Posted on 05/14/2023 at 06:30, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『日暮れて安らかに』(新約に引用されている旧約 その48)(2023.5.14)

恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心(=内なる人)に語り、静まれ。(詩篇4篇4節) /怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。(エペソ人への手紙4章26節)

◆はじめに…日に日に朝夕の日が長くなってきました。朝は5時前には白々と日が明け始め、夕方7時過ぎになって日が暮れます。今年一番日が長い日は、夏至の6月21日(日の入り午後7時35分)、もっとも短いのは冬至で12月22日(午後5時17分)です。当然ですが日が暮れる時刻は一定ではない訳です。つまり日々変化する日暮れに憤り(感情)を関係づけることができるとすると、怒りの感情は、意志によってコントロールできるものであり、コントロールすること(言い換えれば新しい一日を創造すること)を主は私たち自身に委ねておられるということです。

◆アンガーマネジメント…怒りをコントロールする心理学的手法を“アンガーマネジメント”と言いますが、①6秒ルール②怒りのスコア化と記録③その場から離れる④固定観念を捨てるなどの方法があることが知られています。いずれも一定の効果は期待できるものですが、聖書は心理学的方法論として怒りをコントロールすることではなく、主との人格的交流によって怒りを管理することを勧めています。つまり自分自身の閉じた器(外なる人)の中で怒りをコントロールするのには限界がありますが、主に向かってこころを開くと、無限に開放した拡がり(内なる人)の中で怒りの感情はリセットされ、すべてが一新されます。

◆主に感謝し主を喜ぶ…すべてが一新された感情は「無」とか「空」ではなく「満」です。主に対する感謝で満ち、主に対する喜びで満ちます。ユダヤの時間感覚では、創世記にあるように日が暮れて(日没)から新しい一日が始まると認識します。一日の始まりに床に就くとき、主に対する感謝と喜びと平安に満ちた思いで眠ることができます。主の御翼に覆われて、安心して休むことができます。イエス様も「あすのための心配(怒りも思い煩いも)は無用です。あすのことはあすが心配します」(マタイ6章34節)とおっしゃいました。

◆夢で語られる主…私事ですが、一日一日、仕事の負荷が増す中、今週はウイークデーの休みの無い週。正直、体力的精神的にきついなあと思っていたところ、主ご自身が夢の中で「今日一日、ゆっくり自由に過ごしていいですよ」と語ってくださいました。夢から覚めた早朝、身体も心も軽くなっていました。

◆結び…主は、祈る私たち一人ひとりを気かけて下さり、声を掛け、怒りや思い煩いを除いてくださり、感謝と喜びで満たして下さいます。

Posted on 05/06/2023 at 23:22, by matsumoto

主日メッセージ要約『あなたは、わたしの子』(新約に引用されている旧約 その47)(2023.5.7)

わたしは主の定めについて語ろう。主はわたしに言われた。「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」(詩篇2篇7節) /神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。詩篇の第二篇に「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」と書いてあるとおりです。(使徒の働き13章33節)

◆はじめに…先週の火曜日、Bさん家族が原島に来島。そこで原島の公民館長らとの懇談の時を我が家で持ちました。去る3月20日に離島留学生のHくんが原島の磯で発見されたことについて、お互いの思い(弔いと生活)を率直に話し合うことが目的でした。結果、お互いの“もやもや”も解消し、信頼の絆が深まる機会となったようです。

◆主の定められた時…奇しくも一年前の3月20日、私たちは壱岐に来ていました。そして今、住んでいる原島の見える丘の上で祈りました。主の御心は「わたしが守る。わたしが建てる。恐れず前に進みなさい」でした。すべての営みには時があります。建てるのに時があり、生まれるのに時があります(伝道者の書3章1-3節参照)。今日のテキストの箇所のメインテーマは「あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ」です。“きょう”と言うのは、昨日-今日-明日という今日、ということではなく、“主の定められた時”という意味で、ひらがな表記の“きょう”と、聖書(新改訳)は記しています。

◆養子縁組…詩篇2篇は、王の即位式の際に朗唱されたものと考えられています。通常、王位継承は世襲なので、血のつながりのある父子関係が当然の前提となります。ところが詩篇2編7節は、あなたがわたしの子であるのは、“きょう”わたしがあなたを生んだ(あなたと契りを交わした)からだと、養子縁組による父子関係を結んだことを強調しています。契約による父子関係、契約による王位継承であることを“きょう”、すなわち“定められた時”という言葉を加えることによって強調しています。

