Posted on 07/07/2019 at 20:47, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『イエス様の叫び』(イエス・キリストの生涯 その70)(2019.7.7)

彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。(使徒の働き4章13節)

  • はじめに…先日『新聞記者』という映画を観ました。その映画に込められたメッセージは観る人によってそれぞれ違って受け止められるでしょう。違いがあっても、思うこと、考えること、また語られるメッセージを聞き分ける力があるといいですね。
  • 聖霊の力を受けて…表現することは大切なことです。そしてそれを一方的に封じ込めることのない今の時代であってほしいと願っています。ペテロやその他の弟子たちは、イエス様をメシアと信じる信仰によってユダヤ教社会から外されました。しかし彼らは聖霊の力を受けて大胆に「イエスはメシアなり」と語りました。言い方を変えれば、イエス様ご自身が、この混乱している時代に、ペテロや弟子たちを通して語られたのです。「御子を信じる者がひとりも滅びないで永遠のいのちを受け取ってほしい」と。
  • イエス様の叫び…民の指導者たちや長老たちは、いやされた人の喜びを共有することなく「何によっていやされたのか」とペテロとヨハネを捕え尋問します。二人は「あなたがたが十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によって」と答えます。さらに「この方以外にだれによっても救いはない」と宣言します。アダムとエバが罪を犯し、エデンの園を追放されてから後、神は私たち人間を追いかけ、いのちの国に戻そうと必死に語りかけておられます。ペテロとヨハネが語ったことばは、メシア・イエス様の必死の叫びです。どんな時代にあっても、どんな境遇にあってもイエス様は語られます。「ひとりも滅びないで永遠のいのちを受け取ってほしい」と。
  • 結び…時が良くても悪くても、イエス様の叫びが、お一人ひとり耳と心に届きますようお祈りします。
Posted on 06/23/2019 at 19:19, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『最高の宝』(イエス・キリストの生涯 その69)(2019.6.23)

すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい。」と言って、彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮にはいって行った。(使徒の働き3章6-8節)

  • はじめに…教会にはしばしば「お金を貸してください」と助けを求めてやって来る方があります。もちろん、様々な理由があります。旅費だったり、仕事に使う物のためだったり…。しかし、残念ながらその理由は嘘(作り話)で、お金を得ること自体が目的であることがほとんどです。もちろん全部が全部ということではありませんが、その度に、私たちは残念な思いになります。
  • 必要としている人に…確かにいとすぎ教会では、感謝の献金の祈りのとき、「ささげ物が、今必要としている人のところに届けられますように」と祈っています。必要としている人のところであって、お金が欲しい人のところではありません。身の丈に応じて国連UNHCR協会やフィリピンや地元ホームレス支援に寄付しています。ほんとうに欲望と必要を見きわめることは困難極まります。
  • 本当に必要なもの…私たち創造主に造られた者にとって、本当に必要なものは“イエス・キリストの御名”によって人生を歩くことです。しかし人はなかなか本当に必要なものが何か分からず、二番目、三番目のものを得ようとしています。永遠の生命ではなく、まず富を求めようとします。ペテロは最高の宝を言葉と行いで惜しみなく与えたのです。つい2カ月には、イエス様を見捨てて逃げ出したペテロです。イエス様との出会いと体験がペテロを愛の人に変えたのです。色眼鏡ではなくイエス様の目で人を見るようになったのです。
  • ある病院の壁にあった詩…大事をなそうとして/力を与えてほしいと神に求めたのに/慎み深く従順であるようにと/弱さを授かった/より偉大なことができるように/健康を求めたのに/より良きことができるようにと/病弱を与えられた/幸せになろうとして/富を求めたのに/賢明であるようにと/貧困を授かった/世の人々の賞賛を得ようとして /権力を求めたのに/神の前でひざまづくようにと/弱さを授かった/人生を享受しようと/あらゆるものを求めたのに/あらゆることを喜べるようにと/生命を授かった/求めたものは一つとして/与えられなかったが/願いはすべて聞き届けられた/神の意に沿わぬ者であるに関わらず/心の中の言い表せない祈りは/すべてかなえられた。/私はあらゆる人の中で/もっとも豊かに祝福されたのだ
  • 結び…受けるにしても、与えるにしても、主イエス様の御名で喜びと感謝に生きる、祝福された一人ひとりとなりますように。
Posted on 06/16/2019 at 17:56, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『聖霊降臨後の使徒たちの生活』(イエス・キリストの生涯 その68)(2019.6.16)

信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。(使徒の働き2章44-47節)

  • はじめに…先週、久しぶりに自転車に乗りました。しばらく乗ってなかったので、タイヤの空気が減っていました。空気をしっかりタイヤに満たし、快適にプチ・サイクリングを楽しむことができました。普段、感じることのない風を感じ、見過ごしてしまう風景を新鮮な思いで見ることができました。
  • 心をひとつにして…先週の主日はペンテコステ(聖霊降臨日)の礼拝でした。ユダヤ三大祭りの五旬節の祭りで、過越の祭りで行われる「初穂の祭り」から50日目に行われています(レビ記23章15-16節参照)。「初穂の祭り」はイエス様の復活の予表です。それから50日目「すべての心(心臓)がひとつになった(集まった)」(使徒の働き2章1節私訳)ところに聖霊が降ったのです。この五旬節の日はモーセの律法付与を記念するものとして覚えられています(出エジプト記19章参照)。
  • 落ち穂拾い…五旬節には、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)では、伝統的にルツ記が朗読されます。ルツの夫となったボアズは律法を忠実に守り、落ち穂を自分の畑に残して、貧しい者と在留異国人に対して思いやりの心で接していました(レビ記19章9-10節参照)。
  • 使徒たちの生活…使徒たちもボアズ同様、聖霊降臨後、温かな交わりをしていたことが分かります。聖霊に満たされて、イエス様の生き様、関わりを自らの歩みの核にして、世におもんばかることなく喜びと混じりけのない純真な心で生き始めたのです。何か特別なことをした訳でなく、分け隔てなく一緒に食事をすることから始めたのです。その度ごとに、イエス様の聖餐のこと、そして「わたしの羊を牧しなさい」(ヨハネ21章15、16、17節参照)と言われた時の、イエス様のまなざし、声色、振る舞いを想い起していたことでしょう。
  • 結び…イエス様は一人も滅びることのないよう(マタイ18章14節、ヨハネ10章28節)、迷い出た一匹の羊を捜しだし、そのふところに抱かれる方です(ルカ15章4-6節)。誰一人としてイエス様の愛からこぼれ落ちる者はありません。
Posted on 06/09/2019 at 19:48, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『聖霊降臨』(イエス・キリストの生涯 その67)(2019.6.9)

