Posted on 05/21/2019 at 08:30, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『絶望の中に寄り添われる主』(イエス・キリストの生涯 その64)(2019.5.20)

(…)話し合ったり、論じ合ったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。(…)(ルカによる福音書24章13-35節)

  • はじめに…私の友人は三度、癌がいやされ、証しをいとすぎ教会のブログに掲載しました。友人と私は、主の「いやす」との約束のことばを握りしめ信頼して時を過ごし、主が共にいて下さることを体験したのです。エマオという村に逃げ帰ろうとするクレオパもまた、主イエス様を体験し霊の目が開かれ主の証人になりました。
  • クレオパ…エルサレム教会の初代リーダー、ヤコブの後に立ったのがクレオパです。彼はイエス様の弟子としていつも遠巻きにイエス様の言動を注視していたのでしょう。その彼はどんな気持ちでエルサレムを離れ、故郷に向かっていたのでしょうか?
  • 霊の目がさえぎられて…クレオパたちは目前の事件に驚きと恐怖を抱いていたと思われます。二人で話をしている中にイエス様が話しかけてもイエス様には気付きませんでした。私たちは何事もない時には「主よ感謝します」と言いますが、いったん事が起こると目の前の事にとらわれてイエス様を忘れ、そして自分の考えに振り回されてしまいます。
  • 目が開かれる…話しかけられた方がイエス様だと気づかない二人。ところがイエス様がパンを裂かれる様子を見て二人の目が開かれた、とルカは証ししています。五千人の給食の事、また共に食事をした事、その過去のイエス様との体験を走馬灯のように思い出し、目の前の方がイエス様だと分かったのです。その復活のイエス様のことを他の人に話しても誰も信じませんでした(マルコ16章13節)。それでもクレオパは復活されたイエス様が絶望の中にいる時、歩み寄って下さったこと、語って下さったことを語り、力強く人々を導いていったのです。
  • 共に歩まれるイエス様…辛い時、私たちは本当に神様はいるのか、いるならなぜ助けてくれないのか、と言います。これからどのように生きていったら良いのか分からない、そんな絶望の中にある私たちのただ中にイエス様は寄り添って、共に歩んで下さっています。そして私たちの目を開いて下さいます。
  • 結び…どんな困難な道でも、困難だからこそ、イエス様は共に歩んで下さいます。
Posted on 05/12/2019 at 20:30, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『十字架の死と復活と昇天』(イエス・キリストの生涯 その63)(2019.5.12)

イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。(…)「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。(使徒の働き1章3、7、8節)

  • はじめに…先週8日、滋賀県大津市で自動車が保育園児の列に突っ込み、二人の幼い命が奪われるという痛ましい事故が起こりました。今年2019年1月から3月までで736人(約8人/日)の方が、全国の交通事故で尊い命を落としています。私たちの知らないところで事故や病気によって突然、大切な人との別れを体験される方が毎日いることに、やるせない思いになります。もちろん奇跡的に九死に一生を得て再起される方もあり、それは嬉しいことです。
  • 弱さの現場で待つ…イエス様は十字架の苦しみと死を体験され復活し、使徒たちにご自身の姿を現され、声を掛けられました。その事実によって使徒たちは気力を失うことなく人生をあきらめることはありませんでした。イエス様のことばに従って十字架の現場であるエルサレムに留まり、天の父の約束を待ちました。「弱さの中で待ってごらんなさい」イエス様はそう語りかけられました。
  • 聖霊による力…弟子たちは、復活のイエス様と出会い、神の国のことを聞いても依然としてこの世的、政治的、ユダヤ教的イスラエルの再興のことを考えていました。この世のことに関しては好奇心・関心があり、天のことに関しては無関心でした。聖霊が臨んで、はじめて力を受け、霊的に新生し、霊的な視野が啓かれ、確信と信頼をもってイエス様の証人としての歩みが始まったのです。
  • ガリラヤの人たち…天のことに関して無関心だった弟子たちは、昇天されるイエス様を見上げ、そのうちに見えなくなって茫然自失の状態でした。それは気の抜けたただの田舎者の姿でした。しかしこの経験が、空の器に聖霊が注がれる備えとなったのです。私たちも御霊によらなければただの田舎者です。しかし、その田舎者をイエス様は尊く用いてくださるお方です。たとえ欠けた器だったとしても。
  • 結び…御霊を注ぎ、キリストの証人として私たち一人ひとりを尊く用いてくださる主に栄光がありますように。
Posted on 05/05/2019 at 23:10, by matsumoto

