Posted on 03/19/2017 at 21:27, by matsumoto

集会と活動のご案内

集会と活動のご案内

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイによる福音書11章28節)

どうぞ、お気軽に日曜日の礼拝にいらして下さい。お待ちしています。

《集会のご案内》

◇主日礼拝/日曜日 午前10時半~12時(Zoomで参加の方は ミーティングID:619 286 4474 パスワード:3D3M69 ※10時20分から10時30分の間にアクセスしてください)

◇早天祈祷会/毎日 午前5時半~6時半

◇火曜聖書学び会/毎週火曜日 午後2時~3時半(変更する場合がありますので、電話、メールでご確認ください)

《教会活動のご案内》

◇キリスト教式結婚式・葬儀・記念会(自由献金)

◇訪問聖餐式・訪問礼拝(無料)

◇人生(霊性)相談/随時(電話および面談)(無料)

◇いとすぎ霊性セミナーの開催(年2回/5月・10月予定 現在休止中)

◇NPOアジアン・ブリッジ(アジアの子ども達への支援)

◇マザーテレサ写真展企画

お問い合わせは、

au 090-9935-7053・固定 0568-89-2778

まで。

上記活動はすべて皆様の尊い献金によってなされています。感謝します。

なお、献金の送付先は以下の通りですので、よろしくお願いします。

ゆうちょ銀行
 
記号12110 番号346951
 
なまえ マツモト マツヨ
 
(他銀行からの振込みの場合
【店名】二一八【店番】218【預金種目】普通預金【口座番号】0034695)
Posted on 11/28/2021 at 18:55, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『死を滅ぼし、涙をぬぐわれる方』(イエス・キリストの生涯 その187)(2021.11.28)

永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。(イザヤ書25章8節)

 最後の敵である死も滅ぼされます。(コリント人への手紙第一15章26節)

  • はじめに…本主日からアドベント(待降節)です。例年と同様、アドベント・クランツのキャンドルに火を灯していきますが、アドベント第一主日は「アブラハムのキャンドル」です。「わたしが示す地へ行きなさい。あなたを大いなる国民とする。すべての民族はあなたによって祝福される」(創世記12章1-3節)との主の約束を信じて信仰の歩みを始めた“信仰の父”アブラハム。主の約束を信じて歩んだ、その主の約束の成就としてのイエス様の誕生へと引き継がれてきたことを想起するキャンドルです。
  • アブラハム75歳…アブラハムが約束の地へ向かって歩み出したのは彼が75歳の時でした。今の日本における介護保険制度では“後期高齢者”です。社会の第一線から退いて、社会的なサービスを受け年金生活を始める年齢です。そのアブラハムを主は召し出されたのです。アブラハムはその主の召しに応じ、ただ信じて歩み出したのです。気力、体力が衰え、今まで出来ていたことが出来なくなってくる年齢だからこそ、逆に信仰が深まり、主への信頼が増していくと言えるでしょう。
  • アブラハム99歳…主に不可能なことはありません。99歳(白寿)になったアブラハムに主が現れ、「カナンの地を与える(…)ひとりの男の子を与える」(創世記17章8、16節)と語られました。さすがのアブラハムも、そして妻サラもこの時ばかりは笑いました。しかし主は「主に不可能なことがあろうか」(創世記18章14節)と、約束は必ず成し遂げられることを伝えました。事実、アブラハム百歳の時、イサクが誕生したのです。
  • アブラハム175歳…その後、イシュマエルの追放、イサクの奉献、イサクの結婚、妻サラの死etcの出来事を経て、いよいよその生涯に幕を閉じる時が来ます。アブラハム175歳。死に際してアブラハムは「自分の全財産(属するすべて)をイサクに与えた」(創世記25章5節)のです。そしてアブラハムの死はイサクとイシュマエルを引き合わせています(同9節)。アブラハムの生涯はまさに、十字架の死によって私たちに永遠のいのちを与え、神と人、人と人、人と被造物の和解の道を拓いて下さったイエス様の型と言えるでしょう。
  • 結び…アブラハムがその生涯を通して信頼した主、その主が具体的に体を伴って世界の歴史のただ中に、お生まれになったことに想いを馳せながら待降節を過ごせる幸いを感謝します。主は死を滅ぼし、涙をぬぐわれる方です。
Posted on 11/21/2021 at 18:30, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『ダビデのかぎを持つ方』(イエス・キリストの生涯 その186)(2021.11.21)

わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。(イザヤ書22章22節) また、フィラデルフィヤにある教会の御使いに書き送れ。『聖なる方、真実な方、ダビデのかぎを持っている方、彼が開くとだれも閉じる者がなく、彼が閉じるとだれも開く者がない、その方がこう言われる。(ヨハネ黙示録3章7節)

