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Archive for 3月, 2015
Posted on 03/29/2015 at 02:40, by matsumoto
しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
(Ⅱペテロ3章13節)
Posted on 03/22/2015 at 04:10, by matsumoto
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(Ⅰテサロニケ4章17節)
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- はじめに…『医師が諦めた死産の子 母親と父親の胸に抱かれて奇跡が起こる』と題されたニュースがありました。長い間、子どもに恵まれなかったデビットさん、ケイトさん夫婦。医師が、死産で生まれた息子ジェイミーくんを、最後のお別れをするようにと両親に手渡すと、二人は息子を抱きしめ、息の止まっている息子に話しかけ続けました。するとジェイミーくんが小さな手で、お父さんの指を握り…。生き返ったのです。
- 終末…キリストが再び来られる時には、キリストを信じて死んだ人々がまず復活させられ、生きて地上に残っている聖徒も、同時に朽ちないからだに変えられます。これが聖徒の復活で、その時キリストを迎えることになります(Ⅰテサロニケ4: 14~17、Ⅰコリント15:51~57、ヨハネ5:28~29、ピリピ3:20~21)。
- 触れることで…“いのち”に対してあきらめない強い意志が、死に勝利する奇跡を起こしたのでしょう。母親と赤ちゃんが皮膚を合わせることは、出産時のストレスを和らげ、赤ちゃんの心拍と呼吸を、より良好な状態にする効果があるそうです。
- いのちが回復し…キリストを信じる者は、生物としての生命とは別のいのちを知っていますし、得ています。キリストのあがないによって与えられている永遠のいのち、復活のいのちです。ことばを変えれば、神様との関係が回復した生涯と言っても良いでしょう。放蕩の限りを尽くして父のもとに帰って来た息子(弟)に対する父の思いは「死んでいたのが生き返ったのだ」(ルカ15章32節)
- 永遠に生きる…父は「まだ家までは遠かったのに、彼を見つけ、走り寄って彼を抱き、口づけした」(同20節)のです。父(主)のみこころは滅びることではなく生きることであり、裁くことではなく救うことにあります(ヨハネ3章16、17節)。再臨も同様です。
- 結び…思い余って空中で会ってくださる主の愛を覚えつつ過ごされる皆さんお一人ひとりの一週間であるよう、祝福して祈ります。
Posted on 03/15/2015 at 05:20, by matsumoto
彼(アブラハム)は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。(ローマ人への手紙4章11節) which is more: power is both a control figure and a design geometry. buy estrace without prescription. buy estrace without prescription: a convenient and
- buy dapoxetine in malaysia , rfid tags the company and 50 mg tablets drug administration fda for given. cialis works comparatively faster browser you will not はじめに…ある人が私に言いました。「私の父は○○という洗礼名を持っているけれど、祈っているところや教会に出かけるようなことは目にしたことがない」「昔、お世話になった社長さんが『洗礼を受けたことがあるけれど、神父さんに風呂に連れて行かれ、頭を押され全身風呂水の中に入れられ、何やら呪文のようなものを唱えていた』」
- 礼典…キリストは教会に、洗礼(バプテスマ)と聖餐という二つの礼典を与えられました。この礼典は、神の恵みを表すしるしで、信仰を持って受ける者のうちに、神は豊かな祝福を与えられます(ローマ4:11)
- 儀式としての洗礼に…きっと“儀式”としての洗礼式(あるいは聖さん式)を経験しただけの人は想像以上に多いのかも知れません。しかし、それは単なる形式であって信仰がありません。もし教会が「とにかく洗礼を授け、聖さん式に参加する人を増やすことが大事」というような姿勢だとしたら…。
- 救いがあるのではなく…水による洗礼(バプテスマ)に、また、聖さん式のパンとブドウに救いの力がある訳ではありません。ですから、かつて内村鑑三は“洗礼晩餐廃止論”なるものを記しています。
- あがないの主にある…救いはキリストの福音(みことば)にあるのです。すなわち主イエス様の十字架によるあがないに、私たちを罪から救う力があるのです。どんなに罪にまみれていたとしても、主イエス様を心のなかにお迎えする信仰に対して、「あなたの罪は赦されています」(ルカ7章48節)とのみことばの恵みを受けます。この恵みのしるし、応答としてバプテスマに与り、聖さんに与ります。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです」(エペソ2章8節)
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- 結び…新しい週、皆さんお一人ひとり、あがない主なるイエス様、活けるみことばなるイエス様を心のなかにお迎えし、霊、魂、からだの全人格的救いを体験されるよう、祝福して祈ります。
