Posted on 03/05/2021 at 22:55, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『壁を崩す信仰』(イエス・キリストの生涯 その150)(2021.3.7)

ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。 (ルカ福音書18章37-38節)

  • はじめに…寒さも和らぎ、桜のつぼみも赤みを帯びて少しずつ膨らんで来ました。コロナ禍であっても春はもうすぐそこまで来ています。「明けない夜はない」と言うように、今、冬の夜のような厳しい状況のただ中にあったとしても、必ず春になり、日は昇ります。私たちの人生の行く手に“壁”が立ちはだかっていても、崩れ去り、破られます。
  • エリコ…今日のみことばは、エリコに住む目の見えないバルテマイの救いの出来事です。エリコは海抜マイナス258mで、世界で最も標高の低い町です。またエルサレム神殿に仕える祭司階級の半数(約3千人)が住んでいました。
  • 生活困窮者バルテマイ…当時、病気や障害は、本人または両親の罪のため、と考えられていました。それゆえ、目が見えない障がいを負っている人々は、疎んじられ、蔑まれていました。当然、働く場がなく、否応なしに物乞い生活をせざるを得ませんでした。つまりバルテマイは世界で最も低い町で、最も身を低くして生きざるを得なかったのです。
  • 壁の崩壊…旧約聖書ヨシュア記に、モーセの後継者ヨシュア率いるイスラエルの民が、エリコの町を取り囲んでいた難攻不落の城壁を崩した記事があります。民の叫びと角笛の音で壁が崩れたのです。同様に、バルテマイの叫びによってバルテマイの目の前に立ち塞がっていた分厚い“見えない壁”が崩れ去ったのです。「ダビデの子のイエスさま、私をあわれんでください」(ルカ18章38節)と、ここぞとばかりに腹の底から振り絞るようにして大声で叫んだのです。
  • 信仰の告白…「ダビデの子」とは「来るべき救い主」と同じ意味です。群衆は「ナザレのイエス」だとバルテマイに知らせましたが、バルテマイは「ダビデの子よ」(同39節)とイエス様に叫びました。今、自らの声の届くところ、手の届くところに、待ち望んでいた救い主がおられる、そう確信し、信仰を告白したのです。周囲の人々には、耳障りな“物乞いのたわごと”としか受け止められませんでしたが、イエス様ただお一人が、バルテマイの叫びを信仰告白として受け止められたのです。そして「あなたの信仰があなたを直した(救った)」(同42節)と言われ、バルテマイの霊眼が開かれ、主をあがめ、イエス様に付き従ったのです。
  • 結び…イエス様を救い主と信じ告白するとき、崩れない壁はありません。

《追記》

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Posted on 02/28/2021 at 09:46, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その12)』(イエス・キリストの生涯 その149)(2021.3.1)

罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。アーメン(詩篇49篇7-9、15節、イザヤ43章4-5節、11節、25節、マタイ18章21-22節、①コリント15章20-26節、50-58節他参照…聖霊なる神③)

  • はじめに…2月17日から受難節が始まりました。今年のイースターは4月4日になります。昨夜は大きな真珠のような満月が出ていました。黙示録に“新しいエルサレム”のビジョンが記されてあり、そこには12の門があり、「真珠からできていた」(黙示録21章21節)とあるので、しばし思いを馳せました。次の満月が3月29日(月)で、その後に来る主日がイースターになります。
  • 罪の赦し…今日が使徒信条の学びの最終回です。“罪の赦し”が聖書の中心的メッセージと言ってもよいと思います。そもそも罪(原罪)は、最初の人間アダムとエバによって人類に引き継がれました。罪は神との約束(契約)を破棄することで始まり、“責任転嫁”“責任転「主」”あるいは“自己正当化”をするようになります(創世記3章12-13節)。それは人間には罪の代価を自分で支払うことは出来ないからです(詩篇49篇7-8節)。それは主ご自身のみがお出来になることです。
  • 罪の代価…神様は私たちに息を吹き入れ、私たちを生きる者として下さいました。つまり聖霊を受け、神様との関係の中で、その愛の中で生きる者としてかけがえのない者として造られたのです(イザヤ43章4節)。イエス様はたとえで「1万タラント」の負債を負ったしもべの話をしています(マタイ18章24-27節)。1日5千円の日当なら3千億円です。それを主は免除してくださる方です。私たちの犯した罪がどれほど重大であったとしても、主の私たちに対する愛は、その独り子イエス様を贖いの代価とするほどに大きいのです。
  • 身体(人生)のよみがえり…私たちは罪赦された者として、人生を新しく生き直す者として主に招かれています。イエス様は“死”に打ち勝たれた方です。罪によって死がこの世に入り込み、“死のとげ”が私たちを悩まし続けます。過去を悔い、将来を不安に陥れ、生きる意欲を弱らせます。しかしイエスの十字架の贖いの死、そして初穂としての復活によって、御国に向かって、今、生かされている瞬間を喜びと感謝と希望を持って、主とともに、そして隣人とともに愛の中で生きる者となり、事実なっています。QОL(Quality Of Life)という福祉用語がありますが、教会における罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命こそ、主の愛に満ち満ちた究極のQОL(Quality Of Lord)、御国の先取りです。
  • 結び…創造の父なる神、救い主イエス様、慰めの聖霊様を感謝します。

