacy, approved pharmacy. ■ 信仰によって生きる…この世俗社会のなかで、人間の力でなく、信仰によって生きることは恥ずかしいことでしょうか? 難しいことでしょうか? あるいは時代錯誤でしょうか? 信仰を自分の力で信じることだと勘違いしていることがままあります。しかし、神の義、すなわち十字架の贖いの愛を知り、体験するとパウロのごとく、「福音を恥とは思わない」「弱さを誇る」とキッパリと告白せざるを得なくなり、告白したくなります。信仰に始まり信仰に進む、霊的に美しい、軽やかな新たな人生が始まります。
■ 結び…新しい週、皆さんの歩みが、神の力によって信仰から信仰に進む、軽やかな歩みとなるよう、祝福して祈ります。
Posted on 03/02/2014 at 05:40, by matsumoto
そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリスト(について)のみことばによるのです。
(ローマ10章17節)
■ はじめに…先週、「介護におけるコミュニケーション」という研修会に参加しました。介護の仕事で目指すものは「その人がその人らしく暮らすためのお手伝い」。そのためには利用者、その家族の願いを聞き取り、介護する側の思いを正しく理解してもらうコミュニケーションのスキルが大切で、その第一歩がニッコリ笑顔とうなずきで聞く姿勢。
■ 聞くこと…聖書は旧新約全巻を通して“聞く”ことを求めています。また逆に、主が聞いて下さる方であることが記されています。旧約では「主のことばを聞け」とイスラエルの民に繰り返し語られています。新約では主イエス様が弟子や群衆に向かって「聞く耳のあるものは聞きなさい」(マルコ4章9節、ルカ14章35節他)と語られています。
■ 聞かれない祈り?…信仰者として主に最も聞いてほしいことは、何といっても祈りでしょう。祈った祈りは百パーセント聞いて欲しいと願います。しかし、往々にして主は、私たちの祈りを聞いて下さらないときがあります。なぜでしょうか。
■ 最善をくださる主…それは私たちの無意識の深いところ、または表面的な誤解や錯覚を主がご存知だからです。主は最も善きものを私たちに与えられるお方です。聞かれない祈りは、最善ではなく、第2、第3、あるいは必要のない、むしろ害を与えるような事柄なのでしょう。「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11章13節)とイエス様は語られています。私たち信仰者にとって最善のものは聖霊です。愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制。
■ 結び…新しい週、私たちの祈りを聞き、聖霊を送って下さり、たとえ困難の中にあっても寄り添ってサポートしてくださる主に栄光がありますように。