  • はじめに…サイクルポートを手作りしてほぼイメージ通りに出来上がりました。木材を購入し、ペンキを塗って、寸法通りにのこぎりで切り、ビスや釘をドライバーやハンマーで打ち付けて組み立てていきます。時々、ビスが空回りしたり、釘が曲がったりして木材をしっかり固定できないということもあります。そんな時は、ビスをねじ込む場所を変え、曲がった釘を新しい釘に替え、しっかり固定し直します。あとは若干の装飾と補強をして終了です。
  • 執事(書記)シェブナ…イザヤ22章には王の補佐役二人が出てきます。一人はシェブナ。名の意味は「主よ、帰りたまえ」。それとは裏腹に、分を越え自分勝手な振る舞いをしていたことに対する皮肉をもって“ますらお(【益荒男】立派な男、勇気ある強い男)”と呼ばれています(17節)。権力の座に就くと人間は高慢になるのは世の常だということでしょうか。
  • 宮内長官エルヤキム…もう一人はエルヤキム。「神は確立したもう」②列王記18章18節に“宮内長官”と役職が記されてあります。シェブナ失脚後に王に次ぐ権威を授けられ、「ダビデの家のかぎ」を与えられ、「釘」として確かな場所に打ち込まれると預言されています(22、23節)。そして「父の家のすべての栄光がかけられる」(24節)とも。絶大な権威、権力を手中にしたのです。しかし主によって盤石の地位を与えられると主を忘れ、みこころを脇に置いて自らの思いで事を動かすことに。また周囲の人々も、おもねるようになり、結局自らの首を絞め、没落の道をたどり、バビロン捕囚へと歴史が動いていくことに。そのことをイザヤは憤りと涙をもって預言しました。
  • フィラデルティヤ教会…ヨハネ黙示録3章7節で「ダビデのかぎ」がイザヤ書22章から引用されています。ただ、その「ダビデのかぎ」を持っている方は、聖なる方、真実なる方、つまり持ち主はイエス様です。そしてフィラデルフィヤ教会の信徒は、「少しばかりの力」、微力だったのです。しかし微力ゆえに主に信頼し、忍耐したことを主が評価し、将来を約束しています。
  • 結び…たとえ微力、無力であっても、「ダビデのかぎ」を持っている方、イエス様に信頼する者を、主は困難から守って下さいます。そして新しいエルサレム、天の御国に招いて下さいます。
Posted on 11/14/2021 at 09:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『バビロンのただ中で』(イエス・キリストの生涯 その185)(2021.11.14)

ああ、今、戦車や兵士、二列に並んだ騎兵がやって来ます。彼らは互いに言っています。『倒れた。バビロンは倒れた。その神々のすべての刻んだ像も地に打ち砕かれた』と(イザヤ書21章9節)また、第二の、別の御使いが続いてやって来て、言った。「大バビロンは倒れた。倒れた。激しい御怒りを引き起こす不品行のぶどう酒を、すべての国国の民に飲ませた者。」(ヨハネ黙示録14章8節)

  • はじめに…先週9日、作家であり僧侶だった瀬戸内寂聴さんが99年の生涯に幕を閉じました。反戦、反原発、そして弱者に寄り添う生涯だったと言えるでしょう。墓碑銘は「愛した、書いた、祈った」だそうです。湾岸戦争の際には七日間の断食を行ない「戦争の指導者とは一線を画し、人間と人間として付き合わねば」と寄せられた浄財で薬品や粉ミルクを調達し、イラク・バグダッドの病院まで届けています。
  • 聖書の中のバビロン…古代バビロンは現在のイラク・バグダッドの南方約百キロ地点に位置しました。聖書には“バベル(アッカド語では「神の門」ヘブル語では「混乱/混沌」の意)”として創世記11章9節に登場しています。そして聖書の最終巻であるヨハネ黙示録にも登場します(ヨハネ黙示録14章8節他)。この地の歴史は、バビロンに始まり、バビロンに終わると言えます。
  • バビロンのただ中に生きる…つまり私たちは歴史の初めからその終わりまで、バビロン(混沌)のただ中で生きるということです。創世記1章2節にも「地は形なく、何もなかった(混沌)」とあることからも明らかです。そのただ中でどう生きるのかが問題です。黙示録の最終章22章14節には「自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は幸いである」と記されています。自分の力で神の門(バビロン)を作らず、自らも創造主によって造られた被造物だという謙虚さもって、主を愛し、人を愛し、主に仕え、人に仕える生き方が、バビロンを退け、天の門に至る歩みになると言えます。その生き方は自分の能力や努力によってできるものではなく、イエス様の贖いの十字架を信じる信仰によって可能になるものです。
  • 結び…昔も今も、そして後も私たちはバビロン(宗教的・経済的・社会的混沌)の中に生きる者ですが、いつも主イエス様のみことばを聞き、感謝し、祈り、御国の約束を信じて、隣人(敵も含み)を愛し、隣人に仕える歩みをなせるよう、祈ります。
Posted on 11/07/2021 at 19:03, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『圧倒する主の栄光の輝き』(イエス・キリストの生涯 その184)(2021.11.7)

正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す(イザヤ書11章4節)

