Posted on 01/31/2021 at 20:21, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その8)』(イエス・キリストの生涯 その145)(2021.1.31)

天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまえり。(マルコ16章19節、使徒1章9節、エペソ1章20節、へブル1章3節、詩篇110篇1節他参照)

  • はじめに…一向に終息の気配の見えないコロナ禍の中で、一体、どれだけの人が翻弄され、疲れ果てていることでしょうか。様々な情報から想像するだけで途方に暮れてしまいます。何とかして今、助けを必要としているすべての人に、救いの手が届かないものでしょうか。まずは小さな事に忠実に、そして心を込めて目の前の課題に取り組んでいきたいと思います。
  • 天に昇り…先週、一粒の麦として死なれたイエス様が、初穂として復活された後、人類史上最初に発したことばは「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。マリヤ」と、マグダラのマリヤに優しく語りかけられたみことば (ヨハネ福音書20章15、16節)だったことを学びました。その復活のイエス様は40日後に昇天されました(使徒の働き1章3節)。この地上から去って天へ行ってしまわれたのです。“世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいる”(マタイ28章20節) と言った約束のみことばは反故になってしまったのでしょうか。
  • 父なる神の右に…イエス様はこのようにもおっしゃいました。「わたしは世を去って父のみもとに行きます(…)わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ福音書16章28、33節)。昨今も良く耳にする言葉で言えばイエス様の働きが“次のフェーズに移った”ということです。父なる神の右の座での働きは、①天上の大祭司としてのとりなし(ローマ8章34節)②王の王の支配として永遠の居場所の備え、携挙の準備(ヨハネ14章2節)③真理なる預言者としての聖霊の派遣(ヨハネ14章16、26節、同16章7節)によって、私たちを祝福と恵みで満たしてくださる働きです(エペソ1章3節、2章6、7節)
  • キリストのからだ…父なる神は、イエス様をご自身の右の座に引き上げられ、すべての名の上に高く置かれました(エペソ1章21節)。イエス様は教会のかしらであり、教会はそのからだです。からだなる教会は御霊によって神の家族として成長します。御霊の賜物(ギフト)を互いに用い、ともに祈り、ともにいたわり合います。「私には聖霊の賜物は何もない」と思う方もあるかも知れません。しかし主は“主の御名”というギフトをもれなく下さっています(ヨハネ16章24節)
  • 結び…十字架、復活、陰府降り、昇天。神様はすべてのことを働かせて益としてくださいます。何ものもイエス様の愛から、私たちを引き離すことはできません(ローマ8章28、39節)

《追記》

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※注意事項

①礼拝時はホストから参加者のマイクをミュート設定にします(ミュートにしないとハウリングして音声が聞き取りにくい場合があるためです。礼拝後はミュート設定を解除します)

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Posted on 01/24/2021 at 17:04, by matsumoto

異言とアルファ波について(証し)

最初はなんの話から始まったのかは忘れてしまったのですが、東京にいる友人から、あるアメリカ人のセミナーのDVDをみせてもらいました。それは簡単にいうと、その講師がいうところの「偉大な存在」(私はこれは神様だと解釈しました)とつながって人が本来もつ可能性に気づいたり生かしていけるためのセミナーでした。やり方は、瞑想のようなものでした。それによって脳波がアルファ波やデルタ波などに変化していき、潜在意識のレベルから変えていけるとのこと。理論とか考え方はとても共感したのですが、瞑想というか、じっくり静まる時間をもつことが子育てしていると、とくにホームスクーリングしているとなかなかできません。それでとても歯がゆい思いをしていました。そのセミナーの説明と、自分が静まる時間をとれない・何か方法はないかなどと考えていたときに、ふと、異言がそもそもこのセミナーが説明していることと同じ働きをするんじゃないかなと思ったのです。
それで、まずはインターネットで日本語と英語で検索していたら、見つけたサイトがいとすぎ教会のブログ(?)で書かれていた、異言により脳波がアルファ波になるという記事でした!

