Posted on 06/13/2021 at 09:07, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『祈り場は霊的染め物工場』(イエス・キリストの生涯 その164)(2021.6.13)

安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。(使徒の働き16章13-14節)

  • はじめに…昨日、香港での反政府デモをめぐり、無許可集会扇動罪などで服役していた民主活動家、周庭(アグネス・チョウ)さんが出所したニュースを各メディアが報道していました。チョウさんは自身のインスタグラムに一面真っ黒の画面を投稿し、「苦痛の半年がやっと終わった。とても痩せて弱ってしまったので、ゆっくり休んで体調を整えます」と書き込んでいました。
  • 祈り場…今日の箇所はアジアの西端で“まぼろし”を見たパウロと一行が、エーゲ海を渡り、ヨーロッパ(マケドニヤ)の地に到着して数日後の、ピリピにおける安息日の出来事です。イエス様もパウロも、安息日にはユダヤ人の会堂(シナゴーグ)に入って教えられましたが、ピリピにはまだ会堂はなかったようです。そこで“祈り場(בֵּית הַתְּפִילָּה) ”がありそうな川岸を探すと、そこに女性たちが集まっており、その中に、紫布の商人ルデヤもいました。そこでパウロはヨーロッパで最初の福音宣教を語ったのです。
  • 紫布…「紫布」ですが、今年1月、イスラエル南部の砂漠地帯にある遺跡で、鮮やかな紫色の羊毛が発見され、今から約3000年前の紀元前10世紀ごろ、つまりダビデ王やソロモン王の時代に、地中海の巻き貝から採った染料の「貝紫(かいむらさき)」で染められていることが分かったそうです。当時、染料の生産地はフェニキアの都市ツロ(ヘルモン山の西約50キロ)です。きっとそこからテアテラまで染料を運び、そこの染め物工場で布染めした「紫布」に加工、そしてピリピまで運んで商売していた商社の社員がルデヤだったと言えます。テアフラで染め物職人として下積み生活を送り、その働きぶりが評価され、ピリピの商店主に登用されたのでしょう。故郷テアテラには太陽神を祭る土着信仰、ピリピもギリシャ・ローマの宗教文化的影響が絶大でした。しかしリデヤはそのような環境の中にあっても染まることはありませんでした。祈り場で“創造主”との親密な関係を保ち続けていました。そこでパウロの口を通して語られる福音によって心開かれ(open mind)、内側深くイエス様のいのちに染められたのでした。ピリピ教会の初穂となりました。
  • 結び…どんなに世の大波に揉まれても、忠実に祈る小さな祈りの集いに、主は目と心を向けてくださり、平安で満たしてくださるお方です(ピリピ4章6-7節)。
Posted on 06/06/2021 at 09:33, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『崖っぷちで』(イエス・キリストの生涯 その163)(2021.6.6)

パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。(使徒の働き16章10節) (出典:聖書 新改訳 ©1970,1978,2003 新日本聖書刊行会)

