Posted on 03/19/2017 at 21:27, by matsumoto

集会と活動のご案内

集会と活動のご案内

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイによる福音書11章28節)

どうぞ、お気軽に日曜日の礼拝にいらして下さい。お待ちしています。

《集会のご案内》

◇主日礼拝/日曜日 午前10時半~12時(Zoomで参加の方は ミーティングID:448 912 8953 パスワード:FA6MmH )

◇早天祈祷会/毎日 午前5時半~6時半

◇火曜聖書学び会/毎週火曜日 午後2時~3時半(変更する場合がありますので、電話、メールでご確認ください)

《教会活動のご案内》

◇キリスト教式結婚式・葬儀・記念会(自由献金)

◇訪問聖餐式・訪問礼拝(無料)

◇人生(霊性)相談/随時(電話および面談)(無料)

◇いとすぎ霊性セミナーの開催(年2回/5月・10月予定 現在休止中)

◇NPOアジアン・ブリッジ(アジアの子ども達への支援)

◇マザーテレサ写真展企画

お問い合わせは、

au 090-9935-7053・固定 0568-89-2778

まで。

上記活動はすべて皆様の尊い献金によってなされています。感謝します。

なお、献金の送付先は以下の通りですので、よろしくお願いします。

ゆうちょ銀行
 
記号12110 番号346951
 
なまえ マツモト マツヨ
 
(他銀行からの振込みの場合
【店名】二一八【店番】218【預金種目】普通預金【口座番号】0034695)
Posted on 08/09/2020 at 15:39, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『常祷・援祷・苦祷』(イエス・キリストの生涯 その120)(2020.8.9)

たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。(コロサイ人への手紙4章2節)

  • はじめに…原爆が投下されてすぐに救護活動に参加した医学生の濱清(はま きよし・故人)氏は、当時を回想して次のように述べています。「(救護活動を行った)山里地区は浦上天主堂に近いキリシタンの里で、負傷者の多くはカトリック信者の方々でした。(…)全身に真白に軟膏を塗られ、ほとんど身動きも出来ないほど衰弱しきった人たちが、夕方になるといっせいに身を起こしてタベの祈りを捧げる光景がうす暗い病室の中に見られました。そうしてその人たちも2~3日の間につぎつぎに死んでいきました。言葉に言い表しようのない哀しみと、この人たちをこのような残酷な目に会わせることを許し、しかもなお祈りの対象となっている彼らの神に対し深い怒りを感じたのを記憶しております。(…)あの祈りの姿に、すべてを奪われた人間に遺されたただ一つの尊厳の姿を見たのかもしれない(人間の犯した罪に対する謝罪の祈り(とりなし)だったのではないか)と思い至ったのは年月を経てからのことでした。」
  • 常祷…パウロはコロサイの教会の人たちに「たゆみなく祈りなさい」(コロサイ4章2節)と勧めています。“常に祈れ”ということです。祈りは“霊の呼吸”です。祈りが途絶えるとき、私たちの霊は窒息し、死んでしまいます。しかも“感謝をもって祈れ”と。要求ばかりの祈りをしていないか、問われます。
  • 援祷…また、「私たちのためにも祈ってください」(同3節)と、祈りの応援を要請しています。私たち自身の祈りと隣人の祈りが合わさることで、キリストの奥義、教会の奥義の門が開かれるのです。奥義とはユダヤ人と異邦人がともに救いに与るということです。開いてくださるのは主ご自身です。
  • 苦祷…そして「エパフラスが、(…)あなたがたのために祈りに励んでいます」(同12節)と、パウロは同労の祈りの働きを明らかにしています。エパフラスはコロサイ教会の人たちの信仰と愛をパウロに伝えました(同1章7-8節)。“励む”は“力を尽くす”“苦闘する”という意味です。“苦祷”する力は自力ではなく「うちに力強く働くキリストの力」(同29節)です。あの被爆者の尊厳を保ち、夕べの祈りに導いた、主の力です。
  • 結び…私たち一人ひとりを愛の帯でしっかり結び、それぞれの場所にあって、常祷、援祷、苦祷しつつ、平和の主なるイエス様の身体として、日々新しく成長させて下さる全能の主に感謝します。
Posted on 08/02/2020 at 18:03, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『上にあるもの』(イエス・キリストの生涯 その119)(2020.8.2)

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。(コロサイ人への手紙3章1-2節)