今回送っていただいた本を読んで、さらに理解が深まりました。一つとても助かったのは、これまで私は異言で祈ろうとするとなかなか続きませんでした。一つには、異言で祈ってても、子供との会話で中断してしまうのです(息子はお話好きです)。けれど、本を読んで、なぜ、異言がすぐに中断されていたのかが良く分かりました。β波とアルファ波の周波数の差はとても小さいので、人の脳波はすぐにβ波に移行してしまう、という説明で納得できました。これが理解できてからは、なんと途中で息子から話しかけられたりしても、他の用事が入っても、異言が中断されなくなりました!しかも、子育てにおいても、異言で祈れる時間が増えたことで、私の思いや考えが雑念から解放されて、イライラすることが激減しました。

Posted on 01/24/2021 at 16:30, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その7)』(イエス・キリストの生涯 その144)(2021.1.24)

三日目に死人の内よりよみがえり、(①コリント15章4、20節参照)

  • はじめに…引き続き私たちの友人家族を、主が愛をもって包み、新たな歩みを導いてくださっている出来事をともに体験させていただいています。それは人の知恵能力をはるかに超える活けるよみがえりのイエス様の恵みの出来事です。「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう」「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至る」(ローマ11章33、36節)、まさにそんなパウロの心境です。
  • 三日目の意味は“初穂”…「三日目に死人のうちよりよみがえり」と言うと、クリスチャンならイエス様が十字架にお掛かりになられ、死んで、墓に葬られ、三日目の日曜日の朝に復活された、そのように記憶していることと思います。パウロは三日目のよみがえりと“初穂”との関連を①コリント人への手紙15章20節で記しています。ユダヤの祭りに「初穂の祭り」があります。この祭りは、過越の祭りの後に来る最初の安息日の翌日に祝われました(レビ記23章10-11節)。つまり過越の祭りから初穂の祭りまでの期間は変動しますから、イエス様ははっきりとご自身の十字架と復活の時を知っておられ、同時にその意味を啓示されたのです。
  • 活けるよみがえりのイエス様…今、私たちは使徒信条を学んでいますが、その根拠は聖書です。そして私たちの信仰生活の規範は聖書です。しかし聖書の文字や知識によって私たちは生きるのではありません。聖書に証しされ、私たちの実生活のなかで働かれる、主の愛と恵みによって生かされるのです。内村鑑三は言いました。「世界の中心はユダヤであり、ユダヤの中心はエルサレムであって、その郊外に立てられし十字架が聖書の中心、また歴史の中心であると解して聖書も天然も完全に解釈が出来ると思う。更に進んで言わんと欲す。『聖書の中心は聖書を離れてあり』と。それは活けるキリストである」
  • よみがえりの主の最初のことば…復活のイエス様は、憐れみと愛に満ちたお方です。イエス様の亡き骸の消えた空の墓の外でマグダラのマリヤはたたずんで泣いていました(ヨハネ福音書20章11節)。そのマリヤにイエス様は「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」と優しく語りかけられたのです(同15節)。これは、よみがえられたイエス様が語られた人類史上最初のことばでした。そして「マリヤ」(同16節)と名前を呼んでくださったのです。一粒の麦として死なれたイエス様が初穂としてよみがえられ、いのちのパンとして私たちとの関係を回復し、私たちを養い、導いてくださっています。
  • 結び…私たちは、活けるよみがえりのイエス様に包まれて生かされています。

《追記》

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Posted on 01/17/2021 at 17:23, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その6)』(イエス・キリストの生涯 その143)(2021.1.17)

死にて葬られ、陰府(よみ)に降り、 (①ペテロ3章19節、黙示録1章17-18節他参照)