令和に生きる者として

わたしがあなたに与える命は平/あなたを支配するものは恵みの業。(イザヤ書60章17節/新共同訳)

令和の時代が、創造主との平和、隣人との平和、自然との平和を造る時代となることを心より祈ります。

以下、学者(カオス学の先駆け)であり、信仰者(コスモスの希求者)であった富田和久氏の言葉

我らの平和(『富田和久著作集第四巻』p293-294より抜粋)

 (…)私どもがこういうことを申しますと、心無しの皮肉屋がおりまして、「過去の戦争中、兵役拒否もできなかった人間が、今、平和を主張して何になるか」――そういう声を浴びせる者があります。
 平和を求めるということに資格が必要であるのかどうか、私は知りません。すでに申しましたように、私自身は戦争の子でありまして、十五年戦争の戦禍を経験し、その中から、剣を逃れて残された者であります。それはそのおとりですが、他でもない、終戦時に経験した身の置き所のない思いと悔恨によりまして、まさしくそのことによって、神との間に真の平和を得たのであります。この体験を私から奪うものはありません。ですから恵みによって残された残る生涯をもって、私が諸君に伝えることのできるものは、この内面的経験を除いてはないのであります。私の生命は、戦時中に失われていても不思議ではなかったものでありまして、今後どうなってもよいと思う。しかし、神との間に平和を得た、この体験だけは、いかにしても諸君に伝えたいと願うのであります。
 同様のことは、問題を国家の段階に移して、私たちの祖国日本の立場に立っても言えるのではないではないだろうか。誰しも祖国の盛隆を祈らぬ者はありません。しかし世界の歴史をひもとくならば、無限に生き延びた国というものがありますか。国家の寿命は個人の生涯に比べれば、長いものではありますが、所詮限りがあるのではないか。歴史の舞台から去っていくものではないか。もしそういうことであるならば、国の利益であるとか、国の防衛であるとか、そういうことを至上のことと考えて、国際社会の孤児となるのではなく、歴史上初めて核爆弾を経験した民族として、国の命運をかけて非武装と平和の原理を世界に宣べ伝えることこそ、日本でなくては果しえない民族的使命ではないか。これが今日も変わらず生きているところの矢内原忠雄の精神であります。聖書に照らされ、神の前に立つことを知った民族の使命であると思うのであります。
 本日、ここにお集まりの皆さんも、諸君自らの生涯と、日本国の存在を賭けて、あるいはこれを投じて、今日の状況のものとにおいて、いかなる使命を果たすべきか、静かに考えていただきたいと思うのであります。私の話はこれで終わります。(矢内原忠雄20周年記念講演 一九八一年 京都会館。『おとずれ』70号 一九八二年一月)

Posted on 04/29/2019 at 20:58, by matsumoto

『主は私の癌を三度、いやされた』 江田光江

2014年1月1日、主はご自分の栄光と愛を現すために、スタートボタンを押されました。

数週間前から軽く風邪気味だったとはいえ、1月1日の夜、突然40度前後の熱が出、数日続きました。食事も摂れなくなり、解熱剤も効かず、昼も夜も「熱い熱い」と大量の寝汗をかきながら床に伏していました。

お正月休みが終わり、数か所の病院で診てもらいましたが原因がはっきりしないため、総合病院に入院することになりました。毎日検査を受けましたが、身体中どこにも異常は無く診断がつきません。今まで一度も大きな病気も入院もしたことがなかったので、とても不安でした。早く診断がついて、治療を終えて退院できるよう祈っていました。その間も熱は40度前後あり、熱にうなされ気付くと廊下に居たこともありました。あまりに熱い熱いと言うので、隣のベッドの人から「うるさい!!」と言われたほどです。

