Archive for 8月, 2022

Posted on 08/28/2022 at 17:26, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『過ぎ越しの小羊』(新約に引用されている旧約 その14)(2022.8.28)

これは一つの家の中で食べなければならない。あなたはその肉を家の外に持ち出してはならない。またその骨を折ってはならない。(出エジプト12章46節) / このことが起こったのは、「彼の骨は一つも砕かれない。」という聖書のみことばが成就するためであった。(ヨハネによる福音書19章36節)

◆はじめに…9月25日(木)の日没(26日(金)の新月)から、イスラエルではユダヤ暦で新年(5783年)を迎えます。次の満月にはユダヤ三大祭りの「仮庵の祭り(スコット)」を迎えます。聖書の記述(主にルカ福音書)を総合すると、イエス様がお生まれになったのは、この仮庵の祭りの時期だったことが分かります。ですから、このユダヤ暦の新年から仮庵の祭りのこの時期に、イエス様がこの世に遣わされたことに思いを馳せることは意義深いことです。

◆過越のいけにえ…今日のテキストは、過越のいけにえ(小羊)に関するみことばです。出エジプト記12章46節に、過越のいけにえ(小羊)は家の中で食べ、家の外に持ち出してはいけないことと、いけにえの骨を折ってはいけないと記されてあります。共にひとつの食卓(=いのち)に与ることの意味を、後に使徒パウロが①コリント人への手紙で明らかにしています(①コリント10章17節)。そして使徒ヨハネは主イエス様の十字架の出来事(すねを折られなかったこと)を目の当たりにして、イエス様がまさに過越の小羊、つまり贖いの小羊であったことを確証しています(ヨハネ19章33節)詩篇34篇19-22節はこれらの真理を言い抜いています。

◆すねを折る…イエス様が十字架で「完了した」と叫ばれ、絶命してすぐ、ユダヤ人たちはイエス様のすねを折って、一刻も早く十字架から取り下ろすことをピラトに願い出ました。日没が来ると安息日になり、聖地が汚れるとの考えからでした(申命記21章22-23節参照)。ローマ的な習慣では十字架に掛けた死体は、鳥が啄むに任せていたため、ユダヤ人には到底受け入れられないことだったのです。

◆すねを折らなかった…しかしローマ兵たちは、イエス様のすねの骨を折ることはありませんでした。旧約の預言などまったく知る由もないローマ兵によって出エジプト12章46節のみことばの成就を見ることになったのです。預言の成就のために用いられたローマ兵は、イエス様が絶命していることを確かめるため脇腹を槍で突き刺したのでした。すると血(あがない)と水(聖霊)がイエス様から流れ出たのです。ここにイエス様が真の救い主であることがはっきりと現れています(イザヤ書44章3-4節、22節参照)

◆結び…イエス様はいつも私たちと共にいてくださり、贖い出し、御霊を注ぎ、復活のいのちに生かして下さっています(ガラテヤ書3章13-14節参照)

Posted on 08/21/2022 at 17:46, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『聖書と神の力』(新約に引用されている旧約 その13)(2022.8.21)

また仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。(出エジプト3章6節) / 「『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」(マタイによる福音書22章32節)

◆はじめに…今から3年前に発生したオーストラリアの森林火災。今でも炎の森林の中、逃げ場を失ったコアラの痛々しい光景を鮮明に思い出します。シドニー大学の試算では、哺乳類、鳥類、爬虫類など10億以上の生命が失われたと推定され、生き残っている動物たちも絶滅が危惧されています。森林火災は昔から(神の摂理の中で)世界各地で発生していますが、ここ最近の大規模火災化は人間の節度を超えた経済活動による気候変動の影響が大きいように思います。

◆3千年前の炎…今日のテキストは、エジプトで成長したモーセがある事件からミデヤンの地(アカバ湾の東)に逃れ、ミデヤンの祭司イテロの羊を飼っていて、ホレブ山(シナイ山)にやって来た時のことです。モーセ80歳の頃です(使徒の働き7章30節参照)。そこでモーセは、焼け尽きない柴を発見しました。3年前の森林火災は木々も動物も焼き尽くしてしまいましたが、3千年前、モーセが見た炎は、焼き尽くすことなく、燃え続けていました。その炎の中から主がモーセに呼びかけられました。「わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」 (出エジプト3章6節)と。また、こう語られました。「わたしはある」(同14節)と。モーセはリアルな神と出会ったのです。そして御声を聞いたのです。

◆イエス様の引用と展開…イエス様は、この出エジプト記3章6節を、復活を信じていないサドカイ人たちの「復活」についての論争の場面で引用しています。そして次のように展開しています。「神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です」(マタイ22章32節)と。聖書は文字づらではなく、今、語られる活ける神のみことばであって、復活について語られているのだと。そして神の力は、死人の復活の際には肉の身体を天使のような身体(朽ちない身体、御霊に属する身体)に変えるのだと。アブラハムも、イサクも、ヤコブも、神がそれぞれに関係を保って、今なお、生かしておられるのだ、ゆえに神は、生きている者の神なのだ、そうイエス様は、みことばを説き明かしておられます。