◆よみがえりの主…それをパウロは、死んでよみがえった主イエスこそが、王の子、神の子であり、油注がれた者、メシヤ(キリスト)だと、回心後、最初の宣教で、声高に語ったのです。イエス様ご自身も、ザアカイや十字架に掛けられた強盗に“きょう”とお語りになっています。そしてそれは、私たち一人ひとりに語られています。あなたの家に泊まるよ、一緒にパラダイス(エデン)にいるよと。

◆結び…主が共にいて下さり、将来を約束して下さっている祝福に優る幸いは他にありません。

Posted on 04/29/2023 at 21:04, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『世の知恵は愚か』(新約に引用されている旧約 その46)(2023.4.30)

神は知恵のある者を彼ら自身の悪知恵を使って捕らえる。彼らのずるいはかりごとはくつがえされる。(ヨブ記5章13節) /なぜなら、この世の知恵は、神の前では愚かだからです。こう書いてあります。「神は、知者どもを彼らの悪賢さの中で捕らえる。」(①コリント人への手紙3章19節)

◆はじめに…眞津代牧師が歯医者の送迎で知り合った方が、「自宅の近くにキリシタン遺跡がある」とのことで、先週、その方の案内で史跡を訪ねました。それは『マリヤ観音(聖母子像)』でした。その存在は私たちも写真で知ってはいましたが、実際に現地へ赴き、実物を拝見したのは初めてでした。幼子イエス様を抱きかかえるマリヤさんの穏やかな顔からはイエス様を愛おしむ思いが、そして母の胸元にしがみつく幼子イエス様からは、母を慕う思いが伝わって来るようでした。その方は仏教徒ですが、たとえ信仰が違っても、自身の暮らす地域に残っているキリシタンの歴史的遺産を後世に継承していこうとする姿勢には敬服します。

◆責める友…今日のテキストの箇所はヨブが災禍に見舞われているとき、友人達がヨブのもとに赴き、最初は慰めようとしていたはずが、結局、災いの原因はヨブ自身の罪の結果であり、悔い改めを迫るものに。神の代弁者の如く、あるいは神自身の如く、ヨブに言葉で詰め寄りました。私(たち)はヨブよりも賢いし義しい。ヨブは間違っている。だから友達として忠告している。確かに、目の前の現象(ヨブに降りかかる災厄)だけを見れば、もっともなアドバイスです。

◆決定的な見落とし…しかし、その友人達の責めには、決定的に見落としているものがあります。それはヨブ自身も知らないことでした。それは1、2章で記されている「天上での神と御使いおよびサタンの会議」でした。現代に生きる私たちも、これと同じ決定的な見落としがあり、それによって関係がギクシャクしたり、壊れたりします。ワンフレーズだけを切り取って原因と結果を短絡的に結び付けたり、一部分の事実だけを切り取って、真実を捻じ曲げたりすることでお互い責め合ったり、傷つけあったりします。意図的だったり、無意識的だったりします。

◆責めるよりやさしさ…実際は、私達の知識や常識や理解を超えた主の大いなる御心が働いていることに思いを馳せることが大切です。ですからパウロは「誇るな」「愚かになれ」(①コリント3章18、21節参照)と告げています。相手を“責めるよりやさしく接することが大切”という壱岐FMの生放送から流れて来たリスナーのコメントは的を得ていて、心を打ちました。

◆結び…主はお生まれになったときは母マリヤの懐に、十字架にお掛かりなったときは父なる神の懐に、愚直に、誇ることなく全存在を丸ごと委ねきりました。

Posted on 04/22/2023 at 21:35, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『あなたは一人ではない』(新約に引用されている旧約 その45)(2023.4.23)

しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。(①列王記19章18節) /ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」(ローマ人への手紙11章4節)

◆はじめに…壱岐島の離島の原島に引っ越しして約1カ月。通所リハビリで働き始めて約3週間。近隣の方々や職場の方々とことばを交わす機会を重ねるにつれ、少しずつ慣れ親しんで来ました。二十年前、私たちが壱岐に赴任したとき、しばらくは地域の方との親しい会話もなく、孤立した状況が続きました。それから20年の歳月を経て、再び壱岐に来て思うのは、主がすべて(私たち自身も環境も)を整えて下さっていることを痛感しています。今日のテキストの主題は、“あなたは一人ではない”です。

