Posted on 11/05/2023 at 20:34, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『すべての道で』(新約に引用されている旧約 その67)(2023.11.5)

まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。(詩篇91篇11節) /神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる(ルカ4章10節)

◆はじめに…先週、うれしい出来事がありました。「今までずっと、先生たちのことが気になっていました。かつて先生たちに失礼なことをしました。この年になって分かります。お詫びします」と。電話口での震える声から、Nさんが本心から赦しを乞うていることが伝わってきました。自らの過ちを認めて、直接、謝ることは勇気がいることだと思います。聖霊様の導きに感謝します。

◆御霊に導かれて…今日のテキストは、いわゆる「荒野の誘惑」とか「荒野の試み」と呼ばれている箇所です。荒野へ導いたのは御霊ですから、創造主(父なる神様)のみ旨に基づく明確な意図と目的があります。ルカはこの「荒野の試み」の前に、イエス様から人類の始祖アダムへ遡る系図を挿入しています。そこから読み取れるのは、最初の人間アダムの失敗を、第二(最後)のアダムとしてイエス様が、罪人の末裔であるすべての人類の救い主として唯一無二の方だということを伝えています。そのことをサタン(この世の支配者)がアダムを誘惑したように、イエス様を誘惑したものの、そのすべての誘惑に対してイエス様が勝利したことで、裏付けています。

◆三大誘惑…私たちにとっての“荒野”は、私たちがただ一人、祈りと黙想をする場であり、時です。聖なる時であり、聖なる場であると同時に、世俗の考えが襲ってくる場であり、時でもあります。その中で、最も大きなものが①経済問題(パンかみことばか)②政治問題(支配か奉仕か)③宗教問題(贈り物か贈り主か)です。

◆すべての道で…それらの誘惑に対してイエス様は、申命記のみことばをもって、それらの誘惑を退けました。それは“荒野の四十年”でモーセが導く中、イスラエルの民が失敗を繰り返しながら学んだ、主のみことばでした。私たちもこの世の考えが入り込む環境の中にあって、無数の選択肢があり、迷路もあれば、脇道もあります。その分かれ道で、イエス様の語られる一つひとつのみことばに支えられて生きたいと思います。イエス様は道であり、真理であり、いのちです。

◆結び…御使いを遣わして私たちを“すべての道で守られる”と、主は約束してくださっています。聖霊様の導きに従い、みことばに生かされ、神と人に仕え、主に栄光をお返しする新しい月となるよう、祈ります。

Posted on 10/29/2023 at 19:01, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『神の子ども』(新約に引用されている旧約 その66)(2023.10.29)

わたしは言った。「おまえたちは神々だ。おまえたちはみな、いと高き方の子らだ」(詩篇82篇6節) /イエスは彼らに答えられた。「あなたがたの律法に、『わたしは言った。あなたがたは神(々)である。』と書いてはありませんか。」(ヨハネ10章34節)

◆はじめに…恵愛園で働き始めてから二週間余りが経ちました。一人ひとりと関わる時間が増す中で、少しずつ利用者さん、職員さんの顔と名前が一致するようになり、それぞれのキャラクター(個性)も見えてきました。これから園で織りなされる出来事の中から、主の御業、御言葉を拾い上げていければと願っています。

◆「障害」は他人事でなく…厚労省の直近の調査によると、国民のおよそ 9.2%が何らかの「障害」を有していると報告されています。後天性の「障害」の方、先天性の方、様々ですが、天地創造以来、一定数の方々が「障害」を持っている事実があります。その意味では「障害」は“個性”であり、別の角度からみるなら、「障害」を持っていない人の“身代わり(代理)”と言えます。その意味で、「障害」は他人事でなく、自分事です。

◆回復より律法優先でなく…今日のテキストは、イエス様が仮庵の祭りや宮きよめの祭りでエルサレムの神殿に上って来られ、病人の癒しの他、裁判の弁護、御言葉の宣べ伝え等、数々の御業をなされましたが、それを快く思わず、殺意を抱くユダヤ人に対して語られたものです。前章の9章では「生まれつきの盲人」の目を開ける癒しをされましたが、その日は安息日でした。ユダヤ人にとって一人の人の回復よりも律法に違反している行為だ、ということが大問題でした。マザーテレサは言いました。「人々が死を迎える時に、『愛された』と感じながらこの世を去ることができるなら、何でもしたい」

