Archive for 2月, 2019

Posted on 02/24/2019 at 15:12, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『敵を愛し、迫害する者のために祈れ』(イエス・キリストの生涯 その54)(2019.2.24)

まことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、はいれません。(マタイによる福音書5章20節)

  • はじめに…先週の木曜日の夕暮れ時に、車止めのブロックに躓いて転倒して頭と手、膝を負傷してしまいました。頭をコンクリートの床に打ち付けた際、強い衝撃とともに強烈な閃光が暗闇に光ったのが見えました。モーセがシナイ山で十戒と律法を主から授与されたとき、「雷といなずまがあった」(出エジプト19章16節参照)と聖書に記されてありますが、その“いなずま”を見たかのようでした。その時、私が抱いた感情は、車止めのブロックを含む環境に対して怒る思いと、焦る自分の不甲斐なさ、そして危険な暗闇の中を歩む人々をいつくしむ思いが同時にありました。
  • 山上の垂訓…今日は、十二使徒(多様な個性の者たち)の召しの後、いよいよイエス様の宣教活動が本格的に始まったところの、山上の垂訓の箇所です。その中からイエス様の語られる“義”(律法にまさる義)について学びます。イエス様は6つの項目を示していますが、その最後の項目「復讐」に焦点をあてます。
  • 目には目を…「『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています」と、イエス様は申命記に記されてある言葉を語られます。いわゆる過剰な復讐を防止するための法です。また『隣人を愛し、敵を憎め』と語られ、それらの後、「しかし、わたしはあなたがたに言います」と、イエス様の義を示されます(マタイ福音書5章39-44節)。そして「取税人でも自分を愛する者を愛してるではないか」(同46節)とズバッと語られました。この言葉は取税人だったマタイには胸に突き刺さったのではないでしょうか?
  • 敵を愛し、祈れ…『隣人を愛し、敵を憎め』ではなく、『敵を愛し、迫害する者のために祈れ』とイエス様は語られました。イエス様は十字架で、みずからの言葉を成就されました。単なる八方美人的な愛ではありませんでした。イエス様を取り囲んで、その口から語りだされる生命の言葉を聞いた一人ひとりの内側に、律法の文字ではなく、イエス様の愛が染み込んでいったことでしょう。
  • 結び…私たちは不完全な器ですが、その器の中にイエス様が愛と生命を注ぎ込んでくださっています。
Posted on 02/17/2019 at 18:27, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『12使徒ユダの後悔』(イエス・キリストの生涯 その53)(2019.2.17)

ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。             (ヨハネによる福音書13章30節)

  • はじめに…十二使徒の学びをしていますが、今日は、イスカリオテのユダの記事からイエス様の愛にフォーカスしてみたいと思います。
  • 都会人ユダ…ペテロやアンデレは漁師で田舎者出身ですが、ユダはイスカリオテという形容が付いていますが、これはカリオテという地域を表わしていて、いわゆる都市です。ですからユダは都会人特有の洗練されたクールな感覚を持って合理的な考えをする性格だったのかも知れません。それ故に十二使徒達の中で会計係を任せられていたことも頷けます。
  • ユダの裏切り…やはりお金を扱う仕事をしていると、お金が物事の価値を計る基準になってきます。ですからラザロの姉妹マリヤがナルドの香油をイエス様の足に塗った際、ユダは「なぜ、香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか」(ヨハネ12章5節)と、マリヤのしたことに対して責めています。主のみこころは何なのかということはまったく考慮していません。
  • 今すぐしなさい…今日のテキストは最後の晩さんの出来事ですが、イエス様はユダが裏切ることをご存知でした(ヨハネ13章11節)。それは詩篇41篇9節に書いてあることが成就することでした(同18節)。最後の晩さんの席で使徒ヨハネはイエス様の右に、そしてユダは左の席についていました。イエス様の側近だったわけです。その最も近くに置いていたユダにイエス様は「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい」(同27節)とおっしゃいました。つまり時は過越しの祭です。その真実の贖いの小羊となるために今、この時だったのです。
  • 後悔と悔い改め…そのイエス様の促しの声掛けに応じてユダはすぐに外へ出て行きましたが、「すでに夜であった」(同30節)とヨハネは記しています。祭の日は満月と決まっています。つまり外は煌々と月明かりが照っていた訳ですが、ユダの心は闇で覆われていたのです。このコントラストをヨハネは描き出しているのです。晩餐の後、イエス様と使徒たちはゲッセマネの園へ向けて移動し、その途中にあったぶどう園のところで、イエス様は「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることはできないからです」と語られました(同15章5節)。ユダは、イエス様が十字架の死を遂げられた後、自責の念で自害してしまいました。もし、イエス様のところに罪人ユダの姿のままで戻って来たなら、罪赦され、新しく生き直すチャンスが得られたことでしょう。イエス様は、最後の最後まで愛する者の帰還(悔い改め)を待っておられることでしょう。
  • 結び…イエス様は「わたしにつながっていなさい」と声を掛けていてくざさいます。自分の罪や不甲斐なさを後悔してイエス様から離れたままでいるのではなく、イエス様のふところへ帰り、ぶとうの木につながる枝になること、すなわち悔い改めを今日も待ち続けておられます。
Posted on 02/10/2019 at 18:49, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒アンデレ』(イエス・キリストの生涯 その52)(2019.2.10)

イエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の小羊。」と言った。ふたりの弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。(…)ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。(ヨハネによる福音書1章36-40節)