ドクターに「どこか身体に気になる所はありませんか?」と尋ねられましたが、特にありません。「強いて言えば、左脇と腕に1cm位のプツプツがありますが…。それも消えかかっています」と答えました。ドクターは「もっとはっきりしたものはありませんか?」と聞かれましたがありません。とりあえず皮膚の数か所を切り取ったものと、念のため脇のプツプツも検査に出されました。何とそこから悪性リンパ腫の細胞が見つかったのです。主はドクターに働きかけ、リンパ腫が見つかるように導いて下さいました。悪性リンパ腫という病名に驚きと不安な思いにかられましたが、一方では、診断がついたことに安心し、主に感謝しました。

1月末、抗がん剤を投与すると、やっと熱が下がりました。

後で知ったことですが、家族はドクターから「悪性リンパ腫と分かった以上、進行が早いこともあるので急変を覚悟して下さい」と言われていたそうです。

しかし私は熱のせいで疲れていたのか、ドクターの説明もあまり覚えていませんでした。

崖っぷちに一人取り残されたような恐怖や心細さと共に、足もとが崩れるような思いがしました。これまで家族のためにと必死でやってきたことも、信仰生活も、いつの間にか主の導きを待てなくなっていて、自分の力や自己判断を優先させてきたことに主は気付かせて下さいましたが、それをどうしていいか分かりませんでした。

入院中は賛美やメッセージのCDを聞くよう導かれました。そして癒しという言葉が耳に残り、聖書を読んで改めて主の癒しの記事が多いことに希望が与えられました。所属教会の兄弟の肉離れが特別集会の祈りによってその場で癒された証しを聞き、また聖書の箇所も示され(詩篇91篇、詩篇94篇4節、詩篇118篇13-21節、イザヤ57章18-19節、ゼパニヤ3章14-17節、)、さらに祈りに力が与えられました。主の備えの時であったと思います。

そんなある日、治療で身体が辛くなった時、目を閉じていると、白と黒の模様が見えてきました。よく見ると白は鳥の羽、黒は右側の翼の骨だとわかりました。主は御言葉にあるように御翼の陰にかくまって下さるのです(マタイ23章37節、詩篇63篇7節)。

抗がん剤治療はスタートしたものの、採取した皮膚が小さくて悪性リンパ腫の型が分からないため、ぴったり合った抗がん剤が分からずドクターを悩ませていたようです。また私の病気は抗がん剤だけでは根治せず、再発しやすく、再発すれば1年~2年の命だと言われました。思っていた以上に深刻な病状と、命の期限があまりにも短いことにショックで居ても立ってもいられず、M牧師に電話し祈っていただきました。M牧師はイザヤ57章18節~19節を示して下さり、奇跡を行われる主を信じ見上げるようにと言われました。

最初は霧の上に立つかのような、心もとない思いもありましたが、病気を癒すのは人間ではなく主だという思いが与えられ、さらに癒しを求めて祈りました。

そんな中、M牧師から、癒しの賜物のある知り合いの牧師を連れてきて下さるとの連絡があり、主が癒して下さるのだと楽しみに待っていました。M牧師方が来られる前日、所属教会の牧師が来て祈って下さいましたが、「癒して下さって感謝します」と祈られました。明日癒されると思っていたので戸惑いましたが、そうか、癒しは今日から始まっているのだと気付かされ、主に感謝しました。翌日、M牧師とT牧師が来られ、T牧師が霊の目を通して見ると、「黒い所、悪い所はどこにもありません」と言われ、特に何もせず帰って行かれました。癒されたことを信じ、喜びの興奮をおさえながらドクターに退院の時に行うCT検査をしてほしいと申し出ました。はじめは断られましたが、しぶしぶ血液検査、CT検査を行って下さいました。結果は両方とも悪い所は見られないということでした。主の癒しは証明されたのです。

