Posted on 09/06/2020 at 19:28, by matsumoto
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(テサロニケ人への手紙第1 4章17節)
- はじめに…コロナ禍で、私たちがそれぞれにコロナ以前に計画していたことは中止や変更になり、世界の在り様も激しく変化をしています。そして先の見通しの立たたない、いわゆる“カオス”の様相を呈しています。しかし、先が見通せなくても、どんなに世界が変わっても、決して変わらないものがあります。主のみことばです。主の約束です(①ペテロ1章25節)。その主の約束のみことばとして、今日のテキストは“携挙”と“再臨”について告げています。
- 携挙…昨日、名古屋は抜けるような青空に白く輝く入道雲が絵にかいたように湧き上がっていました。その雲を眺めていると、あたかも自分が雲の中にいるかのような感じになりました。それは私の主観的な感覚ですが、携挙は実際に私たちが一瞬にして(たちまち)空中に引き上げられ、主と会う出来事です。これは主の約束です。これは花婿なるイエス様が約束通り、天に住まいを備えて後、花嫁なる信徒を迎えに来る出来事です(ヨハネ福音書14章1-3節参照)。
- 再臨…この携挙の出来事が第1回の再臨です。「空中再臨」です。この再臨の後、いわゆる「大患難時代」が地上に起こります。再臨は2度あります。第2回の再臨は、「地上再臨」と言われるもので、大患難時代の後、再びイエス様が地上に王として再臨され、「千年王国」を治められます(黙示録20章)。そして新天新地、新しいエルサレムの時代が到来します(黙示録21-22章)。これは主の約束です。
- 日常を生きる…主の約束は変わることがありません。ですから不安を感じたり焦ったり、あるいは無為に時を過ごすことはまったくなく、主の約束を信じ、委ね、安心して落ち着いて日常を過ごすようにと、パウロはテサロニケの人々、そして私たちに勧めています(①テサロニケ4章11節)。キリスト者としての私たちの日常は「祈り」と日々の「働き」です。ラテン語でキリスト教的な格言があります。「オラ― エト ラボーラ/祈れ そして 働け」(時計の文字版にO-R-A-E-T-L-A-Bと記されている図をイメージしてみてください)。携挙、再臨がいつ、どんなときとかは私たち人間には知る由はないのです。自分の死ぬ時も分からないのです。しかし必ずその時は来るのと同様です。
- 結び…携挙、再臨、新天新地は主の確かな約束です。そしてそれはすでに来つつあるのです。信頼と希望を抱いて日常を生きる者は幸いです。
《追記》
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Posted on 08/30/2020 at 18:13, by matsumoto
私たちの兄弟であり、キリストの福音において神の同労者であるテモテを遣わしたのです。それは、あなたがたの信仰についてあなたがたを強め励まし、このような苦難の中にあっても、動揺する者がひとりもないようにするためでした。(テサロニケ人への手紙第1 3章2-3a節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)
- はじめに…アメリカのウィスコンシン州で黒人の男性が警察官に背後から撃たれたことに対する抗議のため、一旦ボイコットを表明したテニスのツアー大会の準決勝に、大坂なおみ選手が28日、人種差別への抗議を表す「黒人の命は大切(Black Lives Matter)」という意味が書かれたTシャツを着て臨みました。黒人差別や障がい者差別、そしてコロナ罹患者への偏見、さらに信仰者に対する迫害と、憎悪の連鎖がこの世に、私たちの身近なところに存在し続けています。私たちの心の中にも巣食っていると言わざるを得ません。しかし主は、すべてご存じで、そんな私たちを見捨てず、愛を貫き、導いてくださいます。
- 強め励まし…今日のみことばの“強め”という言葉は、ルカによる福音書9章51、52a節「さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、ご自分の前に使いを出された」の御顔を“まっすぐ向けられ”と同じギリシア原語です。これはイエスと弟子たちがガリラヤからエルサレムに向かう旅の始まりのみことばです。つまりサマリヤを北から南にまっすぐ縦断する旅、すなわち、否が応でもユダヤ人、サマリヤ人双方にとっての憎悪の対象、宿敵の相手と関わる旅です。イエス様はその試練の場に分け入って、十字架に向かってまっすぐ弟子たちを伴って歩んで行かれたのです。