◆あなたがたは神(の子)…詩篇82篇3-4節には「弱い者とみなしごのためにさばき、悩む者と乏しい者の権利を認めよ。弱い者と貧しい者とを助け出し、悪者どもの手から救い出せ」と記されてあります。それが良き指導者(神の子)の務めだと。そしてイエス様はおっしゃいました。「わたしは、良い牧者です」(ヨハネ10章11節a)「わたしと父とは一つです」(同30節)、つまり父なる神から世に遣わされた“神の子”だと。だから父から託された羊のために何でもする、「羊のために命を捨てる」(同11節b)「永遠のいのちを与える」(同28節)「だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできない」(同29節)と。

◆結び…あなたのためにいのちを捨てる、あなたに永遠のいのちを与える、わたしの懐にあなたを抱き、だれも奪い去ることはできないと主は言われます。

Posted on 10/22/2023 at 06:58, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『裂かれた唯一のパン』(新約に引用されている旧約 その65)(2023.10.22)

食べ物としてマナを、彼らの上に降らせ、天の穀物を彼らに与えられた(詩篇78篇24節) /私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。『彼は彼らに天からパンを与えて食べさせた。』と書いてあるとおりです。(ヨハネ6章31節)

◆はじめに…10月10日から「恵愛園」という障害者支援施設に勤めていますが、昨日21日は開園40周年を記念する「恵愛まつり」というイベントが施設でありました。利用者の方々とその家族、それに中高生ボランティアを含め、多くの地域の方々が参加され大変盛況でした。まつりが、共に同じ地域で暮らす「障害」のある人と、ない人が、自然体で出会う場となっています。

◆物、事、方…今日のテキストは、民の度重なる裏切りにも関わらず、繰り返し赦され、一人のリーダー、ダビデを立てて導かれる主の愛です。その神の愛の出来事の一節がヨハネ6章31節に引用されています。天からマナを降らせ、民の空腹を満たした出来事です。私たち自身も含め、人は「物(もの)」つまり目に見える物質を第一にします。その最たるものが食物です。食べなければ飢えて死んでしまいます。ですから荒野でイスラエルの民は、リーダーのモーセとアロンにつぶやきました。民のつぶやきを聞かれた主は、天からマナを降らせ、民の空腹を満たされました。それはカナンの地に入るまでの40年間、絶えることはありませんでした(出エジプト16章35節参照)。マナを降らせ続け、民を養いつつ、主は、裏切りと赦しの出来事を通し、見放すことなく民との関係を保ち続けられました。

◆マナ…ところで、「マナ」とはいったい何だったのでしょうか? シナイ地方の荒野に「ぎょりゅう(御柳)」と呼ばれる木が生えています。樹皮に付着したビーズ玉のようなシロップ状の液が結晶化して地面に落ちるそうですが、これは昆虫が分泌する余剰炭水化物だと言われています。これが「マナ」の正体です。この「ぎょりゅうの木(新改訳では「柳の木」)」ですが、アブラハムがベエル・シェバ(誓いの井戸の意)に平和の契約、約束の成就の証しとして植え、傍らで主に祈った記事として創世記21章33節に記されてあります。続く22章で約束の子イサクの奉献の出来事になります。

◆裂かれた唯一のパン…ぎょりゅうの木に付いたマナは、十字架にお掛かりになられるイエス様の予表です。「神のパンは、いのちを与えるもの(=方)だからです」イエス様はご自身の身体を十字架で裂かれ、私たち一人ひとりに分けられたのです。

◆結び…イエス様の語られるひと言ひと言の言葉を味わい血肉化して生きる一週間であるよう、祈ります。

Posted on 09/24/2023 at 08:27, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『宮離れ』(新約に引用されている旧約 その64)(2023.9.24)

それは、あなたの家を思う熱心が私を食い尽くし(…)(詩篇69篇9節) /弟子たちは、「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。(ヨハネ2章17節)

◆はじめに…本主日24日(日)の礼拝で、原島を拠点としたリモート礼拝は最後になります。次回からは柳川を拠点としてのリモート礼拝になります。礼拝堂を持たない、いとすぎ教会の礼拝は、場所に縛られないので本当に自由です。礼拝し祈り賛美する一人ひとりが神の家、聖霊の宮であることを心底、実感できることは幸いです。

◆大贖罪日(ヨムキプール)…ところで、本日の日没から「大贖罪日」(ヨムキプール)になります。ユダヤ教徒は、毎年、贖罪日にはシナゴーグに集まり、断食と祈りに専念します。断食は「他の誰とも変わらない人間であることを証明するため」にするのだとラビ・ハロルド・S・クシュナー氏は言います。不完全で間違いの多いありのままの存在として神様の前に出ることです。そして「コールニドレイ(すべての誓い)」という祈りを唱えます。

