Posted on 12/16/2018 at 15:07, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主の約束のリレー』(第3アドベント)(2018.12.16)

預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう」(マルコによる福音書1章2節)

  • はじめに…2018年のアドベントの第3週を迎えました。メシア・イエス様のご誕生を感謝と喜びをもって祝いつつ、アドベント・キャンドルに1本ずつ火を灯していきます。そして再び来られるその時を待ち望みます。今日の3本目のキャンドルは「バプテスマのヨハネのキャンドル」です。
  • 父なる神のご計画…マルコは「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」(マルコ1章1節)としてバプテスマのヨハネ(以後ヨハネと記す)を紹介しています。それはイエス様の公生涯はヨハネの登場から始まっていることを示唆しています。マルコ1章2節では「父なる神はイエスに使い(ヨハネ)を遣わし、イエスの道を整えさせる」、同3節では「荒野にて彼(ヨハネ)に呼ばわり、イエスの道を用意せよ」と命じられました。主は預言者を通してメシアの到来と、その前に主が使いを遣わすことを約束されました。そしてヨハネの登場により、この約束が実現したのです。マルコが引用したイザヤ書のことばは出エジプト記23章20節、イザヤ書40章3節、マラキ書3章1-3節をまとめたものです。
  • 荒野にて、主の約束…エジプトから救い出されたにも関わらず、民のつぶやきは噴出します。そのような民に主は、モーセを通して使い(イエス様)を送り、「あなたを守り、導く」(出エジプト23章20節)と約束されます。また主は、主への背信によってバビロンに捕囚となることを告げますが、イザヤを通して慰めと解放を約束されます(イザヤ書40章3節)。捕囚から解放後、ギリシヤの支配下で苦しみ、神に背く民、そして祭司までが堕落しました。主はその罪を指摘されます。しかしマラキを通してメシアを送ることを約束されました(マラキ書3章1-3節)。民は主に背を向けてばかりです。それでも主はその背中から「あなたを守り、導く、メシアを送る」と語り続けられました。そしてその約束はヨハネの登場、イエス様へのバトンタッチによって実現しました。
  • 結び…私たちの人生において荒野を通ります。主はどんな時も、その荒野を共に歩いて下さいます。ヨハネからイエス様へ、そしてイエス様の約束は私たちに。感謝。
Posted on 12/13/2018 at 20:45, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『力ある神のささやき』(第2アドベント)(2018.12.9)

地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」(Ⅰ列王記19章12-13節)

  • はじめに…2018年のアドベントの第2週を迎えました。メシア・イエス様のご誕生を感謝と喜びをもって祝いつつ、アドベント・キャンドルに1本ずつ火を灯していきます。そして再び来られるその時を待ち望みます。今日の2本目のキャンドルは「預言者のキャンドル」です。また今日は“ユダヤ人のクリスマス”とも呼ばれているハヌカー7日目になります(最終は8日目)。
  • 預言者エリヤ…メシア来臨の預言を告げる預言者としてはイザヤ、エレミヤの他、ミカを取り上げることが多いのですが、今日はそれらの預言者の活躍した時期をさらに遡って、紀元前9世紀に北イスラエルに現われた預言者エリヤです。「カルメル山での戦い」が最も有名です。アハブ王の治世、フェニキアの偶像バアルを崇拝する450人の預言者との対決です。主なる神対バアル、二者択一の戦いです。エリヤは主なる神への信仰を回復するために、生命を賭して戦ったのです。
  • 挫折のなかで…バアルの預言者との戦いには勝利したものの、アハブ王の妻、王妃イゼベルの憎しみを買い、命を付け狙われ、その場から逃れます。この大きな挫折のなかで、自らの死をも願いましたが、ひとりの御使いによって力を得、モーセが主と遭い、十戒を授けられたホレブの山へひとり退き、祈りました。追い詰められた思いを主に向けて訴えました。きっと偉大なモーセの出来事と同じように雷が鳴り響き、山が震え、火の中に主が現れることを期待したことでしょう(出エジプト19章16-19節)。実際、同じように地震が起こり、燃え立つ火が現われましたが、そこに主はおられませんでした。
  • 主のささやき…主はエリヤの期待していたように劇的に現われることはありませんでした。むしろエリヤの期待を裏切るように主は、かすかな細い声、ささやきをもって語られました。その主のささやきが、恐怖で嵐のように騒ぎ、同時に怒りで打ち震えるエリヤの心と体を静め、これからの歴史の成り行きと、使命を示されたのです。アドベント。それは信仰のアドベンチャー(冒険)。
  • 結び…今週一週間、静かにイエス様の降誕の出来事を想い起しながら過ごすアドベントの時となるよう祈ります。
Posted on 12/02/2018 at 20:50, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『すべての人を祝福する―真実と確信』(第1アドベント)(2018.12.2)