  • はじめに…先週、図書館で本を借りて来て読んでいるとお話しました。その内の1冊クローニン著『天国の鍵』を読み終えました。自らの今日までの牧会の歩みと重ね合わせながら読み進めました。主人公の牧者としての在り方(キリスト教の形骸化した、あるいは律法化した教理に囚われない生き方など)に共感する部分が多くありました。
  • 上にあるものを思う…今日のテキストはコロサイ人への手紙3章です。パウロの書簡の特徴は、前半は教理について、後半は実践についての内容が記されていることです。3章からは実践部分になります。その冒頭部分で「上にあるものを求めなさい」「上にあるものを思いなさい」とパウロは勧めています。
  • 人間…ところで“人間”はギリシア語で“アンスローポス”です。語意は“上に顔を向ける者”という意味です。人間的な視点から言えば、目標を目指し、理想を追求し、希望を抱く者と言ってもいいでしょう。ところが、最初の人間、エバとアダムは、蛇(サタン)の誘惑のことばによって、食べてならいと聞かされていた目の前に麗しく実っていた善悪の知識の木の果実を取って食べました(創世記3章)。「もっと賢くなりたい」「神(の子)のようになりたい」という高い目標、理想、そして希望を、強引に自らの手元へ引き寄せ、貪欲、野望に変質してしまったのです。目標、理想、希望は奪うものではなく求めるものであって、叶うものなのです。与えられ、見出され、開かれるものです。
  • あわれみの主…そんな自己中心で自分勝手な人間に対して、創造主は決して諦めません。探し求めて御声をかけてくださいます。「あなたはどこにいるのか」(創世記3章9節)と。そして罪、咎、過ちを隠そうとする私たちに対して、強引にはぎ取って公に晒(さら)すのではなく、反対に“皮の衣”を着せてくださり、生かしてくださる方です(同21節)。皮の衣は、十字架で肉を裂かれ、血を流された贖い主イエス様の予表です。その主が天から降って来られ、「あなたはどこにいるのか」と御声をかけ、懐(ふところ)に招いておられます。上にあるもの、それは尽きることのない主の愛です。
  • 結び…私たちに対する愛ゆえに十字架に掛かられ、救いの御業を成就してくださった主に、栄光がありますように。
Posted on 07/26/2020 at 19:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『十字架で裂かれた体=キリストの割礼』(イエス・キリストの生涯 その118)(2020.7.26)

キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨てて、キリストの割礼を受けたのです。(コロサイ人への手紙2章11節)

  • はじめに…コロナウイルスの感染拡大が続き、予定していた金曜日からの壱岐行きはキャンセルにしました。きっと主のご計画があったのだと信じています。それで少し時間ができたので、久しぶりに図書館で本を3冊ばかり借りて来て読んでいます。ちなみにその3冊の書名は松本元著『愛は脳を活性化する』、クローニン著『天国の鍵』『城砦』です。
  • 異端(グノーシス主義他)…パウロがこの書簡をしたためたのは、第3回の伝道旅行の際、エペソに約3年間滞在した間に信仰に入り、コロサイ教会の基礎を築いたエパフラスが、教会に異端が入ってきたことで、獄中にいたパウロに相談に来たことがきっかけでした。ユダヤ教に逆戻りしようとするものであったり、禁欲主義的なものであったり、ギリシャ思想哲学(霊肉二元論)によるものだったりしたようです。それらに対してパウロは、「キリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されている」(コロサイ2章3節)と、真理はキリストにあり、キリストにしっかり結び付くよう勧めています。
  • キリストの割礼…今日のテキストは、“割礼”に関することです。割礼はユダヤ人にとっては重要な儀礼です。神様との契約のしるしであり、祭り(過越し)参加の権利を得る手段、清め、救いの手段と考えられています(創世記17章10節、出エジプト12章48節他参照)。ゆえにユダヤ人は、安息日においてさえ、割礼(による潔め)を行っていました。しかしパウロは人の手による形式的な割礼を絶対的に重要なこととは考えておらず、イエス様が十字架で肉を裂(割)かれた贖いの御業を“キリストの割礼”として最も重要なこととして伝えています。まことの真実であり、かつ霊的であるイエス様の贖いの十字架こそが、真の割礼、唯一の救いの手立てだ、そうパウロは語っているのです。イエス様ご自身も、割礼について、安息日との関連で言及しています(ヨハネ福音書7章14-24節参照)。教えや振る舞いが、神から出たものか、それとも人からのものか、その見極めは、神の御旨と信ずるところを行なおうと願うことだとイエス様はおっしゃいました(同17節)。そうするとき、私たちは自分自身の無力さと罪深さとを体験します。結果、イエス様の十字架の贖いの御業に与るより外に救いの道がないことを私たちは知らされます。
  • 結び…私たちに対する愛ゆえに十字架に掛かられ、救いの御業を成就してくださった主に、栄光がありますように。
Posted on 07/19/2020 at 14:11, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『暗闇から光の中へ』(イエス・キリストの生涯 その117)(2020.7.19)

御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。(コロサイ人への手紙1章13節)