家族とドクターに退院を申し出ましたが、主人や長男、ドクターからは最後まで治療してほしいと説得されました。M牧師に相談すると、「癒されているのは間違いなくても、ご主人が納得するためにもう一回治療を受けたら」と薦められたので、主人に「あなたのために、この辛い抗がん剤投与を受けるからね」と、少々恩着せがましく言って残りの治療を受けることにしました。治療を受ける前にM牧師のアドバイスに従い、「必要な薬は身体に残して下さい、必要のないものは全て体の外に出ていくようにして下さい」と祈って治療に臨みました。抗がん剤を投与されている間、3時間くらいは、抗がん剤が漏れる等のトラブル回避のためベッドから動けません。私はもともと膀胱が大きいようで昼間トイレに行かなくても平気ですし、それまでの抗がん剤投与中も終わってからもトイレに急ぐことはありませんでした。それが今回は、事前にトイレに行っていたにもかかわらずトイレを我慢できなくなり、行かせてもらいました。尿がたくさん出てベッドに戻りましたが、数十分でまた我慢できないほどの尿意です。3時間の間に3回同じように我慢できなくなりそのたび大量の尿が出ました。主は祈りに応えて下さり、必要のないものを体外に出して下さったと感謝しました。また夫にも主は働いて下さいました。私が、癒されたから退院したいとあまりに言うので、夜寝る前に「妻が癒されているなら私にも分かるようにして下さい」と祈って寝たそうです。夜中2時頃目が覚めましたが何も変わったことはありません。また眠り、朝4時頃目を覚ますと、それまで自由に動かすことができなかった左手の指が思い通りに曲がるようになっていたそうです。夫は長期透析のために左手が腫れて指はバネ指となり、車のハンドルを握ったり、細かいものをつまむ時に激痛がはしり、いつも痛がっていました。それが痛みはなく曲がるようになったのです。夫は大喜びで病院に来て、私の癒しも信じると言ってくれました。主はすばらしいお方です。その後も夫は、左手が痛くなった時、右手を重ねて「主よ」と祈るそうです。すると主は即座に曲がるようにして下さいました。それはしばらく続きました。ハレルヤ!

退院を渋っていた夫でしたが、このような体験によって、ドクターに退院を申し入れてくれ、治療の途中ではありましたが退院しました。

退院後、T牧師から『あなたが私を求めていることを私は喜ぶ。あなたが笑っていることを喜ぶ。あなたは息子のことで心を痛めている。あなたは夫のことで心を痛めている。あなたは娘のことで心を痛めている。しかし、あなたは笑なさい。あなたが笑っている時に、私の力はあなたを通して働いている。あなたは病気の間泣いていた。笑う日が来ることを思い描いたことがあろうか。あなたは再び泣く日が来る。しかし今度は泣きながらも笑う日が来ることを思いなさい。サラが絶望を経て、イサクを手にして笑ったように、あなたも笑う人となりなさい』との手紙をいただきました。これは主が語られた言葉でした。私は癒されたのだから再発はしないと、主が語られた言葉の前半だけ信じ、後半は気にしないようにして、自分に都合のいい所だけ受け入れようとしていました。しかし、体調が整ってくると、以前のような自力の信仰生活には戻りたくないとの願いが与えられ、信仰や聖霊様について学び直したくなり、M牧師に相談しました。退院して3カ月後から、聖書と李天秀牧師の著書をテキストに学ぶ時間が与えられました。しばらくは、それまでの信仰から簡単には変われず、自分の願望中心の祈りが多かったように思います。しかし主は、ゆっくり時間をかけてM牧師を通して教えて下さいました。この世の価値観や人の言葉に振り回されていたこと、赦されているはずの罪を思い出しては悔い改めの祈りを繰り返していたこと等、何が滅び、何が残るのかを教えて頂きました。いつも主に思いを向けて生きていくこと、また、主が与えて下さったもう一人の助け主、聖霊様の導きに従って、信仰も人生も肩の力を抜いていいのだと教えられました。主が備えて下さった貴重な学びの時でした。

ところが2018年1月、関節や皮膚に赤黒いしこりが出始め、左脇のリンパ節も大きく腫れてきました。検査の結果、再発、さらに4年前に分からなかった型が分かり、病名は“成人T細胞白血病リンパ腫”。やはり根治は難しい病気ということで骨髄移植を勧められ、すぐ専門病院に転院しました。幸い娘がドナーになってくれました。移植を決心する前、主に祈りました。4年前「再び泣く日が来る」との主の言葉は、今回のことを指しているのだろうか、こんな状況の中で笑う日が来るなどとても思えない。新たに背中を押してくれる主の御言葉が欲しい…と。間もなくM牧師から異言の解き明かしが与えられたと電話がありました