- ヤコブとヨハネ…サマリヤの町を通るにあたって、イエス様は先に弟子のヤコブとヨハネらを使いに遣わしました。当然、サマリヤ人はイエス様一行を拒否しました。それに対してヤコブとヨハネは「焼き滅ぼしましょうか」(ルカ福音書9章54節)とイエス様に進言しています。ユダヤ人としての純潔を汚したサマリヤ人に対する歴史的な憎悪の感情が支配している弟子たちを、イエス様は「戒められた」(同55節)とみことばは伝えています。そして行く先々で「平安があるように」(ルカ福音書10章5節)と祝福を宣言するように勧めています。
- 結び…行き過ぎた義憤に囚われず、また、人におもねることなく、出会う人々の平安を祈る、イエス様のいのちのみことばを人生の軸に生きる一人ひとりであるよう祈ります。
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Posted on 08/23/2020 at 15:15, by matsumoto
あなたがたをいとおしく思い、神の福音だけではなく、自分自身のいのちまで、喜んであなたがたに与えたいと思っています。あなたがたが私たちの愛する者となったからです。(テサロニケ人への手紙第1 2章8節)(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)
- はじめに…昨日、デイサービスの帰りの送迎の時、激しい雷雨に見舞われました。送迎車に乗っていたFさんは雷鳴が轟くと「わー怖い」と声をあげていました。それだけ聞くと“雷の怖い子供のような可愛らしいおばあちゃん”といった感じですが、実はその昔、ご主人と山へ草刈りに出かけ、大きな杉の木の下草を刈っている時に、雷がその杉の木に落ちて、その衝撃で体ごと跳ね飛ばされたとのことでした。その強烈な体験が80歳を超える年齢になっても消えることなく心に深く刻まれていて、雷の音が鳴るとその時のことが思い出されるのです。雷を伴ったゲリラ豪雨は30分ほどで止み、その後しばらく大きな虹が空に架かっていました。
- 光に打たれたパウロ…クリスチャン(この道の者)迫害の急先鋒だったパウロは、ダマスコ途上で天からの強烈な光に打たれ、地に倒れ、イエス様の声を聞く衝撃的な体験をし、それ以来、福音を伝える使徒に変容しました(使徒の働き9章、22章)。私たちもパウロのように劇的な回心とはいわずとも、大なり小なり、人生のターニングポイント(あるいは価値観の転換)になるような体験があるのではないかと思います。私の場合、阪神淡路大震災を直接体験して、その体験がきっかけになり献身に導かれたことが最も大きな出来事です(災厄は神の審きだと断定、断罪するは短絡的過ぎます)。人生の目的が、お金を稼ぐことや、社会的地位を得ることから、主イエス様の生き様に倣うこと、隣人を愛すること、天の御国の実在を確信して生きることへと変えられました。その思いは歳を重ねるにつれてますます確かさが深くなってきます。
- 福音だけでなく、いのちまで…パウロは、テサロニケ教会の信徒に対して「福音だけでなく、いのちまでも、喜んで与えたい」(テサロニケ2章8節)と言い、信徒一人ひとりのことを自分にとっての「望み、喜び、誇り」(同19節)だと言っています。それほどまでに出会った一人ひとりのことを大切に思い、愛して接しました。つまりパウロは、与える人生、手放す人生のだいご味を味わっていたと言えるのではないでしょうか。
- 結び…主が御心によって出会わせて下さった一人ひとりと、ときに母のように、ときに父のように、そしてキリストの家族として互いを大切にし、愛を持って接し、イエス様の愛(与え尽くす愛)で万物が満ちますように祈ります。
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Posted on 08/16/2020 at 15:50, by matsumoto
主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。(テサロニケ人への手紙第1 1章8節)
- はじめに…新型コロナウイルスの感染は依然、拡大し続けています。その中で“東京のエピセンター化”ということが言われています。エピセンターとは、「感染者・とくに無症状の感染者が集まり、感染が持続的に集積する地域」のことです。もともとは地震の際に使用される言葉で、震源の真上の地点「震央」のことです。最も影響の大きいと言われている場所のことです。
