Posted on 08/14/2022 at 16:35, by matsumoto
そしてわたしは、あなたの子孫を空の星のように増し加え、あなたの子孫に、これらの国々をみな与えよう。こうして地のすべての国々は、あなたの子孫によって祝福される。(創世記26章4節) / あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける。』と言って、あなたがたの先祖と結ばれたあの契約の子孫です。(使徒の働き3章25節)
◆はじめに…先週はじめから雨雲が韓半島から北陸東北地方に流れ込み、大雨で韓国ソウルでは半地下住宅が浸水して死者が出たり、青森ではリンゴ畑が冠水して、あと1カ月ほどで収穫の予定だったリンゴがほぼ全滅するなど、甚大な被害が出ています。また台風8号による被害も静岡などで出ています。被害に遭われた方々一人ひとりに主の慰めと、立ち上がる力が与えられるよう祈ります。
◆飢饉…今日のテキストは、イサクが住んでいたゲラル地方にききんが起こり、食糧を求めてエジプト行きを計画していたところ、「この地に滞在しなさい」(創世記26章3節a)との主の御声に従ってその地に留まり続けたという箇所です。飢饉は天災ゆえ、どうすることも出来ません。この度の豪雨も同じです。被害は甚大で将来の見通しがつきません。
◆ともにおられる主…主は続けて語られました。「わたしはあなたとともにいる」(同3節b)と。主はアブラハムが75歳のとき「わたしが示す地に行きなさい」(創世記12章1節)と語られました。安定していたであろう、生活に見切りをつけてアブラハムは旅立つ決断しました。「あなたを大いなる国民とする」(同2節)とのみことばが背中を押しました。保証は主ご自身が語られた約束のみことばです。
◆種蒔きと井戸掘り…留まったその荒涼とした地にイサクは種を蒔きました。すると百倍の収穫を見たと。地の人(ペリシテ人)はそれをねたみ、井戸に土を満たして塞ぎ生活の源を断ちました。さらにその地の王は、「出て行ってくれ」(同26章16節)とイサクたちを追放し、イサクはゲラルの谷間(ワジ)に天幕を張り、居を構えました。そこで井戸を掘るも、またもや地の人から奪われます。しかしイサクは住む場所を移動しながら新たな井戸を掘り続けました。イサクは決して恵まれた境遇に生きたのではありませんが、そのイサクに再び主は「わたしはあなたとともにいる」(同24節) と語られ、イサクは祈り、井戸を掘りました。
◆結び…いのちの源を求めて井戸を掘り続けたイサクによって地の民が祝福を受けたように、イエス様が私たち一人ひとりの心を掘り、生ける水を内側からわき出るようしてくださり、霊的に満たしてくださることを信じて感謝します。
Posted on 08/07/2022 at 18:27, by matsumoto
すると主は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」(創世記25章23節) / 「兄は弟に仕える」と彼女に告げられたのです。(ローマ人への手紙9章12節)
◆はじめに…アメリカ下院議長のペロシ氏が台湾への訪問旅行を決行しました。その後、中国は台湾周辺で大規模な軍事演習を行っており、台湾をめぐるアメリカと中国との軍事的緊張が高まっています。新型コロナ感染で経済が行き詰っている世界各国の指導者が、国民の不満の矛先を国内から国外へ逸らそうとしているのでは…と疑わざるを得ません。時同じくして広島市では「平和記念式典」が執り行われ、松井市長が「平和宣言」を宣誓しました。送迎中の車のラジオで聞いていましたが、『ロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべき』という言葉に、心の中で大きく頷きました。
◆覇権(家督権)争い…今日のテキストは、イサクの双子の兄弟、エサウとヤコブの記事です。どちらも人間的に欠点の多い者です。エサウは狩りから帰り、空腹を満たすためにヤコブが料理していたレンズ豆を要求し、ヤコブは、ここぞと言わんばかりにエサウに長子の権利(家督権)の売り渡しを要求しました。お互いに自分の欲求(欲望)を満たすためだけに相手と接しました。その方法がエサウは愚かで軽率、ヤコブは利己的で狡猾です。兄弟の幸福、家族の幸福、他者の幸福のことなど1ミリも考えていません。自分のことだけです。