  • はじめに…先週、『いのちの停車場』という、吉永小百合主演の映画を観てきました。東京の救命救急センターで医師として第一線で働いていた咲和子(吉永小百合)が、ある事件をきっかけに、故郷の金沢で「まほろば診療所」の在宅医師として再出発をすることに。そこで様々な患者と出会い、戸惑いながら、まほろばのメンバーと共に、“いのち”に優しく寄り添い、避けることのできない死を迎える患者とその家族が、それぞれの立場から病と向き合い、葛藤し、受容し、成長してゆくというストーリーです。
  • まほろば…「まほろば診療所」の“まほろば”とは、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の日本の古語。つまり楽園、理想郷です。聖書的に言えば“エデンの園”“新天新地”です。天地創造の主の臨在があり、涙が拭われ、死もなく、悲しみもなく、叫びもなく、苦しみもない、すべてが新しくなる所で、イエス様が私たちに準備して下さっている所です。主イエス様が共におられる(インマヌエル)なら、そこが“まほろば”です。
  • まぼろし…パウロは“まぼろし”を見ました。“まぼろし”は、幻想、幻覚ではなく、ビジョンです。ヘブル語の定義では「暗闇を通して突き刺さる光として物理的な存在で見られるものを超えて見えるもの。その知覚能力」です。パウロの見た“まぼろし”の内容は、ひとりのマケドニヤ人が「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するものでした(使徒16章9節)。パウロたち一行は、このマケドニヤ人の「私たちを助けてください!」という切なる願いを、主の招きと確信し、アジアの西端を離れ、ヨーロッパへ向け、エーゲ海を渡る決断を下したのです。ダマスコでの復活のイエス様との出会いが蝶ちょの羽ばたきとなり、聖霊の風に乗って、アジア、ギリシャ、ローマ、そして東の最果ての日本へ、福音が伝播したのです。
  • 崖っぷちで…パウロが、まぼろしを見たのは“ある夜”でした。そしてアジアの西の端でした。霊的な意味で言えば、意識と無意識の境界線上、生死の境目、先の見えない崖っぷち(벼랑 끝)です。しかし、人間的なピンチは主と出会うチャンスです。絶望から希望の出来事、死からの復活の出来事を、主が体験させて下さいます。
  • 結び…イエス様は、まほろばのまぼろしを見せて下さり、いのちの灯台に光をともし、確信を与え、背中を押して下さいます。
Posted on 05/30/2021 at 09:34, by matsumoto

主日礼拝メッセージ要約『彼は祈っています』(イエス・キリストの生涯 その162)(2021.5.30)

すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。(使徒の働き9章11節)

  • はじめに…私たちはしばしば、根も葉もない人のうわさ話だったり、“さもありなん”と思えるような空想話に振り回されます。自分自身の人格が否定されるような、歪曲された“わたし像”に仕立て上げられたり、やってもないし、考えてもいないことを、あたかもそうであるかのような者だと思われたりするとき、心外に思います。自分自身が被害者になることもあれば、逆に知らない間に加害者になる場合もあります。コミュニケーション不足、情報不足がその一因でしょうが、人の評価は(私たちの評価も含め)得てして“的外れ”の場合が多いです。
  • アナニヤ…先週はペンテコステ(聖霊降臨)を覚えての礼拝でしたので、その流れで、しばらく『使徒の働き』から、みことばを聴いてみたいと思います。パウロ(=サウロ)は、キリスト者(キリスト教会)の迫害のため、ダマスコ(キーボート変換で“だます子”と出てきました!?)の諸教会あての手紙を大祭司に書いてもらい、あらかじめ“逮捕令状”とでも言えるような手紙はダマスコ諸教会に届けられました。その手紙が届く前に、すでにダマスコに迫害者サウロの評判は届いていたことでしょう。当然教会の指導者だったアナニヤの耳にもその評判は届いていました。そのアナニヤの幻にイエス様が現れたのです。そしてイエス様は語られました。
  • 彼は祈っています…「彼(サウロ)は祈っています」(使徒9章11節)と。アナニヤは、イエス様のそのことばを、にわかには信じられませんでした。「私の耳には彼がどんなにひどいことをしたのか、届いています」。人から聞いた噂話、風評は、瞬く間に私たちの心に届き、かつ深くまとわりつきます。スマホやインターネットの普及した今、そのスピードや影響力はパウロの時代の比ではありません。いわゆる「炎上」です。
  • 選びの器です…イエス様はさらにパウロについて「わたしの選びの器です」(同15節)と、アナニヤに伝えます。イエス様はたとえ世界中の人がレッテルを貼っても、『まっすぐ』に真実を伝えるお方です。
  • 結び…今日もイエス様は、皆さんお一人ひとりの本当の姿をご存じで、分裂ではなく、キリストの体として一致のために執り成しをしてくださっています。主の慰めと平安をお祈りします。
Posted on 05/27/2021 at 22:52, by matsumoto

フィリピン支援(2021年5月)

Posted on 05/27/2021 at 22:43, by matsumoto

フィリピン支援(2021年2月)

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