Archive for 6月, 2018

Posted on 06/25/2018 at 21:58, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『荒野の試み』(イエス・キリストの生涯 その24)(2018.6.24)

 

イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。              (マタイ4章10-11節)

  • はじめに…この世は、欲望(あるいは快楽や興味)を喚起する情報が溢れています。もちろん、それらすべてを遠ざけ、禁欲的に生きることもどうかと思います。さまざまな欲望を呼び起こすこの世の中で、私たちはどのような生き方の可能性があるのか、聖書のみことばにはどのような指針が示されてあるのかを今日のテキストから見てみたいと思います。
  • 3種類の誘惑…イエス様は、バプテスマの後、①食欲の惑わし(荒野で)②生命の惑わし(神殿の頂で)③の惑わし(高い山で)に遭いました。それは神の子として、また神のしもべとして、ふさわしい生き方を主体的に選ぶための試みでした。この世の支配者(エペソ6章12節等)はことば巧みに誘惑します。都合の良いようにみことばを操作し利用します。①「神の子なんだから…」②「足が石に打ち当たることのないようにされる」(詩篇91篇11-12節の引用)③「ひれ伏して私を拝むなら(…)全部あなたに差し上げましょう」
  • 申命記のみことばによる打破…それらの試みに対してイエス様は、(奇蹟的・超自然的な力によらず)申命記のみことばによって臨まれ、悪魔を退けられました。①申命記8章3節「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。」申命記6章6節「あなたがたがマサで試みたように、あなたがたの神、主を試みてはならない。」申命記6章13節「あなたの神、主を恐れなければならない。主に仕えなければならない。御名によって誓わなければならない。」
  • みことばに聴き従う人生…①人類の始祖アダムとエバの食の過ちを最後のアダムとして賠償(=シャローム)し欠乏のない状態に完全に復興し、②イスラエルの民と神の契約書である申命記のみことばを用いることでイスラエルの民の契約違反の失敗を、メシアとして賠償し、③罪に蝕まれた私たちの魂を完全に癒すため、乳香を受けた祭司としてご自身を完全に神に捧げられたイエス様の生き方が現わされています。
  • 結び…私たちのために完全にご自身を父なる神に捧げられた供えのパンなるイエス様の愛を受け、イエス様に倣って新しい一週間を歩まれるよう、祈ります。
Posted on 06/17/2018 at 13:48, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主イエス様のバプテスマ』(イエス・キリストの生涯 その23)(2018.6.17)

 

こうして、イエスはバプテスマ(ターバル=ヘブル語)を受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。また、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしは、これを喜ぶ。」                  (マタイ3章16-17節)

  • はじめに…わたしがバプテスマ(浸礼)を受けたのは1990年5月6日で当時26歳でした。その後1995年1月17日に阪神淡路大震災に遭い献身の思いに導かれたのが30歳のときでした。
  • 素朴な疑問…バプテスマのヨハネが“悔い改めのバプテスマ”を荒野で宣教していた訳ですが、そもそも罪がなく、悔い改めの必要のないイエス様が、【疑問①】なぜバプテスマを受けられたのでしょうか? 【疑問②】また、イエス様がバプテスマを受けられたことが、私たちとどんな関係があるのでしょうか?
  • ヨハネの躊躇…当然、バプテスマのヨハネは、イエス様にバプテスマを授けることに対して躊躇しました。「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずですのに…」(マタイ3章14節)。そのヨハネに対してイエス様は「すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです」(同15節)と語られました。
  • みこころを行う…「すべての正しいこと」とは、「律法を守り行う」「みこころを行う」ことと言うことができます。ですからイエス様はバプテスマをヨルダン川でヨハネから受けるで、みこころを従順に行ったのです。つまり【疑問①】の答えになります。そのみこころの真意(奥義)は、ヨシュアがヨルダン渡河を通してモーセの権威を完全に引き継いだように、イエス様がヨルダン川でバプテスマを受けることで、福音宣教の主役がヨハネからイエス様に引き継がれることになったのです(ヨシュア記3章参照)。さらに引き継ぐことは、一体となると言うことができます。つまりイエス様は、罪なき方が罪人の私たちと一体になられ、罪を贖い、神の義として下さる出来事の源となられ、私たちとの関係を持っておられるのです(Ⅱコリント5章21節)。【疑問②】の答えです。
  • 結び…天の父なる神のみこころ、すなわち神の愛を百パーセント成就し、今も私たちの内に臨在し、霊・魂・身体を完全に守って下さる主イエス様に感謝します。
Posted on 06/10/2018 at 21:56, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『神の国の実を結ぶ』(イエス・キリストの生涯 その22)(2018.6.10)

