Archive for 3月, 2021

Posted on 03/28/2021 at 09:02, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『十字架の下での人間模様』(イエス・キリストの生涯 その153)(2021.3.28)

兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた(ヨハネの福音書19章25節)

  • はじめに…本主日は2020年度最後の礼拝です。昨年度最後の礼拝は新型コロナ感染拡大に伴い、夫婦二人で賛美と祈りの“安息”の礼拝を捧げました。それも尊い時でしたが、今はzoomで物理的距離を越えて共に礼拝参加できる環境がニューノーマルになりました。いとすぎ教会では、主から示された新年度の活動のひとつとして「お一人様限定 一泊祈りの家」構想を温めています。コロナ禍の今だからこそ、3密を避けつつ一人で思いの丈、主と交わる機会を持っていただけるのでは、そう願っています。
  • 午前9時から午後3時…さて、ユダヤ暦では昨日(ニサンの14日)の午後6時(日没)から過越祭です。キリスト教では本主日から受難週となり、次主日4月4日がイースター(復活祭)になります。イエス様は過越の贖いの小羊として十字架につけられました。午前9時から午後3時だったことが聖書に記されてあります(マルコ15章25、34節)
  • 十字架刑…宗教指導者や政治的権力者に貶(おとし)められ、罪なき方が犯罪人として十字架刑に処されるとは、何と不条理なことでしょう。徹夜での尋問、裁判の後、横木を背負わされ、ゴルゴタの丘まで歩かされ、釘付けにされ、野ざらしにされ、人々の罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられ、完全に人として、神の子としての尊厳が踏みにじられたのです。
  • 十字架の下での人間模様…総督ピラトは「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と罪状書きを書き、十字架上に掲げました(ヨハネ19章19、20節)。祭司長はピラトに「“ユダヤ人の王と自称した”と書いてくれ」と要求しましたが、ピラトは「私が書いたのだ!」と突っぱねています(同21、22節)。ローマの兵卒たちは、何の躊躇もなく、冷徹にイエス様を十字架に釘付けにしました。そして、着物をくじ引きにしました(同23-24節)。イエス様の母マリヤ、その姉妹、クロパの妻マリヤ、そしてマグダラのマリヤは十字架の近くに佇んでいました(同25節)。母をはじめ、婦人たちの心境はどのようなものだったでしょうか? 一方、イエス様の弟子たちは、使徒ヨハネを除いては、蜘蛛の子を散らすように逃げ去りました。十字架の下で様々な人間模様が繰り広げられる中にあって、イエス様は十字架の上で七つのみことばを語られました。
  • 結び…イエス様は、地上生涯の最期、十字架で愛の証しの御業を貫徹されました。この事実ゆえに、すべての人に救いの道が拓かれたのです。

《追記》

Zoom礼拝参加を希望される方は、事前に電話連絡後、主日礼拝当日の10時15分-25分の間に

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ホストから参加の許可設定をします。

※注意事項

①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除します)

②イヤホンを使用すると音声が聞き取りやすい場合があります

Posted on 03/21/2021 at 09:24, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『 “子ろば”に乗られるイエス様』(イエス・キリストの生涯 その152)(2021.3.21)

「(…)まだだれも乗ったことのない、ろばの子がつないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて連れて来なさい(…)」(ルカ福音書19章29-48節)

  • はじめに…先週、桜の開花の様子を見ようと、お弁当を持ってドライブに行きました。早咲きの枝垂れ桜は3分咲きくらいで、近くの公園のソメイヨシノはまだ蕾の状態でした。暖かい日が続いていますから今週末には満開になるのでは。楽しみです。
  • オリーブ山のふもとから…エリコ(海抜マイナス258m)からオリーブ山のふもとのベテパゲ、ベタニヤに近づいたところで、イエス様は弟子に、ろばの子を引いて来るように指示をしています。オリーブ山は海抜814mです(ちなみに「やまがた百名山」の大平山(おおひらやま)がほぼ同じ高さです)。するとエリコの低地からオリーブ山の山頂までは約1000mの上り坂になります。
  • 子ろばに乗って…旧約の預言書ゼカリヤ書9章9節に、柔和で、ろばに乗られる救い主の記述があります。メシア到来の預言の記事ですが、この預言の成就としてイエス様が、軍馬ではなく子ろばに乗ってエルサレムに入城されたのです。そもそもオリーブ山のふもとから約1000mの急な上り坂、狭く曲がりくねった坂を上るには、軍馬は役に立たないのです。救い主イエス様のエルサレム入城のためには、一見、役不足に思えるような子ろばこそが、適役だったのです。子ろばにとってその役は重荷だったでしょうか? イエス様はおっしゃいました。「わたしの荷は軽い」(マタイ11章30節)。今、重荷を負って疲れている方は、わたしのところに来なさいと、イエス様が招いておられます。そこで人生の指針が明確に見えるようになり、再び起き上がる力が与えられます。
  • 祈りの家へ…子ろばに乗ってイエス様は、オリーブ山を越え、エルサレムの神殿に入られました。そこは過越祭の巡礼者でごった返していたことでしょう。宮を一巡したイエス様は一旦、ベタニヤへ。そこはきっとマルタとマリヤ、ラザロの家だったでしょう。その翌日、葉だけで実のないいちじくの木を通り過ぎ(マルコ11章12-14節)、再び宮へ入るやいなや、商売人たちを激しい剣幕で追い散らしたのです。ベツレヘム(パンの家)で生まれ、ベタニヤ(に柔和な家)でラザロを生き返らせたイエス様が、ご自身の家であるベテピラ(祈りの家)で贖いとなられるために過越祭に宮へ入られたのです。地上生涯最期のとき、イエス様の魂は、岸壁に打ち寄せ砕け散る荒波のように激しいものでした。シオンを、ねたむほど激しく愛された故です(ゼカリヤ1章14節)
  • 結び…イエス様は、私たち一人ひとりを激しく愛しておられる方です。