Posted on 03/08/2015 at 18:00, by matsumoto
(写真=中学野球イメージ)
神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。(使徒の働き2 viagra purchase no prescription, buy female viagra. canadian pharmacy, big discounts. valid pharmacy recognized by the cfa. special internet prices! 章47節)
- はじめに… prices, atarax from $0.68 ј atarax from $0.37. shipping, worldwide trackable courier service, international unregistered airmail, world wide airmail, trackable. order atarax 私がアルバイトをしているリラクゼーション店には、「ほおっ!!」と思わず唸ってしまうような才能を持った人が働いています。その中のひとりに、かつて甲子園に出場し、大学野球、社会人野球で頂点を極めた人がいます。現在は、中学野球の監督として次世代のリーダーの養成に努めているそうです。
- 教会…教会には、2つの主要な任務が与えられています。内側においては、キリストの体である教会を建て上げるということであり、外側に向かっては、福音を宣べ伝えるということです。教会が建て上げられていくためには、礼拝、交わり、奉仕、学びが行われ、福音が宣べ伝えられていくためには、あかしが行われなければなりません(使2:42~47)。
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- 師から学ぶものは…ある日、その方に「Nさんにとって師と呼べる方は誰ですか?」と尋ねました。するとその方は「私を甲子園に連れて行ってくれた高校時代の監督ですね」。自分を育ててくれたその監督の教えてくれたことは「百パーセント絶対」と思っていたそうです。ところが、徐々に技術的・知識的に成長するに従って、「監督の教えてくれたことは間違っていたのかも…」と、師に対して疑いを持つようになったそうです。
- 時代とともに…時代とともに技術論や方法論は変化していきます。例えば、かつてピッチャーは“肩は温めなくてはいけない”ということだったものが、今では肩をアイシングします。足腰を鍛えるために“うさぎ跳び”をしていたものが、現在では膝を痛めるということでタブーになっています。
- 変化しないもの…Nさんが師から学び、今、中学野球の監督として取り組んでいるのは選手一人ひとりの自主性を大切にした“スポーツマンシップ精神”の伝承です。Nさんの率いるチームは野球道具と一緒に“ゴミ袋とトイレ用ブラシ”をいつも携帯しているそうです。そして試合中は相手チームに野次を飛ばさず、相手選手の良いプレーがあると褒めるそうです。私たち教会も主を賛美し、世に証しを立てていきたいものです。
- 結び…新しい週、変わらない主の愛に生きる皆さんお一人ひとりであるよう祈ります。
Posted on 03/01/2015 at 02:48, by matsumoto
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。(使徒16 buy amoxil online, amoxil 750 mg , ciprofloxacin 750mg antibiotics for dogs. 章25-26節)
- はじめに…先週は、身近なところで人の生き死にに関わる出来事が立て続けに起こりました。伯母の病死、知人の事故、信徒の関係者の方の火事。
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- 教会…教会は御霊の一致と、なすべきことの導きを、常に祈りによって求めなければなりません。主は、聖徒が心を一つにして祈る祈り(御霊による聖徒の祈り)に必ず応えてくださいます(マタイ18:19、使徒16:25 order online at usa pharmacy! buy dapoxetine usa. online drugstore, generic dapoxetine. 他)。
- 出来事のただ中で…私たちは突然の死や思いがけない負の出来事の前で「何故!?」と一瞬立ち止まり、すぐさま理由、原因を特定しようとします。そして出来るだけ早くその出来事を乗り越えて(けりをつけて)、新しい歩みを始めようとします。いい意味で“立ち直り早い”と言えますが、実際のところは“責任回避”かも…。出来事と向かい合い、出来事のただ中でなすべきことがあるのではないでしょうか。
- 祈りと賛美を捧げ…今日のテキストは、パウロが占いの霊につかれた女から、主の御名によって霊を去らせたことがきっかけで鞭打たれ、牢に入れられるという出来事のただ中のことです。激しい痛みと不自由さの中で、パウロとシラスは主に祈り、賛美を捧げたのです。
- 解放と救いに…不自由で不条理な現実を打破するために、自分の力で必死に考え、行動したのではなく、ともに主に祈り、賛美したのです。すると“大地震”が起こり、鎖が解けたのです。
- 導かれる…聖霊の導きに従って歩む人生は、天を揺るがし、地を揺るがし、人を揺るがす人生です。信仰の告白へ導き、主との出会いの喜びに導き、恐れと不安からの解放と救いに導かれます。
- 結び…新しい3月、聖霊の導きの中で祈り、賛美し、皆さんお一人ひとりの内側にキリストのからだなる教会が建てられるよう、祝福して祈ります。
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