◆結び…この瞬間も燃え尽きない柴として私たち一人ひとりの内側を照らし、それぞれの人生の道行きを照らし御国に導いておられる主の臨在に感謝します。

Posted on 08/14/2022 at 16:35, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『現実を変える祝福の力』(新約に引用されている旧約 その12) (2022.8.14)

そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。(創世記26章4節) / あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける。』と言って、あなたがたの先祖と結ばれたあの契約の子孫です。(使徒の働き3章25節)

◆はじめに…先週はじめから雨雲が韓半島から北陸東北地方に流れ込み、大雨で韓国ソウルでは半地下住宅が浸水して死者が出たり、青森ではリンゴ畑が冠水して、あと1カ月ほどで収穫の予定だったリンゴがほぼ全滅するなど、甚大な被害が出ています。また台風8号による被害も静岡などで出ています。被害に遭われた方々一人ひとりに主の慰めと、立ち上がる力が与えられるよう祈ります。

◆飢饉…今日のテキストは、イサクが住んでいたゲラル地方にききんが起こり、食糧を求めてエジプト行きを計画していたところ、「この地に滞在しなさい」(創世記26章3節a)との主の御声に従ってその地に留まり続けたという箇所です。飢饉は天災ゆえ、どうすることも出来ません。この度の豪雨も同じです。被害は甚大で将来の見通しがつきません。

◆ともにおられる主…主は続けて語られました。「わたしはあなたとともにいる」(同3節b)と。主はアブラハムが75歳のとき「わたしが示す地に行きなさい」(創世記12章1節)と語られました。安定していたであろう、生活に見切りをつけてアブラハムは旅立つ決断しました。「あなたを大いなる国民とする」(同2節)とのみことばが背中を押しました。保証は主ご自身が語られた約束のみことばです。

◆種蒔きと井戸掘り…留まったその荒涼とした地にイサクは種を蒔きました。すると百倍の収穫を見たと。地の人(ペリシテ人)はそれをねたみ、井戸に土を満たして塞ぎ生活の源を断ちました。さらにその地の王は、「出て行ってくれ」(同26章16節)とイサクたちを追放し、イサクはゲラルの谷間(ワジ)に天幕を張り、居を構えました。そこで井戸を掘るも、またもや地の人から奪われます。しかしイサクは住む場所を移動しながら新たな井戸を掘り続けました。イサクは決して恵まれた境遇に生きたのではありませんが、そのイサクに再び主は「わたしはあなたとともにいる」(同24節) と語られ、イサクは祈り、井戸を掘りました。

◆結び…いのちの源を求めて井戸を掘り続けたイサクによって地の民が祝福を受けたように、イエス様が私たち一人ひとりの心を掘り、生ける水を内側からわき出るようしてくださり、霊的に満たしてくださることを信じて感謝します。

Posted on 08/07/2022 at 18:27, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『人生の転換』(新約に引用されている旧約 その11) (2022.8.7)

すると主は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」(創世記25章23節) / 「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。(ローマ人への手紙9章12節)

◆はじめに…アメリカ下院議長のペロシ氏が台湾への訪問旅行を決行しました。その後、中国は台湾周辺で大規模な軍事演習を行っており、台湾をめぐるアメリカと中国との軍事的緊張が高まっています。新型コロナ感染で経済が行き詰っている世界各国の指導者が、国民の不満の矛先を国内から国外へ逸らそうとしているのでは…と疑わざるを得ません。時同じくして広島市では「平和記念式典」が執り行われ、松井市長が「平和宣言」を宣誓しました。送迎中の車のラジオで聞いていましたが、『ロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべき』という言葉に、心の中で大きく頷きました。

◆覇権(家督権)争い…今日のテキストは、イサクの双子の兄弟、エサウとヤコブの記事です。どちらも人間的に欠点の多い者です。エサウは狩りから帰り、空腹を満たすためにヤコブが料理していたレンズ豆を要求し、ヤコブは、ここぞと言わんばかりにエサウに長子の権利(家督権)の売り渡しを要求しました。お互いに自分の欲求(欲望)を満たすためだけに相手と接しました。その方法がエサウは愚かで軽率、ヤコブは利己的で狡猾です。兄弟の幸福、家族の幸福、他者の幸福のことなど1ミリも考えていません。自分のことだけです。

◆あわれみによる選び…使徒パウロは、このエサウとヤコブの出来事から、神様の選びの計画は、(律法による)行いによらず、ただ神様のあわれみ、召しによるのだと語ります。「兄(エサウ)は弟(ヤコブ)に仕える」と、主がリベカに伝えたのは、まだふたりともリベカの胎内にあり、生まれていなかった、つまり善も悪もなす以前に、主はすでにご自身の遠大なご計画を持っておられるのだとパウロは語りました。主は忍耐をもって私たちの人生の旅路をともにしてくださり、すべての者(ユダヤ人も異邦人も)を「生ける神の子ども」(ローマ9章26節/ホセア1章10節参照)と呼んでくださるのだと。その主のご計画は兄と弟の祝福の順序がひっくり返るような、“大どんでん返し”の驚くべきご計画なのです。

◆結び…人間的な計画(策略)は頓挫します。しかし主は、あわれみにより忍耐をもってご自身の祝福のご計画を進めてくださり、誤り多き私たちを、主を愛し、隣人を祝福し、平和を造り出す者としてくださることを信じて感謝します。

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