『愛する娘(M牧師)よ。これから3カ月の間、友(私)のことで苦しむであろう。しかし安心しなさい。あなたの信仰のゆえにあなたを憐み、あなたの友を癒そう。癒しの実がたわわに実る。』主が癒しを約束して下さいました。感謝と平安のうちに8月30日、骨髄移植を受けました。

またM牧師は「これは主が始められたことだから、人間の思いで先走らず、一歩引いて主が何をなさるか見せていただくつもりよ」と言われました。私も同じ思いが与えられました。しかし骨髄移植を受けた後に出てきた拒絶反応による、高熱、倦怠感、下痢、喉の奥までの口内炎による出血等、そのどれもが辛く、祈るほどの集中力もなくなり、ただ一日一日が過ぎるのを待つような状態でした。特に下痢は何日も続き、一日に30回以上トイレに行っていたので夜も眠れませんでした。いつまでこんな状態が続くのだろうと、「主よいつまでですか、こんな状態は辛くて耐えられません」と主に訴えました。そんな中、夜中に夢を見ました。場面はTVの医療ドラマでした。――若い男性患者をストレッチャーに乗せ、ドクターヘリで別の医療施設に運ぼうとしているが、もう何回目かの処置になっている。そこで患者の友人たちが引き止めて、「こんなに苦しんでいるのだからもうやめてくれ」と言う。看護師は「今、彼にとってこの先一番大切な治療をしているとこなの。これ以上言わなくても分かるでしょ。」と言って去って行った。――そこで目が覚めました。先のことを見据えた治療…。主が教えて下さったと分かり感謝しました。その夢を見たのは9月5日。移植後5日で主に文句を言ったのです。自分の力ではとても乗り越えられないと痛感しました。そして改めて主の支えを求め、祈りました。

下痢はその後何週も続き、他の症状も出るたびに、主は先のことを見据えて治療しておられる、と何度もこの夢のことを思い出しました。また辛くて目を閉じていると、4年前に出てきた鳥の翼の内側が見えてきて、主は私を覚え、かくまって下さっていることを教えて下さいました(マタイ23章37節、詩篇63篇7節)。聖書に書いてある通り、人間を造られた主が、私の身体のことを一番良くご存知です。主は癒すと言われました。それでも、辛かったり、だるかったり、ドクターの説明に一喜一憂したりしました。しかし不安になるたびに何度も、主が約束の御言葉を示して下さったので、冷静になることができました。それはまるで一本の釘にぶらさがっているような感じもしました。

9月23日、M牧師に異言の解き明かしを通して主の言葉が与えられました。『愛する娘(M牧師)よ。聞きなさい。あなたの信仰のゆえに勝ったのだ。苦しみからは解放された』。

ついに終わりました。身体はまだ辛かったし、口内炎もあり、水分も飲み込みにくかったのですが、主が「苦しみは終わった」と言われたのだから、これから新しい苦しみが起こることはないのだと、まだ身体に残っている症状より、主の言葉を優先させる思いに導かれました。その後も無菌状態の膀胱炎が数週間続き、日に30回以上トイレを往復する間も「主は身体の中の余分なものや悪いものを流して下さっているのだ」と思わされ、ずっと平安が与えられました。

そして10月31日、体が安定してきたので退院となりました。病院へは定期的に通院して身体を診ていただくことになりました。

2019年2月1日、いつものように病院で検査を受けたところ、CT検査で心臓に気になる部分があるので、ペット検査に行くように言われました。骨髄移植を受けた人は、他のガンにかかる確率が高くなると聞いていたので、「もう何かのガンが出てきたのか」と、とても不安になりました。ペット検査を受け、2月13日その結果を病院に聞きに行くと、CT検査にもペット検査にも同じ所に異変が見られるとのことでした。それは心臓の表皮が膨らんでいて、心臓の真ん中あたりと反対側にありました。「移植前の病気か、新たなガンか、そうでないか、検査してみなければ分からない。しかし場所が危険なため手術できないので確認できない。今後の変化を見ていくしかなく、他の病院もドクターも手をつけられない」と言われました。余命を聞いてもはっきりした返事はありませんでした。「移植してもだめだったのか…」という絶望感と、「主は癒して下さったはずなのにおかしい…」という思いの中で気持ちは揺れました。そして聖霊様に私の迷いを取り除いて下さいと祈りました。別の病院に行って診てもらうよう勧めて下さる方もいて、その方のお話を聞いているうちに、なぜか不安は消え、“主は私を癒された”という感謝の思いと平安が強くなっていきました。