《追記》

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Posted on 03/14/2021 at 04:59, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『名を呼ばれるイエス様』(イエス・キリストの生涯 その151)(2021.3.14)

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」 (ルカ福音書19章10節)

  • はじめに…いとすぎ教会も昨年8月からzoomでの礼拝参加が出来るように環境を整えています。基本、顔を直に合わせて礼拝することが大切と考えていますので、積極的に導入した訳ではありませんでしたが、思いの外、その有益性と可能性を実感しています。各大学でもオンライン授業が昨年4月から行われているようですが、対面授業の時は欠席者を気かけることが無かった教員たちが、オンラインになり、欠席学生一人ひとりにメッセージを送る等、アプローチするようになった結果、対面授業と比べて脱落する学生が激減したそうです。学生が学習意欲を失ったのは、「教員に個体識別されていない」ということが一因であって、教員から名前を呼びかけられたことで、ささやかながら社会的承認を得て、救われた(意欲を回復した)ということです。
  • 取税人ザアカイ…先主日、エリコは海抜マイナス258mで、世界で最も標高の低い町であることを学びました。今日は、そのエリコで取税人の長として生活していたザアカイとイエス様の出会いの出来事です。取税人という職業は、ローマに魂を売った裏切り者、罪人のレッテルを、同胞のユダヤ人たちに貼られ、嫌われていました。なぜザアカイは取税人という職業を選んだのでしょうか? もしかしたら“背が低かった”ことのコンプレックスがあり、それを補う優越感を得るためだったのかも知れません。あるいは取税人という仕事に純粋に誇りを持っていたかも知れません。ザアカイという名の意味は「純粋」という意味だからです。富がその人の社会的地位を表すと考えていたローマ社会の考え方からすれば、社会的には頂点にまで登りつめたと言っても良いかもしれません。しかし、何か満たされない思いで過ごしていたのでしょう。そこへイエス様が通りかかったのです。そして背の低かったザアカイはいちじく桑の木に登ります。
  • 名を呼ばれるイエス様…イエス様はいちじく桑の木の下から「ザアカイ」と名を呼ばれました。きっと優しい親愛の情のこもった呼びかけだったことでしょう。それは両親が呼んでくれた響き以上のものがあったと思います。ザアカイという名はヘブル名ではゼカリヤで「主は覚えている」という意味があります。その名の通り、主は最初からザアカイを丸ごとすべてご存じなのです。同様に私たち一人ひとりのことも、私たち以上にご存じなのです。
  • 結び…イエス様はいつも私たちを、愛をもって見つめ呼びかけてくださいます。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです」

《追記》

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Posted on 03/05/2021 at 22:55, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『壁を崩す信仰』(イエス・キリストの生涯 その150)(2021.3.7)

ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。 (ルカ福音書18章37-38節)

  • はじめに…寒さも和らぎ、桜のつぼみも赤みを帯びて少しずつ膨らんで来ました。コロナ禍であっても春はもうすぐそこまで来ています。「明けない夜はない」と言うように、今、冬の夜のような厳しい状況のただ中にあったとしても、必ず春になり、日は昇ります。私たちの人生の行く手に“壁”が立ちはだかっていても、崩れ去り、破られます。
  • エリコ…今日のみことばは、エリコに住む目の見えないバルテマイの救いの出来事です。エリコは海抜マイナス258mで、世界で最も標高の低い町です。またエルサレム神殿に仕える祭司階級の半数(約3千人)が住んでいました。
  • 生活困窮者バルテマイ…当時、病気や障害は、本人または両親の罪のため、と考えられていました。それゆえ、目が見えない障がいを負っている人々は、疎んじられ、蔑まれていました。当然、働く場がなく、否応なしに物乞い生活をせざるを得ませんでした。つまりバルテマイは世界で最も低い町で、最も身を低くして生きざるを得なかったのです。
  • 壁の崩壊…旧約聖書ヨシュア記に、モーセの後継者ヨシュア率いるイスラエルの民が、エリコの町を取り囲んでいた難攻不落の城壁を崩した記事があります。民の叫びと角笛の音で壁が崩れたのです。同様に、バルテマイの叫びによってバルテマイの目の前に立ち塞がっていた分厚い“見えない壁”が崩れ去ったのです。「ダビデの子のイエスさま、私をあわれんでください」(ルカ18章38節)と、ここぞとばかりに腹の底から振り絞るようにして大声で叫んだのです。
  • 信仰の告白…「ダビデの子」とは「来るべき救い主」と同じ意味です。群衆は「ナザレのイエス」だとバルテマイに知らせましたが、バルテマイは「ダビデの子よ」(同39節)とイエス様に叫びました。今、自らの声の届くところ、手の届くところに、待ち望んでいた救い主がおられる、そう確信し、信仰を告白したのです。周囲の人々には、耳障りな“物乞いのたわごと”としか受け止められませんでしたが、イエス様ただお一人が、バルテマイの叫びを信仰告白として受け止められたのです。そして「あなたの信仰があなたを直した(救った)」(同42節)と言われ、バルテマイの霊眼が開かれ、主をあがめ、イエス様に付き従ったのです。
  • 結び…イエス様を救い主と信じ告白するとき、崩れない壁はありません。

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