 

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」(創世記22章12節)

  • はじめに…2018年のアドベントを迎えました。メシア・イエス様のご誕生を感謝と喜びをもって祝いつつ、アドベント・キャンドル(4本)に1本ずつ火を灯していきます。そして再び来られるその時を待ち望みます。今日のキャンドルは「アブラハムのキャンドル」です。
  • アブラハム…創世記12~25章にアブラハムの生涯が記されています。彼の父はテラ、ノアの息子セムの子孫です。偶像の町ウルに住んでいた時、「そこを出て、カナンに行きなさい」という主のことばを聞きます。それ以後、アブラハムは自分の弱さを露呈しながらも、主のことばに従いました。主はそのような彼を「よし(=義)」とされました(創世記15章6節)
  • アブラハムに語られる主…「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」(創世記12章1-3節)、「子孫を与える」(同15章1-5節)、「土地を与える」(同7節)、「永遠の契約をする」(同16章1-8節)と主は語られました。「あなたから王が出る」(創世記17章6節)という約束は、マタイ福音書1章1-7節によって実現したことが証明されました。イエス様もアブラハムの子孫として列挙され「ユダヤ人の王」として十字架に架けられました。
  • 主のことばを体験する…主が語られたことばが実現する、という体験をしたアブラハム。彼は主への畏れと信頼を重ねていきます。そのような中で突然「イサクをささげなさい」という主のことば(創世記22章1-2節)。アブラハムの苦悩と漆黒の闇の中、彼は、約束どおり“子を与えて下さった”真実な主を仰ぎ見ます。彼の心に迫ったのは「主に不可能なことがあろうか」(同18章14節)ということばだったのではないでしょうか。事実、主はイサクの代わりに雄羊を備えておられました。これはイエス様の十字架の“型”です。父なる神は、アブラハムの生き様を通して「すべての人を祝福する」ということばが真実であることを示されました。そしてイエス様の降誕、十字架、復活によって確信を与えて下さいました。
  • 結び…祝福する、と語られる主のことばは、メシア・イエス様の降誕によって実現しました。今も私たちに語りかけて下さる主のおことばを聞きながら過ごすアドベントの時となりますように。
Posted on 11/25/2018 at 18:38, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『手を伸ばしなさい』(イエス・キリストの生涯 その45)(2018.11.25)

 

(…)イエスはその人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。彼が手を伸ばすと、手は直って、もう一方の手と同じようになった。パリサイ人は出て行って、どのようにしてイエスを滅ぼそうかと相談した。(マタイによる福音書12章13-14節)