その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し(=overthrow/ひっくり返す)、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます(②テサロニケ人への手紙2章8節)

  • はじめに…先週の主日の午後、神学生時代の私を支えてくれた教会で修養会があり、そこに私の恩師が講師として招かれていたので一目会えればと出掛けてきました。再会は、ほぼ五年前の献堂式の時以来でしたが、「祈ってたよ」(「イエス様の愛を注いでいたよ」)と声を掛けて下さり、15分程、先生とお交わりの時を過ごさせて頂きました。祈られているということがどれだけ慰めを受け、強められるかということを、改めて実感しました(②テサロニケ2章17節)
  • 不法の秘密…さて、今日のテキストはイザヤ書11章4節と、この箇所の引用である②テサロニケ人への手紙2章8節です。イザヤ書11章の文脈は「主にある平和」で、②テサロニケ2章の方は「主の来臨」と言ってよいでしょう。いずれの場合も「悪者」であったり「不法の人」「滅びの子」、すなわち主の平和を脅かす存在、主の来臨に対抗する者の存在があります。そしてパウロは「不法の秘密はすでに働いています」(②テサロニケ人への手紙2章7節a)と記しています。不法の秘密とは一体、何でしょうか? 不法の本質がサタンだとするなら、不法の秘密は私たちの心の奥底に隠された欲望、自己中心性でしょう。闇の支配です。その影響で社会、自然環境までが歪み、汚染され、修復不可能なところまで来ており、呻いています。また同時に欲望をコントロールし、博愛精神を発揮し、あたかも自身が善、あるいは神であるかのように振る舞う偽善性です。自分で火をつけておいてその火を消すことで称賛(利益)を得るようなものです。いわゆる「マッチポンプ」です。
  • 栄光の輝き…その「マッチポンプ」で人心を掌握し、支配しようとする「不法の人」の価値観、思想を、主はその口の息、来臨の輝き、すなわち主ご自身の存在によってひっくり返されるのだと、パウロは自らの回心の体験も含めて確信を持ってテサロニケの人々、さらに私たちに語っています。主の臨在するところには神と人、人と人、人と自然の平和があり、いのちが輝いているところです(イザヤ書11章10節)
  • 結び…目に見えない御国(=完全なエデン)は確かにあり、御座にはイエス様がおられ、私たちの祈りを聞き、執り成しておられることを感謝します。
Posted on 10/31/2021 at 19:19, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『残りの者』(イエス・キリストの生涯 その183)(2021.10.31)

たとい、あなたの民イスラエルが海辺の砂のようであっても、その中の残りの者だけが立ち返る。壊滅は定められており、義があふれようとしている。すでに定められた全滅を、万軍の神、主が、全世界のただ中で行おうとしておられるからだ。(イザヤ書10章22-23節/ローマ人への手紙9章27-28節参照)

  • はじめに…先週、自身も被爆者で、核廃絶を願い続け、証言活動を続けてきた坪井直さんが亡くなりました(享年96)。活動の原点となったのは、広島に原爆が投下された日、だれからも助けてもらえず、泣きながら燃える街の方へ逃げていく女の子の後ろ姿を見たが、自身もけがをして、何もできずに見送ったことだと言います。口癖は“ネバーギブアップ”。「核兵器が廃絶されるのをこの目で見たい。でも私が見られなくても、後世の人に必ず成し遂げてもらいたい」とも。
  • 残りの者…今日のみことばのキーワードは“残りの者”です。イザヤ書10章22節は「残りの者だけが立ち返る(・・・・)」となっているところを、この箇所を引用しているローマ書9章27節では「救われる(・・・・)のは、残された者である」となっています。立ち返り=救いと理解できます。イザヤは自身の息子の名を「シェアル・ヤシュブ(=残りの者は帰ってくる)」と名づけ、その息子を連れて時の王アハズに会うよう、主に命じられています(イザヤ書7章3節)。つまりその息子の名そのものがしるし=預言、メッセージになっているのです。アハズはアラムとエフライムが攻めて来るとき、アッシリヤと手を結び、国難を乗り切ろうとしました。短期的には成功したように見えましたが、その後アッシリヤに占領され、さらにバビロン捕囚(前587年)なり、南ユダ国は崩壊することになります。(自分自身を含む)人に頼り、主に信頼しなかった故です。しかし主はあわれみによって一握りの主に信頼するイスラエルの民を残し、また異邦の民であるペルシャの王クロスの心(霊)を動かし、約束の地への帰還を成し遂げられました(エズラ記1章1節)
  • 主の忍耐…その歴史を踏まえてパウロは、イザヤの語った「残りの者」の救いは、異邦人の救いにまで発展し、さらにはすべての人の救いに至るのだ、 それがイスラエルの聖なる方のご計画なのだとローマ書7章から11章にかけて旧約、特にイザヤ書を引用しながら語っています。
  • 結び…主は、あなたの救い(立ち返り)のために決してあきらめないお方です(ローマ書9章22、24節)。あきらめないお方に対する信頼は失望に終わりません(同33節)
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