《追記》

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Posted on 02/21/2021 at 09:42, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その11)』(イエス・キリストの生涯 その148)(2021.2.21)

聖なる公同の教会、聖徒の交わり、(申命記7章6-8節、マタイ16章13-19節、エペソ1章22-23節、同4章4-6、15-16節、ヨハネ17章11-26節他参照…聖霊なる神②)

  • はじめに…私がはじめて教会に足を運んだのは、国鉄(現JR)を一時帰休して大学に通っている時でした。牧師の語る礼拝のメッセージを初めて聞き、内容は良く分かりませんでしたが、魂を揺さぶられる体験をしました。すぐには教会には繋がりませんでしたが、29歳でバプテスマ(洗礼)を受けて以来、今日まで信仰生活を続けさせて頂いています。一般的にキリスト教会では受浸した教会のことを“母教会”と呼んでいます。教会は母として信仰を育むところだと言うことでしょう。
  • 教会(=呼び出される)…教会のことをギリシア語で「エクレーシア」と呼びます。“呼び出される”という意味です。ヘブル語では「カーナス」で“集まり”です。つまり私を含め皆さんお一人ひとりが自分で教会を選んだのではなく、聖霊様(=傍に呼ぶ・慰めの意)によって呼ばれ、共に集められているのが教会です。そしてその教会は“キリストの体”(エペソ1章23節)です。
  • 聖なる公同の教会…「聖なる教会」と言うと、聖人君子のような何の欠点もなく何でも完璧にこなせるような清廉潔白で能力のある人が集まるところのような印象を受けるかも知れませんが、そうではありません。「聖」とは、神様に“取り分けられた”という意味です。神様は、能力のあるなしや、役に立つか役に立たないかという基準で選ばれるお方ではなく、主ご自身の愛によって招き入れて下さるお方です。私たち(欠点多き罪人)の本質をよくご存じの主が、その私たちを世から取り分け、働かれる現場が教会だと言うことです。そして「公同」は、“普遍的”と言うことで、教会の頭であり主であるイエス様は他のものに変わることはないと言うことです (へブル13章8節)
  • 聖徒の交わり…イエス様が頭であり、そのからだである教会には交わりがあります。その中で核になるものが聖さん(主の晩餐)です。これは形だけの儀式ではありません。聖さんを通して聖霊様が働き、体中を血が巡り、栄養が体の隅々にまで行き渡るように、イエス様の愛が一人ひとりの内側に満ち満ちて、主の愛に感謝し、お互いを赦し、慰め、いたわりあってキリストの身の丈にまで成長していきます。キリストのからだである教会の成長は、各個教会の枠を超える聖霊様の働きです。
  • 結び…今日もイエス様ご自身なる教会に愛によって招かれ、ともに生かされていることを感謝します。

《追記》

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Posted on 02/14/2021 at 19:58, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その10)』(イエス・キリストの生涯 その147)(2021.2.14)

我は聖霊を信ず。(①コリント12章3節、ヨハネ14章16節、ローマ8章9節b、同13-16節、ガラテヤ5章22-23節他参照)