◆あわれみによる選び…使徒パウロは、このエサウとヤコブの出来事から、神様の選びの計画は、(律法による)行いによらず、ただ神様のあわれみ、召しによるのだと語ります。「兄(エサウ)は弟(ヤコブ)に仕える」と、主がリベカに伝えたのは、まだふたりともリベカの胎内にあり、生まれていなかった、つまり善も悪もなす以前に、主はすでにご自身の遠大なご計画を持っておられるのだとパウロは語りました。主は忍耐をもって私たちの人生の旅路をともにしてくださり、すべての者(ユダヤ人も異邦人も)を「生ける神の子ども」(ローマ9章26節/ホセア1章10節参照)と呼んでくださるのだと。その主のご計画は兄と弟の祝福の順序がひっくり返るような、“大どんでん返し”の驚くべきご計画なのです。
◆結び…人間的な計画(策略)は頓挫します。しかし主は、あわれみにより忍耐をもってご自身の祝福のご計画を進めてくださり、誤り多き私たちを、主を愛し、隣人を祝福し、平和を造り出す者としてくださることを信じて感謝します。
Posted on 07/31/2022 at 17:35, by matsumoto
あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。(創世記22章18節) / あなたがたは預言者たちの子孫です。また、神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける』と言って、あなたがたの父祖たちと結ばれたあの契約の子孫です。(使徒の働き3章25節)
◆はじめに…牧師は礼拝の最後に祝祷(祝福の祈り)をします。例に漏れず私も祝祷をしますが、大きな声で“仰ぎ乞い願わくば…”というような、いかにも牧師らしい(?)祈り方はしません。むしろ静かに淡々とイエス様の祝福が流れていくように祈ります。つまり祝祷する私自身に対しての見返りを求めない、取り引きしない、ということです。祝福を所有せず、礼拝を宗教ビジネスにせず、ただ共場を共にする一人ひとりとして臨在の主の中に浸ることを願っています。
◆人身供儀…今日のテキストは、アブラハムがその子イサクを全焼のいけにえとささげる箇所です。いわゆる“人身供儀(じんしんくぎ/ひとみごくう)”です。主なる神様は、アブラハムに純粋な贈与として約束の子イサクを与えたのです。にもかかわらず、試み(試験)とはいえ、一旦、プレゼントとして与えたのを、捧げよ、返せ、というのはあまりにも酷な話と言わざるを得ません。私たちは事の結末を知っているので動揺はしませんが、当事者であったら激しく困惑したことでしょう。このテキストの意味を聖書学者の関根清三氏は「存在の所奪可能性」の自覚を促すことだと語っています。「存在の所奪可能性」を自覚することで、私たちは、かけがえのない者同士、いたわりあって共に生きていこうという思いに目覚めるのだと。
◆足の不自由な者のいやし…使徒ペテロは、創世記22章18節を足のきかない者のいやしの現場で引用しています。時は午後三時の祈りの時間でした。ユダヤ教徒は朝夕二度の祈りを慣習としていました。そしてまさに午後の祈りの際、神殿では“全焼のいけにえ”の子羊がささげられました(民数記28章3-4節参照)。それは「美しの門」の内側での祭儀でした。足の不自由な者は生まれてから後、四〇年間、門の外で施しを受けて生計を立てていました。しかし今や、門の内側に躍り上がって入っていき、心からの賛美をささげる者に造り変えられたのです。お金でもなく、医師の腕でもなく、“ナザレのイエス・キリストの名”とペテロの差し出す腕によってです。
◆結び…私たちは、祝福の贈り物を受けて生かされている尊い存在です。イエス様の御名を身に帯びて、主に近づき、隣人に接する一週間となるよう祈ります。
Posted on 07/24/2022 at 18:55, by matsumoto
それでアブラハムに言った。「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。このはしための子は、私の子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません。」(創世記21章10節) / しかし、聖書は何と言っていますか。「奴隷の女とその子どもを追い出せ。奴隷の女の子どもは決して自由の女の子どもとともに相続人になってはならない。」(ガラテヤ人への手紙4章30節)
◆はじめに…(制度的)教会は、時として残酷で罪つくりです。いわゆる求道者をキリスト者にしたいという強い使命感から「洗礼(バプテスマ)を受けないと永遠の滅び(地獄行き)になりますよ」とか、あるいは「教会員でないのに聖餐式のパンと葡萄酒(葡萄汁)を取ることは罪ですよ、死を招きますよ」とか、脅しめいた仕方で伝道(?)しようとします。それに傷ついた人々は教会嫌いになったり、人間不信になったりして教会から離れて行きます。私自身もそんな経験をしました。