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。(使徒の働き2章1-3節)

  • はじめに…先週の日曜日の午後、江南キリスト教会で開催された献堂2周年を記念した森祐理さんのコンサートに行ってきました。祐理さんの証しと賛美を通して、参加した皆さん一同、それぞれに慰めと励ましを受けた様子でした。私自身も自らの信仰の歩みを再度、振り返る時となりました。
  • 心がひとつになる…コンサートへ向かう道中、教会へ近づくにつれ田園風景が広がり、黄金色の麦穂が風になびいていました。ユダヤ地方は、まさにこの時期、創造の主に、麦を収穫して感謝を捧げる“五旬節”の季節です。この五旬節の日になって「みなが一つ所に集まっていた」(使徒の働き2章1節)のです。ヘブル語訳を私訳すると「すべての心(心臓)がひとつになった(集まった)」となります。場所よりも状態に焦点が当たっています。ちなみに「コンサート(consert)」はcon(共に)+sert(結びつく)、つまり“心がひとつになる”“一体になる”という意味です。
  • ボアズとルツ…五旬節には、シナゴーグ(ユダヤ教の会堂)では、伝統的にルツ記が朗読されます。いわずもがな夫(ナオミの息子)に先立たれたルツの物語です。ルツの生きた時代背景としては“さばきつかさが治めていたころ”とルツ記の書き出しに記されてあることから霊的・道徳的・政治的あらゆる面で混乱していた時代、まさにカオス的状況でした。その中で一縷の光としてボアズとルツ、すなわちユダヤ人と異邦人の出会いが起きたのです。この出来事の重要性はマタイ福音書のイエス様の系図の記事を見れば分かります。
  • 2個のパン…ところで五旬節にはパン種を入れて焼かれるパン2個をささげ物としてささげることになっています(レビ記23章17節)。パン種は罪の象徴です。それを2個ですから、つまり違い(個性・人格)を持った罪ある者がそろって神の御前に出るということです。ボアズとルツとの関連から言えば、罪あるユダヤ人と罪ある異邦人がともにそろって赦され、神の民となるのです。
  • 結び…五旬節はイエス様につながる出来事で、主の方から私たちに近づいて来られる恵みの出来事です。
Posted on 06/02/2019 at 13:07, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『キリストの愛に包まれて』(イエス・キリストの生涯 その66)(2019.6.2)

(…)さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。(…)(ルカによる福音書24章44-50節)

  • はじめに…私の友人に介護の勉強をしている方がいます。友人は聖書の「愛し合いなさい」という言葉に、いつも抵抗を感じていたそうです。そして「愛し合うことなんて自分にはできない」とも思っていた、ということでした。介護の学びをする中で「愛する」ということは、相手のいのちを認め、受け入れることだ、と分かったと語ってくれました。自分が好むと好まざるとに関わらず、一人ひとりにいのちの尊厳を認め合うお互いの中にあるもの、それこそが「愛」そして「共に生きる」ことなんですね。聖書全体を見ると、そこには私たちのいのちを守って下さる主の、そして共に生きて下さるお心が記されています。神は愛なり、それは神はいのち(霊的、肉的)なり、ということができるでしょう。
  • いのちを着せて下さる主…復活されたイエス様は、弟子たちにかねてより語っていた父なる神の約束を語られました。「もうひとりの助け主、その方(力)を着るまで都にとどまっていなさい」と言われたイエス様。“着る”と同じ言葉が創世記3章21節に記されています。ここは罪を犯したアダムとエバが、エデンの園から追放される場面です。その時、神は彼らに皮の衣を作り着せて下さいました。それは大切な動物(おそらく羊)をほふり、血を流すことにより、彼らのいのちを包み込まれた、ということです。これはイエス様の十字架の予表です。イエス様の十字架によって罪赦され、贖われた私たちに、さらに力である聖霊(愛のいのち)で包み込もうと約束されました。
  • すべてを包み込む方…介護や福祉を学ぶと「ソーシャル・インクルージョン」という言葉をよく耳にします。これは「包み込む社会」つまり「共に生きる」ということです。私が若い頃に勤めていた重症心身障害(児)者施設の理念は“MIT LEBEN” (ドイツ語で「共に生きる」)でした。すべての生きとし生ける者のいのちは三位一体の神から与えられたものです。ですから私たちは神と共に生き、隣り人と共に生きるのです。しかし人間には限界があります。そこで父なる神は私たちが共に生き、互いのいのちを尊重することができるように、神の力(聖霊)で包み込んで下さったのです。「ソーシャル・インクルージョン」は「ジーザス・インクルージョン」(キリストに包み込まれる愛)によって豊かで温かなものになります。
  • 結び…主は、キリストに包みこまれる人生を私たち一人ひとりと約束して下さっています。シャローム
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