旧約時代には、大祭司が年に一度、贖罪の日に神殿(幕屋)の至聖所に入り、全イスラエルのための罪を贖う血を主にささげて、民が犯したすべての罪の赦しを得ていました。つまりユダヤ人にとっては、贖罪の有効期限は一年間なのです。しかしイエス様はご自身を一度、贖いとしてささげ、永遠の和解を成就されたのです(へブル人への手紙10章10節参照)。

◆宮きよめ…本日のテキストの主題は、イエス様が過越の祭りの際、異邦人の庭から商売人や両替人を外へ追い出し「わたしの父の家を商売の家(強盗の巣)としてはならない」と語ったことから「宮きよめ」とされています。このイエス様の義憤と、それに伴う振る舞いを見た弟子たちは、詩篇69篇9節の「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」のみことばを思い起こしたのでした。

◆熱心/熱情/嫉妬/献身…「熱心(Zeal)」と新改訳聖書で訳出されているところを、①「熱情(Passion)」②「嫉妬(Jealousy)」そして③「献身(Devotion)」と訳出している聖書があります。どの訳もなるほどと納得できますが、最後の「献身」の訳を基に大胆に意訳すると「あなたの祈りの家への献身が、私の自我を滅ぼし、聖霊が百パーセント支配するようになる」となります。

◆結び…礼拝の場所が問題ではなく、復活のイエス様の臨在と聖霊様の恵みによって「霊と真理(聖霊様とイエス様)」(ヨハネ4章23節参照)によって父なる神に礼拝を捧げられる時が来ていることを感謝します。

Posted on 09/17/2023 at 08:26, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『与えるために受けられた』(新約に引用されている旧約 その63)(2023.9.17)

あなたは、いと高き所に上り、捕われた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました。(詩篇68篇18節) /そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた」(エペソ4章8節)

◆はじめに…昨日の夜中、眞津代牧師がカビアレルギーの症状が出て、眠れなくなってしまいました。しばらくして症状が落ち着いた後、夜空を見上げると、三つの星が明るく輝いていました。“夏の大三角”と呼ばれる星座です。創世記によれば、星が創造されたのは第4日目。ですからその創造の光景をそのまま見たことになります。闇夜に輝く星に希望と恵みを感じながら、朝まで休みました。

◆ユダヤ暦の新年…さて、先週の15日(金)の日没(新月)から、ユダヤ暦における新年(5784年)が始まりました。次の満月(29日(金)の日没)には仮庵の祭り(スコット)を迎えます。聖書の記述(主にルカ福音書)を総合すると、イエス様が実際にお生まれになったのは、この仮庵の祭りの時期だったことが分かります。ですから、このユダヤ暦の新年から仮庵の祭りのこの時期に、天地創造の出来事と、イエス様がこの世に遣わされたことに思いを馳せることは意義深いことです。

◆賜物…本日のテキストの主題は、この世に遣わされたイエス様が地上生涯をまっとうした後、昇天されたイエス様が、私たちを含め、人々に賜物(カリスマ(ギリシャ語)/ギフト(英語))を与えられたということです。賜物は極めて多様です。私たち一人ひとりの個性にふさわしく、創造主なる父なる神様からイエス様に託され、恵み(カリス)として私たちにすでに贈られて手元に届けられているのです。その贈り物を喜んで(カーラー)受け取ることをイエス様は望んでおられます。

◆与えるために受け取られた…詩篇に「人々から、みつぎ(賜物)を受けられた」とあるところを、パウロは大胆に「人々に賜物を分け与えられた」とまったく逆に解釈して伝えています。しかし、そのことから浮かび上がる福音のメッセージは、イエス様は与えるために受け取り、受け取った結果として賜物を与えてくださるのです。イエス様は人々から良きものを受け取られたのでなく、 “霊的な敵対者の持てるもの”つまり、罪、肉の世、死、墓の支配権と権力、すなわち悪しきものをすべて、丸ごと受けられたのです。そして愛、聖霊、復活のいのち、天の御国、イエスご自身を贈り物として与えて下さっています。

◆結び…父なる創造主が義によって世界を創造され、愛によってイエス様がこの世に受肉され、賜物を与えてくださる聖霊様の“恵みの大三角(三位一体)”を共に喜びたいと思います。

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