  • はじめに…藤井聡太さん(棋聖)が史上最年少の17歳11カ月で将棋タイトルを獲得後に揮毫したことばは「探究」。「将棋は本当に難しいゲームで、まだまだ分からないことばかり。これからも探究心を持って盤上に向かっていきたい」と更なる高みを目指していました。”ひふみん”こと加藤一二三九段(クリスチャン)もツイッターで、藤井新棋聖の誕生を「史上最年少戴冠の偉業達成 心より御祝い申し上げます」と祝福していました。重苦しい世界のただ中にあって、未来への希望を与えてくれる明るいニュースでした。
  • 感情をコントロールする…加藤一二三さんは、著書『感情の整理術123(ひふみ)』の中で、こんなことを言っています。「人間はみんな「自然感情」をもっています。たとえば怒り。場合によっては嫉妬もあるでしょう。そういうごく自然に浮かんでくる感情をいかにコントロールするかということが大切。自然感情が湧くままに、赴くままに生きたとしたら、必ず失敗します。たとえば、怒るようなことがあったとしても、「待てよ」と一度、相手の立場に立ってみる」「人間の言葉というものは、ときに冷酷な、ほんとうに無慈悲な言葉とかすごい言葉は、相手を殺すといわれていますから。人間の言葉によって死んだ数が、戦争で兵隊が死んだ数よりも多い。やはりいかなることがあっても、相手の人格否定はダメですね」
  • 広大無辺の書…今回、コロサイ人への手紙を前にして宇宙大のスケールに圧倒されて、ことばが無いというのが正直なところです。一人の老境に入った伝道者が不自由な獄中で認(したた)めた小書簡の中に、圧倒的な主の愛、力が凝縮されていて、開いたとたんに止めどもなく溢れ出す、そんな感じです。溢れる愛と力によって万物を創造された主が、暗闇に迷い込み、圧し潰されかかった私たちを救い出し、新しい歩みを始められるように広く温かいイエス様の懐に包んでくれている、その事実、真実を確信させてくれます。当時のコロサイに生きた聖徒たち同様、時間を超え、歴史を経て、今、ここに集まっている私たち一人ひとりの祈りをも聴かれるイエス様の内に生かされているのです。ゆえに主から力を与えられ強められ、更なる探求心を持って、かつ自らをコントロールして、それぞれの課題にチャレンジし続けたいと思います。「求める者は受け、探(捜)す者は見つけ、たたく者には開かれる」(マタイ7章7-8節)とイエス様は約束して下さっているのですから。
  • 結び…イエス様の広く温かい懐の中で、喜び楽しみながら輝いて生きる人生の舞台が一人ひとりに備えられていることを感謝します。
Posted on 07/12/2020 at 17:31, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『祈り場』(イエス・キリストの生涯 その116)(2020.7.12)

そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ人への手紙4章7節)

  • はじめに…家庭において、職場において、あるいは教会において、意見、主張、見解が異なり、反目したり対立することがしばしばあります。感情が高ぶり、頭に血が上り、怒りを露わにしたり、反対に気分が落ち込んで、胃がキリキリ痛むようになるなんてことも経験があるのではないでしょうか。その空気感が周囲にも伝染し、険悪な関係になったり、溝ができたり、しこりになったりすることもあるでしょう。ピリピ教会にも、そのような憂慮すべきことがあったようです。パウロはピリピ書の最終章でそのことを記しています。
  • ユウオディアとシンティケ…対立、あるいは反目していたのはユウオディア(=良き案内者、あるいは芳ばしい香りの意)とシンティケ(=めぐり合わせの意)という二人の女性です。ピリピの教会は、パウロのヨーロッパ伝道において、ルデヤ(女性)とその家族を初穂として生まれた最初の教会でした(使徒16章12-15節)。もともと、川岸の祈り場に集まっていた女性たちとパウロの出会いから教会へ発展したのでした。その教会が成長する過程で、ユウオディアとシンティケは、教会のリーダーとして福音宣教の働きを熱心に担っていたのでしょう。
  • 熱心さが裏目に…時として物事に対する熱心さが、裏目になることがしばしばあります。対立の小さな芽になったりします。相手のためを思って、あるいは集まり全体のことを配慮しての発言や行動が、問題の火種になります。知らず知らずの間に、自分中心、人間中心の振る舞いになってしまいます。いつの間にかイエス様から離れてしまっているのです。
  • 解決はいずこに…そんな中、パウロは「真の協力者(=共に軛を負う者)よ、助けてあげて」(ピリピ4章3節)と、周囲の人々に、問題解決に向けて協力を要請しています。つまり「傍観しないで」「無関心でいないで」そう訴えているのです。具体的には“主にあって喜ぶ”ことと、“感謝をもって祈る”ことです。あの最初の“祈り場”に集まっていた時のことを想い出してほしい、そうするなら「人知をはるかに超える神の平安によって(天使が陣を張って)守られる」(同7節)、それがキリストの体なる教会だ、そうパウロは確信し、勧めています。だからどんな問題が目の前に立ちふさがっても“思い煩う(心の分裂)”にはおよばない、イエス様に繋がっているならイエス様から力が与えられ、何でもできる(同13節)、そう信じます。
  • 結び…イエス様に繋がって喜び、感謝をもって祈る、その信仰の原点(祈り場)を想い起こし、一歩を歩み始めることができるよう、祈ります。
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