神も仏もない!?…私たちは、困難な状況に遭遇したとき、孤独、孤立に苛まれ、“神も仏もあるものか!”と怒りの感情を誰彼なしに、あるいは自分自身に、ぶつけます。今日の旧約の箇所では、エリヤはカルメル山上での対決(①列王記18章)で、主の力によって勝利した後、一転、自らのいのちが狙われていることを知り、主に死を願うようになりました。いわゆる「バーンアウト症候群(燃え尽き症候群)」に陥ったのでした。いのちの君、父なる神ご自身にしてみれば、愛する子から「いのちを取ってください」と言われることは痛恨の極みでしょう。自らの存在理由を全否定されるに等しい訴えだからです。

◆触れて下さる主…そんなエリヤに対して主は、叱責でもなく、励ましでもなく、一人の天使を遣わして触れて下さいました(同19章5、7節)。そして食事を摂るように勧めました(同)。それに力を得、エリヤはホレブ山まで歩き、洞穴に身を潜めました。エリヤは死を願うことからは脱しましたが、まだ恐れが支配していました。そのエリヤに対して主は“かすかな細い声”でご自身の存在を啓示されたのでした。それは不思議や超自然的な奇蹟でご自身を顕わす仕方とはまったく違ったものでした。主は極めてさり気なく、消えかかった燈心、折れた葦のような一人の霊、たましい、身体を整え、回復させ、真実(主の現実)を告げ、新たな使命を与えられる方です。

◆結び…主は私たちにさり気なく“かすかな細い声”で「あなたは一人(孤独)ではない」と、真実を気づかせて下さり、霊的な健康(神と人との交流)を回復して下さり、将来と希望を与えて下さる方です。それはただただ主の恵みの御業です。

Posted on 04/16/2023 at 17:12, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『主の約束とあわれみに賛美で応える』(新約に引用されている旧約 その44)(2023.4.16)

それゆえ、主よ。私は、国々の中であなたをほめたたえ、あなたの御名を、ほめ歌います(②サムエル22章50節) /また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう」(ローマ人への手紙15章9節)

◆はじめに…先週の木曜日、以前、勤めていた壱岐日々新聞社の同僚Tさんのご自宅を訪ねました。Tさんは私たち夫婦を歓迎してくれ、しばし楽しい語らいのときを持たせて頂きました。Tさんは身体に障害を負っていますが、宅配弁当の配達の他は、自立して一人暮らしをしています。各居室は小綺麗に整理され、誠実な暮らしぶりが伝わってきました。人と関わる機会がないことや何がしかの悩みもあるとのことでしたので、これから定期的に顔を合わせて交流の機会が持てたらと考えています。壱州人(生粋の島育ちの人)と旅の人(島外出身者)を、主は出会わせてくださり、共に生きる者としてくださっていることに感謝。

◆ユダヤ人と異邦人の救い…今日のテキストの主題は、“主の約束とあわれみに賛美で応える”です。“約束”はユダヤ人に対する救いの約束の履行、“あわれみ”は異邦人に対するあわれみゆえの救いです。これは主の、真実を貫く意志と、押しとどめることのできない愛の現れです。その愛と真実の主に日々、賛美で応えることが私たちの生かされている意味であり、人生の目的です。ハレルヤ(主よ、賛美します)との思いが心の底から溢れるなら、それは救いの印であり、救いの証しです。

◆共に主を賛美する…②サムエル記22章は、敵(異邦の民)に勝利した際、ダビデが歌った主への賛美です。パウロはローマ書15章で、異邦人伝道の困難な働きの中にあって、(強い)ユダヤ人も(弱い)異邦人もお互いいたわり合い、認め合い、共に主を賛美するよう、ローマにある教会の信徒に向けてことばをしたためています。強い人も弱い人も、どちらもイエス様から罪贖われた者であり、主から愛されている者同士なのだと。

◆結び…人は不真実であっても主は真実な方です。信仰の父アブラハムもダビデも、そしてパウロも罪、過ちを犯しました。そして私たちも。しかし、主は救い(祝福)の約束を履行する方であり、あわれみ深い方です。御心を成し遂げられ、私たちの弱さを担われる方です。主イエス様は、ハレルヤの賛美を受けるにふさわしい唯一のお方です。

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