  • はじめに…昨夜11時08分頃、宮城県と福島県で最大震度6強の地震があり、その後、福島原発や福島駅周辺のライブカメラで状況を確認しました。カメラで見る限り、建物が倒壊しているようなことはありませんでした。今後、強い余震があることも警戒しながら不安な日々を過ごされる東北の方々に主の慰めと守りがあるよう祈ります。
  • 捜し求める聖霊…本主日から、使徒信条の第3項目「聖霊」を学びます。すでに私たちは、使徒信条第2項の「主は聖霊によりて宿り」で、聖霊という言葉を告白しています。「…によりて宿り」はヘブル語では“熱心に捜し求める”と訳せることを学びました。ですから聖霊は、マリヤを捜し求め、その胎にイエス様を身ごもらせる奇跡をなさいました。ですから聖霊様は、マリヤを捜し出し、世の常識では信じられない奇跡を起こされたのと同様、私たち一人ひとりを捜し当て、内に宿り、奇跡を起こされます。すでに奇跡を起こされました。
  • 信じることは聖霊の出来事…私たちにとって最大の奇跡は、私たち自身が、父なる神を信じ、イエス・キリストを救い主と信じ、そして聖霊を信じている、そのこと自体です。どうして信じているのか、と問われて、明確にその理由を理路整然と答えられる人はいないでしょう。なぜなら、それは私たちの経験や知識、能力を超えている出来事だからです。ことばを替えれば、聖霊の出来事だからです。パウロが言うように「聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできない」(①コリント12章3節)のです。マリヤの胎内で奇跡が起こったのと同様に、私たちの内側で“信じる”という奇跡が起こったのです。
  • アイノカタチ…MISIA(ミーシャ)という歌手がいますが、『アイノカタチ』という歌があります。その歌詞の一節に次のようなフレーズがあります。今日よりもっと/あなたのことを知るたびに/そのカタチはもう/あなたじゃなきゃ/きっと隙間(すきま)を作ってしまうね 私たち一人ひとりの内側には、聖霊様の住まわれるカタチ、スペース、居場所が備えられていて、そこから出会う一人ひとりを愛する愛があふれ出るのでしょう。
  • 結び…イエス様がこの世に生まれ、十字架に死なれ、陰府(よみ)に降り、墓より復活し、天に昇られ、そこから聖霊様を私たち一人ひとりの内側に遣わして、お互い愛を分かち合う家族としてくださっていることを感謝します。

《追記》

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Posted on 02/07/2021 at 17:42, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その9)』(イエス・キリストの生涯 その146)(2021.2.7)

かしこより来りて、生ける者と死ぬる者とを審きたまわん。(マタイ25章31-46節、ルカ21章27、28節、ローマ8章23節、ピリピ3章20節、テトス2章11-13節他参照)

  • はじめに…個人的な事ですが、今日2月7日は私の誕生日です。57歳になります。真夜中に感謝の祈りを主に捧げた時に、主から頂いたみことばが②コリント人への手紙5章17節ヨハネ福音書21章22節のみことばでした。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」。昨今、体の衰えを感じることが多くなってきましたが、反面、日々、イエス様に支えられ、日々、霊的に新しく造り替えられ、生かされていることを実感しています。
  • かしこより来りて…今日の使徒信条の学びは、第2項イエス・キリストに関する項目の結び部分になります。イエス様が将来、私たちとどのように関わってくださるかを表している部分です。“かしこ”とは父なる神の右の座、すなわち天の御国であり、イエス様が大祭司としてとりなしておられる場、私たちの永遠の居場所を備えておられる場、聖霊を派遣されている場です。そこからイエス様が来られるということです。何のために来られるのでしょうか。
  • 審きたまわん…審くために来られるのです。いわゆる“最後の審判”です。最後の審判と聞くと、ある種の不安や恐怖を感じる方があるかも知れません。逆に自分には関係ないと思われる方もあるかも知れません。ミケランジェロはじめ、ハンス・メムリンク、フラ・アンジェリコなど、中世の多くの画家たちが最後の審判の絵を描いていますが、基本的な構図は中央にイエス様、向かって左側に救われる人々、右側には滅びゆく人々になっています。救いと滅び、いのちと死、祝福とのろいが私たちの前に置かれています。しかし主のお心は私たちに救い、いのち、祝福を選ぶことです(申命記30章19章)。その機会を主は与えてくださっておられるのです。は愛の方です。
  • 愛によって…イエス様が語られた審きの内容は、教会に所属していたとか、教理や信条、律法を学んだということではなく、小さい者にどのように関わったか、ということです(マタイ25章31節以下)。イエス様の愛を受け、受けた愛を互いに分かち合うことを主は喜んでくださいます。
  • 結び…最後の審判は私たちにとって恐怖や不安ではなく、希望と喜びの機会です。主から受けている愛を互いに分かち合う一週間となるよう祈ります。

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