  • はじめに…私たちの親しい友人の一人で、今、大変な苦難の中にある方があります。その方の相談に眞津代牧師が乗る中で、その方が電話の向こうで「トンネルの闇の先に少し光が見える感じがします」と語っていました。
  • 阪神淡路大震災…阪神淡路大震災から今日1月17日で26年が経過しました。私は当時、兵庫県西宮市の叔父宅にいて被災。この体験が、その後の人生の方向転換の原動力になっています。“常識や固定観念に捕らわれず、与えられた恵みを分かち合う”こと、震災直後の叔父の姿を通して学んだことです。
  • 陰府に降り…さて使徒信条を継続して学んでいますが、本主日は“陰府に降り”です。陰府と地獄は別で、地獄はギリシア語でゲヘナ、陰府はハデス(ヘブル語ではシェオール)と訳されます。使徒信条は、イエス様が陰府に降ったと告白します。陰府とは、関係が断たれるところであり、神様に感謝も賛美も出来ないところです(詩篇88篇5節、6篇5節、イザヤ38章18節)
  • 陰府も主の御手のうち…しかし詩篇95篇4節「地の深み=陰府は主の御手のうちにあり(…)」とあり、天地創造の主は、陰府を司ることもできる神だと、詩篇は告げています。さらに詩篇139篇8節では、「主は陰府にもおられる」とあり、詩篇16篇10節では「まことに、あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず(…)」とあり、主は徹底して関係を持たれる方だということが語られます。
  • セカンドチャンス…「生前に福音を聞かず、信仰を持たずに死んだ者は救われず、天国に行けず、残念だが地獄に行かざるを得ない」という主張がありますが、他方、死後にも福音を聞く機会はあるとの主張もあり、私たちはセカンドチャンスを信じています。黙示録1章17-18節ではイエス様が「死とハデスのかぎを持っている」と使徒ヨハネに語られたことが記されています。そして①ペテロ3章19節には「その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところ(=陰府)に行って、みことばを語られた」とあります。他にも使徒の働き2章24節、27節で、イエス様が墓の中に横たわったままの方ではなく、陰府に降り、解放してくださる方であることが告げられています。神様、隣人、自分自身との関係が途絶えてしまったと思える陰府に、そして私たちの生きている場にもイエス様の恵みは届けられています。
  • 結び…今週も出会いを与えてくださる主に感謝し、恵みを分かち合い(パンを水の上に投げ)、主にある喜び、感動で一人ひとりの顔が輝くよう、祈ります。

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Posted on 01/10/2021 at 17:38, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『使徒信条(その5)』(イエス・キリストの生涯 その142)(2021.1.10)

死にて葬られ、陰府(よみ)に降り、 (ヨハネ19章38-42節、マタイ27章57-60節、マルコ15章43-46節、ルカ23章50-53節参照)

  • はじめに…私たちは、親しい人の死に際して、その人が生前に大切にしていた眼鏡だったり、帽子だったり、お気に入りの服などの遺品や、好きだったお花などを棺に納めます。しかしコロナ禍の今、そのような弔いが出来ない方々(あるいは受けられない方々)も多くいらっしゃると思います。しかし、そのような方々にイエス様は寄り添っておられると信じています。
  • 人として死なれたイエス様…昨年から使徒信条を学んでいますが、今年も継続して学びます。本主日は「死にて葬られ、陰府(よみ)に降り」です。なぜ人として自明のことである“死ぬ”ということを、ことさら信条として告白するのでしょうか? かつて愛娘ルツ子の死に際して内村鑑三が友人に宛てた手紙に「娘の死状誠に美しく、是れ死には無之、transition(移行)に有之候、(…)是れcreed(信条)には無之、fact(事実)に有之候」と書き記しています。このことから思うに、イエス様の死を目の当たりにした使徒たちにとって、イエス様の死は、信条として告白してもし尽されない、絶対的な事実だったでしょう。
  • アリマタヤのヨセフ…イエス様の死は、人生を刷新する出来事でした。人の目(ユダヤ人)を恐れてイエス様の弟子であることを隠していたサンヘドリンの議員だったアリマタヤのヨセフ。ピラトに十字架のイエス様のからだの取り降ろしを願い、自分の新しい墓に納めたのです。議員の立場やその保身のこだわりから解放されました。
  • ニコデモ…もう一人の議員、かつて夜、こっそりイエス様のところへ訪ねたニコデモ。人目を憚らず没薬とアロエを混ぜ合わせたものを用意し、イエスのからだを取って、亜麻布で巻きました。まさに“新しく生まれた人”となったのです(ヨハネ3章1-16節参照)
  • 神の子として生きる…イエス様の死は、私たちの人生を新しくします。私たちを神の子として生きる者とします。人生、やり直すことに遅すぎるということはありません。イエス様はおっしゃいました。「死んでも生きる」と。十字架でイエスは父なる神に願われました。「彼らを赦してください」と。私たちは罪多き者です。しかし罪赦されて生きる者です。赦されて生きる者は神の子です。その人生は、死に際しても、死んだ後もイエス様が共に居てくださいます。
  • 結び…罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです(ローマ6章23節)

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