  • はじめに…日本における障がい者福祉の基本に「障がい者基本法」があります。その目的には「すべての国民が、障がいの有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現するための施策の基本原則と施策事項を定め推進する」と記されてあります。その基本的理念としてノーマライゼーション(地域で普通に暮らす)とかソーシャル・インクルージョン(地域に包み込まれて暮らす)という考え方があります。
  • 穴に落ちた羊…今日の聖書のテキストも、引き続き安息日におけるパリサイ人とイエス様の論争に関することです。イエス様が会堂に入られると、片手のなえた人がいました。一見すると、健常者も障がいのある人も一緒にいる寛容で温かな空間のようにも受け取れますが、実際はどうだったのでしょうか? パリサイ人たちがイエス様にすぐさま質問をしているところからすると、無理矢理会堂の中に連れ込まれていたのかも知れません。片手のなえた人にとっては穴に落ちた羊の状態だったのではないでしょうか(詩篇88篇6節参照)「安息日にいやすことは正しい(許される)ことですか」(マタイ12章10節)
  • 引き上げられる主…当時、生命の危機に直面していない場合、安息日にいやすことは禁じられていました。つまり、片手のなえた状態は、日常的な状態だったので、生命に関わることではない、そうパリサイ人たちは解釈しており、イエス様が律法違反をしていやしを行うか、策略を立てて質問をしています。イエス様は、その問いに対して問い返されます。「羊が安息日に穴に落ちたら、引き上げてやりませんか。人間は羊より、はるかに値うちがある」(同11節)。そしてイエス様は、片手のなえた人に「手を伸ばしなさい」(同13節)とみことばを語られました。
  • 突き落とすパリサイ人…パリサイ人たちは、いやしを行われたイエス様の前に跪くことなく、喜ぶことなく、会堂の外に出て、「どうやって滅ぼそうか(深い淵突き落とそうか)」(同14節)と相談をはじめたのでした。イエス様は、この片手のなえた人のいやしによって十字架の道が決定的になったのです。そしてもっとも深い黄泉にまで降られ救いの道を拓かれたのです。
  • 結び…すでに主の御手に包まれているのです。ジーザス・インクルージョン、イエス様に包まれて過ごす一週間でありますように。
Posted on 11/18/2018 at 20:49, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『解放と喜びの日』(イエス・キリストの生涯 その44)(2018.11.18)

 

そのころ、イエスは、安息日に麦畑を通られた。弟子たちはひもじくなったので、穂を摘んで食べ始めた。すると、パリサイ人たちがそれを見つけて、イエスに言った。「ご覧なさい。あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています。」(…)しかし、イエスは言われた。「人の子は安息日の主です。」(マタイによる福音書12章1-8節)

  • はじめに…弟子たちが麦の穂を摘んで食べているところを目撃したパリサイ人たちは、イエス様に抗議します。「隣人の畑のぶどうや麦の穂は、思う存分食べて良い」(申命記23章24-25節)という規定あります。しかし問題は、“安息日にしてはならないことをした”ということです。空腹を満たす、それはいのちに関わることです。いのちよりも安息日の規定を守ろうとしたパリサイ人たち。彼らにとって安息日とは、どういうものなのでしょうか。
  • 2つの安息日…創世記2章1-3節、主は創造の業を終えられ、休息されました。七日目、この日は主の安息です。出エジプト記16章30節、主はイスラエルの民をエジプトから救い出し解放して下さいました。これにより民は休息を得ました。民の安息です。出エジプト記20章8-11節、主は安息日を祝福され、聖なるものと宣言されました。出エジプト以降、イスラエルの民にとって安息日とはエジプトからの解放を覚え(記念し)、主に向かう大切な日となりました。縛りからの解放を覚える日、民はいつしか人々を縛るようになっていました。イエス様は「まず神の国とその義とを求めなさい」(マタイ6章33節参照)と言われます。
  • 永遠の安息の約束…出エジプト記31章16節「代々にわたり、この安息を守らなければならない」、またレビ記3章17節「代々守るべき永遠のおきてであると主は人々に語られました。果たして人間に守ることができるでしょうか? これはイエス様の十字架の影として語られたものです。ヘブル9章8-12節、イエス・キリストがただ一度ご自分をささげ(いけにえとしての十字架)られ、永遠の贖いをされました。そしてやがて来る千年王国で永遠の安息が成し遂げられると聖書は語っています。
  • 結び…解放(自由)と喜びと休息の一週間となりますように。

 

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