 

群衆はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」(ルカ3章7-14節)

  • はじめに…あるテレビ番組で興味深い実験がありました。それは人に親切にした場合と何もしない場合とでは、人の細胞の免疫力に差が生じるというものでした。数人ずつ前者と後者のグループに分けて実験したところ、前者のグループの人々の細胞の免疫力が強まったという結果が出ました。人が相手を思いやり、行動することは相手を喜ばせるだけでなく、自分自身の心身も共に健やかになる、ということが実証された実験でした。人と人がつながっていく健やかさ、それは神の国の実です
  • ヨハネの勧告…群衆がバプテスマを受けようと、ヨハネのところに集まって来ました。しかし群衆とヨハネ、それぞれの思いには大きな溝がありました。群衆(ユダヤ人)は、自分たちをローマの支配から解放してくれる救い主では? とヨハネに期待しました。また、アブラハムの子孫であるという自負があり、神の国に入るのは当然であり、神の国で、どのような地位につけるのかが関心事でした。ヨハネは、そのような群衆にアブラハムの子孫だからといって神の国に入れるのではなく、神に立ち返るように、そして、それにふさわしく神の愛によって行動するように勧告しました(ルカ3章7-8節)
  • 悔い改めの実を結ぶ…群衆は、神の国に入るために、そして神の御怒りから逃れるために「どうすればよいのでしょうか」と尋ねます(ルカ3章10節)。そこでヨハネは具体的に、悔い改めにふさわしい実を結ぶことについて答えます(同11-14節)。自分が置かれている場所で、自分にできる範囲で分かち合い、正直に生きるよう勧めました。下着を1枚しか持っていなければできませんが、2枚持っているなら持っていない人に分けなさい、取税人には、不正をしないで正直に税の徴収をしなさい、兵士には、力によって金を奪い取るのではなく、自分の給料に満足しなさい、それが悔い改めにふさわしい実を結ぶことである、と告げました。
  • 結び…神に立ち返り、神とつながり、そして人とつながっていく、そこに実が結びます。そして、それは生きる力となり、神の国の道です。ヨハネは、この力であり、道であるメシア・イエスを指し示しました。お一人ひとりにとってイエス様と共に、豊かな実を結ぶ一週間となりますように。
Posted on 06/03/2018 at 19:59, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『語り続ける主』(イエス・キリストの生涯 その21)(2018.6.3)

 

神の子イエス・キリストの福音のはじめ(マルコ1章1-6節)