◆追い出してください…今日のテキストは、アブラハムの妻サラが、女奴隷ハガルの生んだイシュマエルが、サラの子イサクをからかって(笑って)いるのを見て、「あの母子を追い出して」とアブラハムに願い出る箇所です。アブラハムは非常に悩みました。そのアブラハムに主は「サラの言う通りにしなさい」と語られました。主のお心は、イサクを生かし、イシュマエルを滅ぼすということではなくて、「はしための子も、私は一つの国民とする(祝福する)」(創世記21章13節)ことでした。主のことばを聞いてアブラハムは、パンと水を持たせて彼女たちを“送り出し”ました(同14節)。
◆憐れみ深い主…荒野をさまよい歩き、とうとう水が底をついてしまったハガルは、死を間近に意識せざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。“泣き”崩れるハガルとイシュマエルの力なき声を聞いた主は、「恐れるな、子を力づけなさい」(同18節)と語り、ハガルの目を開かれ、井戸を見せられました。皮袋に水を満たすことが出来、イシュマエルは成長したと聖書は記しています。死を意識せざるを得ない逆境の中、主は約束を成就すべく、いのちを繋いだのです。
◆自由の女の子ども…イサクとイシュマエル、どちらも自由の女(信仰)の子です。なぜなら、アブラハムの元から送り出された時点で、ハガルは奴隷の女ではなく、解放された自由の女だからです。イサクとイシュマエルは、後に共同でアブラハムの葬りをしていることからお互いの信頼関係が築かれていたと思われます。
◆結び…私たちにとって理解し難い出来事、解決し難い問題があったとしても、その出来事を益として下さり、解放して下さり、内側からいのちの水を与えて下さり、泣いている者を笑う者にして下さる主イエス様に感謝します。
Posted on 07/17/2022 at 18:45, by matsumoto
主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」(創世記18章14節) / 約束のみことばはこうです。「私は来年の今ごろ来ます。そして、サラは男の子を産みます。」(ローマ人への手紙9章9節)
◆はじめに…先週、眞津代牧師の友人が加来国生(かく くにお)牧師(故人)のメッセージCD(約40年程前に語られたメッセージ)を送ってくれました。早速数本聞きました。「くすのか聖会」という集会でのメッセージで眞津代牧師は懐かしく聞き、私は新鮮な思いで聞きました。その集会の司会は私たちに牧師按手をして下さった若かれし時の恩師でした。
◆白い鳥⁉…加来先生は徴兵で中国(旧満州)に赴いていたようで、そこで敗戦を迎え、兵役を解除され、とりあえず北京行の汽車を待っていたそうです。失意、喪失感で駅のホームでうつむいていたところ、目の前を白くてきれいな鳥が地面を滑るように飛んでいると思ったら、ふわっと空に舞い上がり、それは美しい光景だったと。その光景を見て、内側から生きる希望、聖霊の熱情が湧いてくる体験をしたそうです。
◆立ち塞がる現実を前にして…今日のテキストは、年老いたアブラハムとサラにみことばが臨んだ箇所です。常識的には不可能と思える現実があるにもかかわらず「来年の今ごろ、男の子を産む」との約束のみことばが語られたのです。アブラハムもサラも人間的な可能性はゼロと言える現実を前に、心の中で苦笑、嘲笑しました。約束のみことばに信頼することができなかったのです。
◆選ばれたアブラハムの祈り…しかしアブラハムは主から選ばれ、主の道を守り、主の約束を成就する(すべての国々を祝福する)器です(創世記18章18-19節)。ゆえに約束の成就に向けて主は計画を進め、約束の子イサクを授けられます。このときの喜びはどれほどだったでしょうか。また、イサクの誕生までの間、アブラハムとサラの祈りはどのような祈りだったでしょうか? 李天秀牧師はかつて主日礼拝のメッセージで「私たちが、ただ主だけを求めると、道は自然と現れ、開かれるようになっています。それは創造前に神の愛の内で、神のいのちが私たちの道を先に予定したからです」と語られました。つまり、「問題を解決してください」と祈るのではなく「主を仰ぎ見るようにしてください」と祈りなさいと。
◆結び…「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」「창세 전에 그리스도 안에서 우리를택하사 우리로 사랑 안에서 그 앞에 거룩하고 흠이 없게 하시려고」(エペソ1章3-4節)