  • はじめに…1月27日に介護福祉士試験を受験しました。その2問目(※)が、フランクルに関する問題でした。受験者の間では「フランクル・ショック」と呼ばれています。フランクルは、20世紀最大の悲劇といわれるナチスの強制収容所から生還した心理学者です。また27日は「国際ホロコースト記念日」でした。
  • 国際ホロコースト記念日…国連は、ユダヤ人の3分の1、そして無数のマイノリティーの人々が殺害されたホロコーストを再確認し、憎悪、敵対感情、人種差別、偏見がもつ危険性を永遠に人々に警告することを目的に、ユダヤ人強制収容所のアウシュビッツが解放された1月27日を「国際ホロコースト記念日」と定めました。(国連広報センターHPより引用)
  • それでも生きる意味はあった…人々が何の罪もなく一瞬にして殺される苦悩に満ちた状況においても「どんな時にも人生には意味がある。未来で待っている人や何かがあり、そのために今すべきことが必ずある」、そうフランクルはいいます。別の言葉で言えば「召命と使命がある」と言って良いでしょう。過酷な環境で自分の「使命」を意識した人は心を強く保ち、フランクル自身の「使命」は、失われた原稿(ロゴ・セラピーに関する論文)の再現作業でした。人はそれぞれどんな時にも、かけがえのない使命に召し出されているのです。
  • 使徒アンデレ…アンデレは12 使徒の中でイエス様の最初の弟子になりました。そして①兄弟ペテロをイエス様に引き合わせ(ヨハネ1章41-42節)、②5つのパンの2匹の魚を持った少年をイエス様に引き合わせ(ヨハネ6章8-9節)、そして③ギリシア人たちをイエス様に引き合わせています(ヨハネ12章20-22節)。重要な働きをしていても、会堂管理者ヤイロの娘の病気の癒し(マルコ5章37節)、イエス様の山上の変貌(マタイ17章1節)、十字架に架かられる前夜(マルコ14章33節)の重要な場面には立ち会わせてもらっていません。私たちなら「なぜ!?」と心が動揺ところででしょう。しかしアンデレは動揺しません。
  • 結び…使徒アンデレは自分に与えられた「召命と使命」の確信を、イエス様に従う中で徐々に強め、イエス様に対する信頼感で満たされていたのでしょう。

※問題2 

「夜と霧」や「死と愛」の著作があるフランクル(Frankl,V)が提唱した価値の説明として、適切なものを1つ選びなさい。

1 公民権運動により差別を解消すること。

2 生命が制限される状況において、いかなる態度をとるかということ。

3 最低生活水準を保障すること。

4 ライフサイクル(life cycle)を通じたノーマルな発達的経験をすること。

5 アパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃すること。

Posted on 02/03/2019 at 09:16, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『力をくださるイエス様』(イエス・キリストの生涯 その51)(2019.2.3)

「わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」そのとき、イエスは、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。 (マタイによる福音書16章19-20節)


  • はじめに…イエス様は多くの弟子の中から12人を選び使徒とされました(マルコ3章16-19節、ルカ6章13-19節、マタイ10章1-4節)。しかし彼らはイエス様が語られることを十分には理解できませんでした。イエス様の十字架と復活、昇天の後、聖霊降臨によって、彼らは使徒として働き始めたのです。
  • ペテロに与えられた権威(※)…弟子とは師から学ぶ者、使徒とは師から派遣される者です。そしてイエス様は、汚れた霊どもを制する権威(マタイ10章1節)等々、使徒的権威を与えられました。ペテロに「天の御国の鍵を上げます」(マタイ16章19節)とイエス様は言われます。これはペテロを含む使徒たちによって福音が語られていく、という預言です。福音が語られ、イエス様をメシアと信じる人々が増え集まった時、その群れのリーダーシップをとる権威が与えられました。
  • つなぐこと、解くこと…法律用語で“つなぐ”とは有罪、“解く”とは無罪です。使徒の働き5章1-11節、アナニヤとサッピラが持ち物を売った代金の一部を残し、これがすべてです、とペテロにいつわりを言う場面があります。これを見抜いたペテロは「あなたは神をあざむいた」と審判し、結果2人は息絶えてしまいました。またパウロも審判を下す場面があります。このようにイエス様から権威を与えられた使徒たちは、イエス様がメシアであることを果敢に宣教しました。まさにイエス様の預言の成就です。
  • 共におられるイエス様…使徒たちに権威を与えられたイエス様は、それはご自分の十字架の時が近づいてきた頃でした。ご自分がこの世を去ったあとの弟子たちのことを案じ、父なる神に祈られました(ヨハネ17章1-26節)。イエス様の昇天後、その権威を用いて患難を乗り越えるように、そして、その権威を与えて下さったメシア・イエス様の生き様を想い起し、どのように生きるべきかを実感し、主が共にいることを示そうとされました。イエス様はいつも私たちのことを案じ、祈って下さっています。そして、私たちに必要なものを惜しみなく与え励まして下さいます(ヨハネ17章15節参照)。

※【権威】גְבוּרָה(ゲブラー)/力、勇気、大能のみわざ(詩篇54篇1節、イザヤ30章15節、エレミヤ9章23節他→使徒の働き1章8節)…旧約聖書(新改訳)で「権威」と訳されている言葉は、ヘブル語原語では「ゲブラー」。この「ゲブラー」が使われている新約聖書(ヘブル語訳)の箇所に使徒の働き1章8節の「力」がある。

使徒の働き1章8節

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは(גְבוּרָה=ゲブラー=権威)を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人(עֵדַיイザヤ43章10-11節参照)となります。

ここから「権威」とは聖霊がその根拠であり、目的はキリストの「証人」となることだと理解することができる。

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