  • はじめに…先週、友人から入院するという連絡がありました。4年前に癒された癌が再発したのか、はっきり分からないまま治療を始めるそうです。友人はとても落ち込んでいましたが、4年前、主が語って下さった言葉をお互いに確認しました。「あなたはまた泣くだろう。しかしサラが子供を与えられ喜んだように、あなたも喜ぶ者になりなさい。わたしはあなたの笑顔を喜ぶ。あなたの家族を祝福する」友人はこの主の言葉を支えに治療に臨もうとしています。
  • ヨハネ…マルコは「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」として書き始めています。そしてイエス様の公生涯の始まりは、バプテスマのヨハネの出現からだと証ししています(使徒1章22節参照)。ヨハネについては、旧約の預言者たちによって語られています。「主の道を用意し、主の道を整える者」(イザヤ40章3節、マラキ3章1節)。またヨハネの父ザカリヤも「主の御前に先立って、その道を整え…」(ルカ1章76節)と預言しました。このようにヨハネの出現は預言の成就であり、それはメシア・イエスの活動開始のファンファーレなのです。ヨハネ30歳の時でした。祭司の働きは30歳から始まります。ヨハネが現れ、活動を始めたことは、この習慣に従うこととして人々に受け入れやすいことでした。これは神の知恵・方法とも言えるでしょう。
  • ヨハネとエリヤ…ユダヤ人は、エリヤ(旧約の預言者)が再び現れ、救ってくれることを待ち望んでいました。荒野におり、らくだの毛で織った着物を着て、腰には皮の帯を締めているヨハネの姿は、まさにエリヤそのものでした(Ⅱ列王記1章8節)。人々は「待ち望んでいたエリヤの再来だ」という期待と喜びをもって、ヨハネの言葉に耳を傾けたことでしょう。また、ヨルダン川は、エリヤが活動した場所であり、ユダヤ人にとって聖なる場所です。ヨハネに対して人々の目も耳も、そして心も開かれるのに十分な条件がそろっていました(マルコ1章5節)。そのような人々にヨハネは、悔い改めと神の国、そして自分の後から来られるメシアについて語りました。ヨハネの風貌もまた、神の知恵であり方法です。
  • 結び…ヨハネは旧約最後の預言者です。彼についての預言はマラキ書(旧約聖書の最後の巻)からおよそ400年後に成就しました。今、主は、ご自身の知恵により様々な方法で、様々な人を通して私たち一人ひとりに語って下さっています。主はあきらめず、忍耐をもって語り続けておられます。私たちも目も耳も心も開かれ、主の言葉を待つことができますように。「主が語られたことは必ず実現すると信じ切った人は何と幸いでしょう」(ルカ1章45節)
Posted on 06/03/2018 at 19:45, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『語り続ける主』(イエス・キリストの生涯 その21)(2018.6.3)

 

神の子イエス・キリストの福音のはじめ(マルコ1章1-6節)

  • はじめに…先週、友人から入院するという連絡がありました。4年前に癒された癌が再発したのか、はっきり分からないまま治療を始めるそうです。友人はとても落ち込んでいましたが、4年前、主が語って下さった言葉をお互いに確認しました。「あなたはまた泣くだろう。しかしサラが子供を与えられ喜んだように、あなたも喜ぶ者になりなさい。わたしはあなたの笑顔を喜ぶ。あなたの家族を祝福する」友人はこの主の言葉を支えに治療に臨もうとしています。
  • ヨハネ…マルコは「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」として書き始めています。そしてイエス様の公生涯の始まりは、バプテスマのヨハネの出現からだと証ししています(使徒1章22節参照)。ヨハネについては、旧約の預言者たちによって語られています。「主の道を用意し、主の道を整える者」(イザヤ40章3節、マラキ3章1節)。またヨハネの父ザカリヤも「主の御前に先立って、その道を整え…」(ルカ1章76節)と預言しました。このようにヨハネの出現は預言の成就であり、それはメシア・イエスの活動開始のファンファーレなのです。ヨハネ30歳の時でした。祭司の働きは30歳から始まります。ヨハネが現れ、活動を始めたことは、この習慣に従うこととして人々に受け入れやすいことでした。これは神の知恵・方法とも言えるでしょう。
  • ヨハネとエリヤ…ユダヤ人は、エリヤ(旧約の預言者)が再び現れ、救ってくれることを待ち望んでいました。荒野におり、らくだの毛で織った着物を着て、腰には皮の帯を締めているヨハネの姿は、まさにエリヤそのものでした(Ⅱ列王記1章8節)。人々は「待ち望んでいたエリヤの再来だ」という期待と喜びをもって、ヨハネの言葉に耳を傾けたことでしょう。また、ヨルダン川は、エリヤが活動した場所であり、ユダヤ人にとって聖なる場所です。ヨハネに対して人々の目も耳も、そして心も開かれるのに十分な条件がそろっていました(マルコ1章5節)。そのような人々にヨハネは、悔い改めと神の国、そして自分の後から来られるメシアについて語りました。ヨハネの風貌もまた、神の知恵であり方法です。
  • 結び…ヨハネは旧約最後の預言者です。彼についての預言はマラキ書(旧約聖書の最後の巻)からおよそ400年後に成就しました。今、主は、ご自身の知恵により様々な方法で、様々な人を通して私たち一人ひとりに語って下さっています。主はあきらめず、忍耐をもって語り続けておられます。私たちも目も耳も心も開かれ、主の言葉を待つことができますように。「主が語られたことは必ず実現すると信じ切った人は何と幸いでしょう」(ルカ1章45節)
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