2月22日、心臓の変化を見るために病院でCT検査を受けました。なんと心臓にあったふくらみがなくなっていて、その部分が平らになっていました。ドクターは「これはどういうことか分からない。本来なら大きくなったり数が増えたり身体の表面に出たりするはずだが、なぜ消えたか分かりません」と言われました。ハレルヤ! 主の御業! 一方的な主の御業と愛!

次の検査、3月15日にもドクターは同じことを言われました。「心臓には何も異変はありません」

ハレルヤ! 今回の体験を通して、主はご自身の約束を誠実に実行して下さる方、人に対して無理強いせず、寄り添い、待って下さる方、支え、忍耐強く導いて下さる方だということを、改めて教えられました。

主は私たちを愛し、喜んで下さる、生きておられる神です。

ゼパニヤ3章17節「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」

(追記)今、この瞬間、病や災難、人間関係や孤独の中で、辛い思い、苦しみを覚えている方がいらっしゃると思います。そんなお一人おひとりの重荷が、私の証しを通して少しでも軽くなればと願っています。主の癒しと慰めがありますように。

Posted on 04/21/2019 at 20:43, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『復活―救いの真実』(イエス・キリストの生涯 その62)(2019.4.21)

それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネ福音書20章27節)

  • はじめに…先週、日帰りで埼玉県の大宮市に行きました。というのは「もう車に乗らないから、誰か要らないかしら」と言う方があり、その方(Mさん)の車を譲り受けるためでした。年式、走行距離、色は違うけれどもまったく今、私たちが乗っているのとまったく同じ形の車でした。不思議なことです。
  • 信仰の証し…Mさんのご自宅へ伺い、車の譲渡に必要な書類の確認後、昼食をしながら、Mさんとその方のお父さんの信仰の証しを聞き、深く感銘を受け、恵みに満たされて帰途に就きました。Mさんのお父さんの遺した『主のために』と題された日記は605冊。天に召されるほぼ一週間前まで記されていました。Mさんはその日記を前にしながらお父さんの一つのエピソードを教えてくれました。戦争で米軍の捕虜になり、尋問を受けた際、聖書を持っていたことから「おまえはクリスチャンか?」と米兵から尋ねられ「そうだ」と答え、死刑を免れたと言うことでした。そんな体験があった故でしょう。天に召される直前に発したことばは「ギデオンの聖書100冊、注文してくれ」だったそうです。一冊の聖書の持つ救いの力を、身を以って体験し、確信し、信頼して生涯証しし続けたその父の生き様を通して、Mさんは「今、ようやく神様のことが分かるようになったばかりの幼稚園生です」と心境を話してくれました。
  • 信仰告白…さて、今日のテキストは、私がキリスト者になるきっかけになった聖句です。このときは、人生のどん底でした。ちょうどバブル経済が崩壊し始めのときでした。曲がりなりにも小さな工場を経営していたのですが、借金がかさみ、自転車操業でした。そんな中、聖書のことばの一節一節だけが日々の生活の支えでした。とはいうものの、最後の一線をどうしても越えることが出来ずにいたのです。言わずもがな、キリストの“復活”です。自分の納得がいく範囲内の科学的、合理的思考の枠を越えられずにいたのです。しかし、自分ではどうにもならなくなった状況の中、意識の転換(回心)が起こったのです。こちら側からアプローチしてみことば(復活)を理解し解釈するということから、向こう側から人格を伴ったみことば(復活の主)がやって来たのです。そして文字ではなく声として「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい」と語りかけられたのです。
  • 結び…使徒、パウロをはじめ、復活の主に触れた人々が臆せず大胆に復活のイエス様を証し続けたが故に、今、私たちが、どんなに逆境の中にあったとしても、主にあって生き続けることができることは掛け替えのない救いの真実です。
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