- 再臨待望…テサロニケ教会は、パウロの第二伝道旅行の際、わずかに3週間の宣教によって創設された教会でした(使徒の働き17章2節参照)。たった3週間しか宣教活動ができなかったのは、ユダヤ人たちによる迫害があったからでした。パウロたちは後ろ髪を引かれる思いでテサロニケの地を離れざるを得ませんでした。それでも宣教の成果は大きく、模範的な教会に成長しました。ただテサロニケ教会の信徒の大多数は異邦人(ギリシヤ人)でした。ゆえにギリシヤ的な生活環境に取り囲まれていました。ですから容易にギリシヤ的な思考、振る舞いへと“先祖返り”してしまう危険性があり、事実、そうなっていったのです。徐々に中心軸がずれ、歪んだりしてきたようで、それを元通りに調整するために書かれたのがこのテサロニケ人への手紙です。第1章はその中心軸が何だったのかが書かれています。それは“再臨”の待望です。
- 生けるまとこの神への立ち返り…テサロニケの人々は、パウロの第二伝道旅行における宣教を聞き、生命のない、誤りの神、すなわち偶像から、生けるまことの神の実在と、その愛と目的(イエス様が私たちを新天新地に迎え入れ永遠に主との霊的な交わりのなかで生きること)を悟り、立ち返ったのです。すなわち救い主イエス様の再臨を確信し、その確信ゆえに忍耐し労苦し、苦難のなかにあっても聖霊による喜びで生き生きと輝いて生きていたのです。その生き様がテサロニケの地から四方八方へ、その信仰が響き渡ったのです。
- 聖なる者として…それは神に愛され、神に選ばれている生き方、すなわち“聖別”された生き方でした。世や偶像に感化されない生き方、たとえれば海の中を自由に泳ぐ魚は、塩気を内に含まないのと同様です。その背後にはイエス様ご自身の私たちに対するとりなしの祈りがあります。「聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを守ってください」(ヨハネ福音書17章11節)。
- 結び…聖なる御名で守って下さっているイエス様に感謝します。
Posted on 08/09/2020 at 15:39, by matsumoto
たゆみなく祈りなさい。感謝をもって祈りつつ、目を覚ましていなさい。(コロサイ人への手紙4章2節)
- はじめに…原爆が投下されてすぐに救護活動に参加した医学生の濱清(はま きよし・故人)氏は、当時を回想して次のように述べています。「(救護活動を行った)山里地区は浦上天主堂に近いキリシタンの里で、負傷者の多くはカトリック信者の方々でした。(…)全身に真白に軟膏を塗られ、ほとんど身動きも出来ないほど衰弱しきった人たちが、夕方になるといっせいに身を起こしてタベの祈りを捧げる光景がうす暗い病室の中に見られました。そうしてその人たちも2~3日の間につぎつぎに死んでいきました。言葉に言い表しようのない哀しみと、この人たちをこのような残酷な目に会わせることを許し、しかもなお祈りの対象となっている彼らの神に対し深い怒りを感じたのを記憶しております。(…)あの祈りの姿に、すべてを奪われた人間に遺されたただ一つの尊厳の姿を見たのかもしれない(人間の犯した罪に対する謝罪の祈り(とりなし)だったのではないか)と思い至ったのは年月を経てからのことでした。」
- 常祷…パウロはコロサイの教会の人たちに「たゆみなく祈りなさい」(コロサイ4章2節)と勧めています。“常に祈れ”ということです。祈りは“霊の呼吸”です。祈りが途絶えるとき、私たちの霊は窒息し、死んでしまいます。しかも“感謝をもって祈れ”と。要求ばかりの祈りをしていないか、問われます。
- 援祷…また、「私たちのためにも祈ってください」(同3節)と、祈りの応援を要請しています。私たち自身の祈りと隣人の祈りが合わさることで、キリストの奥義、教会の奥義の門が開かれるのです。奥義とはユダヤ人と異邦人がともに救いに与るということです。開いてくださるのは主ご自身です。
- 苦祷…そして「エパフラスが、(…)あなたがたのために祈りに励んでいます」(同12節)と、パウロは同労の祈りの働きを明らかにしています。エパフラスはコロサイ教会の人たちの信仰と愛をパウロに伝えました(同1章7-8節)。“励む”は“力を尽くす”“苦闘する”という意味です。“苦祷”する力は自力ではなく「うちに力強く働くキリストの力」(同29節)です。あの被爆者の尊厳を保ち、夕べの祈りに導いた、主の力です。
- 結び…私たち一人ひとりを愛の帯でしっかり結び、それぞれの場所にあって、常祷、援祷、苦祷しつつ、平和の主なるイエス様の身体として、日々新しく成長させて下さる全能の主に感謝します。
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